切られお富!

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『春にして君を離れ』 アガサ・クリスティ 著

2016-01-25 21:54:24 | 超読書日記
NHK-BSの番組をきっかけに三冊のクリスティの本を読んだんですが、そのうちの一冊。他の二冊は『そして誰もいなくなった』と『オリエント急行殺人事件』だったんだけど、この二冊は子供の頃に読んで以来の再読で、この本に関しては初めて読みました。

で、正直な感想。再読二冊はあんまり楽しめなかったけど、これはたまに読み返したくなる一冊だなあ~。というわけで、簡単な感想です。

先に、『そして誰もいなくなった』と『オリエント急行殺人事件』の感想を簡単に書いておくと、子供の頃にはそれなりに楽しく読めたこの二冊が、わたしには退屈でしょうがなかったんですよね。というのも、トリックの革新に主眼があるからなんだろうけど、人物が紙芝居的でなんともねぇ・・・。

『オリエント急行~』の最後なんかが典型なんだけど、構成の見事さえ故に舞台を観ているような感じなんですよ。そのかわり、行間とかディテールの書き込みが何とも薄くて、その世界をじっくり味わいたいような読者には何とも物足りない感じがしてしまう・・・。

ま、クリスティといえば劇作家としても評価のある人のなので、芝居を書くようにして小説を書いていたのかな~なんて感想も持ちました。ちなみに、あの開高健をして「一に劇作家、二に評論家、三に小説家」などといわれた有名作家もいましたね~。答えは、三島由紀夫。)

さて、本題を『春にして君を離れ』に戻すと、この作品に関しては前述の二作に感じたディテールに対する不満を補うような、見事な作品でした。こういうものも書ける筆力のある人なんだということでしょう。

物語は中東を旅する中年女性がアクシデントから足止めをくい、砂漠の町に滞在しることになるんですが、学生時代の友人にたまたま再会してしまい、その友人の不穏な発言をきっかけにして、過去の家庭生活への確信が次第次第に揺らいでいくという、不思議な作品。

この作品には、アガサ自身の最初の離婚が反映しているといわれますが、自分が上手くいっていると思い込んでいたものが、実はその逆だったという謎解きめいた回想の断片断片がなんともうまく構成されているんですよ。

この作品の発表されたのが1944年で、第二次大戦終結の直前。最後の方で、ヒロインがナチスに若干のシンパシーを示すくだりがあって、ヒロインの夫が「三年したらわかるよ」と答えるところなんか、作者の悪意を感じますね。これが戦時中のイギリスの中流階級保守層の気分を示しているとすると、NHKでやっている海外ドラマ『刑事フォイル』なんかを思い出してしまいますが・・・。

で、あらためて感じたのは、この「意識の流れ」っぽい感覚の小説が書かれた背景に、戦争の問題もあるのと同時に、アガサ・クリスティがヴァージニ・ウルフやジェームス・ジョイスと同時代人だったということがあるんじゃないかということ。

叙述型ミステリーの先鞭をつけた有名な『アクロイド殺し』(1926)の翌年に、ウルフの『灯台へ』(1927)が発表されているし、ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』が1922年発表で、クリスティの作家デビューが1920年。
で、重要なのが、この小説が難解な純文学テイストではなく、非常にわかりやすい読み物として成立しているということ。「文章は繊細で革新的だが、ストーリーは退屈きわまりない」と評されることが多いヴァージニア・ウルフの長編と違い、この小説はミステリー的な筆致で女性の家庭生活を覗き見るような面白さがあるし、自信家のヒロインの夫が密かに心寄せる女性の正体の意外性なんて!

ということで、エンターテイメントの枠でこういう小説を書けたことが尊敬に値するなと思いました。しかも、非常に短期間に書き切って、修正もなかったという逸話も、著者にとってのこの作品の重要性が分かるのではないでしょうか。

なお、この小説の良さって、少し年を取らないとわからないかもしれません。この作品を書いた時のアガサの年齢は52歳。わたしも子供の頃に読んだのなら、冒頭の三冊の感想が逆になっていたんじゃないあのかな~。

ということで、BSのおかげでよい本に巡り合いました。内省的になりたい冬の読書におすすめ。


春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
クリエーター情報なし
早川書房
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