
今月は松本白鸚の二十七回忌追善ということなんだけど、わたしはもちろん松本白鸚の生の舞台は観たことがない。でも、ビデオや映画で目にした英雄役者のイメージは鮮烈で、いまの高麗屋を見るにつけ、いろいろ考えてしまいます。そんなわけで、簡単に感想。
①寿曽我対面
誰が言ってたか忘れちゃったんだけど、歌舞伎ビギナーに絶対見せてはならない芝居のひとつがこの演目だって話には、わたしも深く同意。
そもそも「曽我兄弟」というのが、いまの日本人に馴染みのないキャラになってきているからなんだけど、巷のウヨクな人々は教科書に「曽我兄弟」を載せろって主張するんですかね?
というわけで、本題に話を戻すと、「おめでたい」ことになっているこの演目の楽しみ方は、「声」を楽しむということに尽きるでしょう。
今月は、敵役・工藤を富十郎、曽我の十郎・五郎兄弟を橋之助、三津五郎。
曽我兄弟って、不思議なことに十郎の方がお兄さんなんだけど、今回の兄弟の組み合わせは逆かなって正直思ってた。でも、とにかく今回は三津五郎がカッコよかったなあ。もちろん、声もいい!橋之助はニンにない役のようでちょっと気の毒に思えた。
そして、やっぱり、富十郎。足が悪いのか動かないのが心配になったんだけど、第一声で目が覚める。
そんなわけで、お大事に!天王寺屋!!
PS:以下は、以前「曽我兄弟」についてちょっと触れたわたしの記事。
・正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)の感想
②口上
今回はたった五人の口上だったんだけど(幸四郎、染五郎、吉右衛門、雀右衛門、松緑)、地味どころか変に派手派手しく感じたのはわたしだけなんでしょうか。
松本白鸚の二十七回忌追善ということだから、幸四郎中心なのは当然としても、幸四郎さん、あんた、喋りすぎ!
重厚だった白鸚の追善にしては、軽い感じでペラペラしゃべり、わたしはちょっと興ざめしました。
以前、白鸚と福田恒存(『人間、この劇的なるもの』という本の著者ですよ。)が「太功記十段目」について対談している映像を見たことがあるんですけど、今の幸四郎よりずっと重厚で落ち着いたインテリぶりでしたよ。(画家か学者になりたかったそうですしね。)
あと、気になったのは、普段こういう並びでは出てこない松緑が珍しかったのと、雀右衛門が八十八歳だという紹介には、口上の声が小さいのも仕方がないって思えました。
まあ、こんなところで・・・。
③熊谷陣屋
幸四郎の熊谷って最近多いんだよなあ~、なんて思った人はわたしだけではないですよね?
まあ、簡単に気になったことだけ・・・。
第一に、相模役の芝翫が、その登場の第一歩、襖が開いて最初の足の踏み出しからして貫禄充分。最高の相模でしたね。
その相模を受ける堤軍次の松緑はがんばっていたし、義経の梅玉、藤の方の魁春、弥陀六の段四郎もはまっていて、素晴らしかった。
で、肝心の熊谷、幸四郎なんだけど、白鸚の熊谷のモノクロ映像を繰り返し見てきたわたしとしては、あの地声が大きく、まがまがしい感じさえした白鸚の熊谷から、今の幸四郎の熊谷は、あまりに遠いところにある芝居だなあと正直思う。
白鸚は岡本喜八の映画『侍』で井伊直弼を演じていたことがあるんだけど、「一国の政治責任者とはこういうくらいの人だったんだろうなあ」なんて思えてくるほどの貫禄で、簡単に感情を面に表さないくらいの重みがありましたよ。
それからすると、幸四郎はちょっと芝居に憂いが出すぎるような気がしてしまう・・・。
もっとも、これって、幸四郎だけの責任でもないってことは以前も書きましたけど。↓
・歌舞伎座「井伊大老」の感想を書いた記事
④鏡獅子
正直に白状すると、「道成寺」に比べて「鏡獅子」ってちょっと苦手なんですよね。
ひとつには、「道成寺」ほど素人目にもわかるような派手さがないということと、もうひとつは、なかなかこの演目のいい舞台にめぐり合えないというせいもある。
もっとも、これには、今の勘三郎の運動神経抜群で円熟しきった「鏡獅子」が、他の追随を許さないからということもあるんでしょうけどね~。
で、染五郎の「鏡獅子」。
先月の「連獅子」に続いてという間の悪さもあるんだけど、最後が元気だったなあという以外、もうひとつ印象が残らなかった。
もちろん、若手のやる「鏡獅子」のなかでは安定度抜群だとは思ったのだけど、九代目團十郎が作り、六代目菊五郎が十八番にしたこの所作事は、様々な伝説と観る者を熱狂へと誘う魔力のようなものが必要に思える。
第一、小さなゴジラみたいな顔の獅子の魔力が、この舞台の後半の熱狂を誘うわけで、だからこそ、不穏な何かが欲しいと、日舞素人のわたしは思ってしまうんですよね~。
妖気漂う所作というと、やっぱり「藤娘」のときの海老蔵みたいな舞台を期待してしまうなあ~、たとえ、踊りが多少うまくなかったとしても・・・。
(参考)
(六代目菊五郎の「鏡獅子」収録)
①寿曽我対面
誰が言ってたか忘れちゃったんだけど、歌舞伎ビギナーに絶対見せてはならない芝居のひとつがこの演目だって話には、わたしも深く同意。
そもそも「曽我兄弟」というのが、いまの日本人に馴染みのないキャラになってきているからなんだけど、巷のウヨクな人々は教科書に「曽我兄弟」を載せろって主張するんですかね?
というわけで、本題に話を戻すと、「おめでたい」ことになっているこの演目の楽しみ方は、「声」を楽しむということに尽きるでしょう。
今月は、敵役・工藤を富十郎、曽我の十郎・五郎兄弟を橋之助、三津五郎。
曽我兄弟って、不思議なことに十郎の方がお兄さんなんだけど、今回の兄弟の組み合わせは逆かなって正直思ってた。でも、とにかく今回は三津五郎がカッコよかったなあ。もちろん、声もいい!橋之助はニンにない役のようでちょっと気の毒に思えた。
そして、やっぱり、富十郎。足が悪いのか動かないのが心配になったんだけど、第一声で目が覚める。
そんなわけで、お大事に!天王寺屋!!
PS:以下は、以前「曽我兄弟」についてちょっと触れたわたしの記事。
・正札附根元草摺(しょうふだつきこんげんくさずり)の感想
②口上
今回はたった五人の口上だったんだけど(幸四郎、染五郎、吉右衛門、雀右衛門、松緑)、地味どころか変に派手派手しく感じたのはわたしだけなんでしょうか。
松本白鸚の二十七回忌追善ということだから、幸四郎中心なのは当然としても、幸四郎さん、あんた、喋りすぎ!
重厚だった白鸚の追善にしては、軽い感じでペラペラしゃべり、わたしはちょっと興ざめしました。
以前、白鸚と福田恒存(『人間、この劇的なるもの』という本の著者ですよ。)が「太功記十段目」について対談している映像を見たことがあるんですけど、今の幸四郎よりずっと重厚で落ち着いたインテリぶりでしたよ。(画家か学者になりたかったそうですしね。)
あと、気になったのは、普段こういう並びでは出てこない松緑が珍しかったのと、雀右衛門が八十八歳だという紹介には、口上の声が小さいのも仕方がないって思えました。
まあ、こんなところで・・・。
③熊谷陣屋
幸四郎の熊谷って最近多いんだよなあ~、なんて思った人はわたしだけではないですよね?
まあ、簡単に気になったことだけ・・・。
第一に、相模役の芝翫が、その登場の第一歩、襖が開いて最初の足の踏み出しからして貫禄充分。最高の相模でしたね。
その相模を受ける堤軍次の松緑はがんばっていたし、義経の梅玉、藤の方の魁春、弥陀六の段四郎もはまっていて、素晴らしかった。
で、肝心の熊谷、幸四郎なんだけど、白鸚の熊谷のモノクロ映像を繰り返し見てきたわたしとしては、あの地声が大きく、まがまがしい感じさえした白鸚の熊谷から、今の幸四郎の熊谷は、あまりに遠いところにある芝居だなあと正直思う。
白鸚は岡本喜八の映画『侍』で井伊直弼を演じていたことがあるんだけど、「一国の政治責任者とはこういうくらいの人だったんだろうなあ」なんて思えてくるほどの貫禄で、簡単に感情を面に表さないくらいの重みがありましたよ。
それからすると、幸四郎はちょっと芝居に憂いが出すぎるような気がしてしまう・・・。
もっとも、これって、幸四郎だけの責任でもないってことは以前も書きましたけど。↓
・歌舞伎座「井伊大老」の感想を書いた記事
④鏡獅子
正直に白状すると、「道成寺」に比べて「鏡獅子」ってちょっと苦手なんですよね。
ひとつには、「道成寺」ほど素人目にもわかるような派手さがないということと、もうひとつは、なかなかこの演目のいい舞台にめぐり合えないというせいもある。
もっとも、これには、今の勘三郎の運動神経抜群で円熟しきった「鏡獅子」が、他の追随を許さないからということもあるんでしょうけどね~。
で、染五郎の「鏡獅子」。
先月の「連獅子」に続いてという間の悪さもあるんだけど、最後が元気だったなあという以外、もうひとつ印象が残らなかった。
もちろん、若手のやる「鏡獅子」のなかでは安定度抜群だとは思ったのだけど、九代目團十郎が作り、六代目菊五郎が十八番にしたこの所作事は、様々な伝説と観る者を熱狂へと誘う魔力のようなものが必要に思える。
第一、小さなゴジラみたいな顔の獅子の魔力が、この舞台の後半の熱狂を誘うわけで、だからこそ、不穏な何かが欲しいと、日舞素人のわたしは思ってしまうんですよね~。
妖気漂う所作というと、やっぱり「藤娘」のときの海老蔵みたいな舞台を期待してしまうなあ~、たとえ、踊りが多少うまくなかったとしても・・・。
(参考)
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![]() | 小津安二郎 DVD-BOX 第四集松竹このアイテムの詳細を見る |
鏡獅子三代 勘九郎の挑戦―山川静夫・推理ドキュメントNHK取材班日本放送出版協会このアイテムの詳細を見る |
![]() | 人間・この劇的なるもの (中公文庫)福田 恒存中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
あんなヘタッピな踊りでOKとは。
お富さんの見る目を信頼してたけど
ちょっと信頼度が少々微妙に(--;)
でも文章は大好きなのでこれからも伺います。
あんまりビックリしたので書き込んでしまいました。
ご返事遅れてすいません。
わたしも海老蔵の踊りはうまくないと思ってますよ(笑)。
でも、歌舞伎の所作事はうまくなくてもいいんだってことを教えてくれたのが海老蔵の女形舞踊だったんですよね~。
富十郎、勘三郎、三津五郎みたいな踊りの名手や、玉三郎みたいな踊り手とも違った、特異な舞台での個性。
仁左衛門や吉右衛門も舞踊の名手ではないようなきがするけど、いかにも仁左衛門、吉右衛門らしい雰囲気が踊りにはあるし、そういう意味では染五郎は踊り自体はうまいけど、個性は希薄かなって気がしてしまうんですよね~。
まあ、素人のたわごとですけれど・・・。
今後もコメントよろしくお願いしますね!
好みじゃない役者のは上手くても褒められない。
それがブロガークオリティだよね~。
コメントありがとうございます。
ただし、わたしの言ってるのは、仰るようなことではないんですよね。
たとえば、わたしは福助って好きな役者じゃないけれども、最近の幾つかの所作事ではいいなあと思いましたし、歌舞伎舞踊というのはあくまで舞踊の発表会とは違うので、芸として魅せるものならOKなんじゃないかってことがいいたかったのです。
だから、扇子を落としまくっていた雀右衛門の舞踊でも、雀右衛門らしい仕草が素晴らしければ、「素晴らしい舞台だった」といえるでしょうってことなんですよ。
たんなる好みだけで云々してるつもりはないんですけどね~、わたしは。
では!
あなたの発言に
ちょっと興ざめしました。笑
わたしの発言の、どの点がどのように「興ざめ」なのか具体的に書いて頂いた方が、(笑)っているより建設的だと思うのですが、いかがでしょう?
福助丈はかなり上手です。
雀右衛門丈は富十郎丈と同等以上の相当なレベルです。
それとただのヘタな海老蔵と同じように語るのは
少々強引かと思われます。
なので贔屓の贔屓倒しと思って、私も~同じ、
と思ったんですが…。
お富さんは舞踊に関しては素人というは謙遜ではないのですね。
こういう論争は必ずしも嫌いではないで、今後もどうぞ。
まず、Unknown氏の真意は本人が語られてないのでわかりませんが、「基本の舞踊のレベル」云々ということでもないでしょう。わたしは、わたしの幸四郎の口上に対するイチャモンに文句があるのかと思いましたが、他の記事のコメントも同一人物らしいので深い意味はないのだろうと推測しますけど…。
で、本題の舞踊問題ですが、どうもわたしの文意を誤解されているようなので、補足させてもらいます。
歌舞伎ブロガーさんの前のコメント、
>好みの役者が踊ればヘタでも素敵。
>好みじゃない役者のは上手くても褒められない。
という部分を受けて、わたしの「好みじゃない役者」福助の話を持ち出しているので、「好みじゃない役者のは上手くても褒められない。」というご発言を否定しているだけです。だいたい、福助は踊りが下手だとは書いたことはありませんし、「二人汐汲」のときなんかは、玉三郎と踊っているときの重心の低さや腰の回転なんかは、やっぱり芝翫の息子だなあと感心してしまったほどです。
また雀右衛門についてですが、「将門」や「豊後道成寺」「隅田川」の舞台が目に焼きついていますし、下手だと思うどころか、一時は大好きだった程ですが、さすがにここのところ、足腰を悪くされているのか、不安な舞台を目にするようになったということを軽く触れているわけで、それでも磐石でない雀右衛門の舞台に感動するということを書いたつもりなんですけどね~。
どうも、歌舞伎ブロガーさんはテクニック批評と舞台の感想を混同されているようですが、マンガに喩えれば、画がうまくても面白くないマンガがあり、画が下手でも面白いマンガが存在するのと同様、歌舞伎の所作事だって、踊りはうまくはなかったが面白い舞台だったというケースが存在するんじゃないかってことが、わたしの言いたかったことです。
だいたい、海老蔵の舞踊についてこんなにいろいろ言われるとも思わなかったのですが(笑)、少なくとも「藤娘」に関しては、わたしは随分楽しめた舞台ではありました。もっとも、「なんだかよく判らない不思議なよさ」ではありましたけど。
それと、わたしのブログは全般的には海老蔵に好意的なんですが、批判的なこともそれなりに書いているので、「贔屓の引き倒し」ということでもありません。というのも、舞台(エンターテイメント)として面白くなければ、たとえ芸事として○でも、わたしには×だからなのです。
以上、今後もよろしくお願いします。