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やっと見ました、この映画。賛否両論だった作品ですが、わたしの評価は…。
見る前のわたしの想像では、「映画を知らない作り手の野蛮なパワーに満ちた作品」なんだろうなあ、なんて思っていたんですが、とにかく冒頭から、まったくイメージと違っていた!
この映画について、映画としてのクオリティが低いなんて感想を書いている人が結構いるけど、とんでもない!
この映画の技術水準は、新人監督が撮ったものとしてはとてつもなく高いものです。
おそらくこういうことをいっている人は少数派でしょうから詳しくいうと、アンバー系の美しい画面、手持ち長廻し撮影の多用、キャスティング、エキストラの使い方など、相当にテクニカル。
そもそも、あの何気なく撮っている松本本人のインタビュー形式の芝居は、ワンカットが長い上に小さな芝居が幾つもあり、役者・松本人志がじつはかなり巧みな役者であることを示しています。
みんなあのカツラに騙されていますが、とにかく仕草や目線がやけにうまいし、小道具やエキストラの使い方など、相当計算してないとあんなふうに写らない。
わたしが特に感心したのは公園のシーンですが、松本本人はもちろん、エキストラの自然な演技など、相当なリハーサルを重ねないとあれは無理だし、リハーサルをやってもあんな芝居や動きを引き出せない監督の方が大半でしょう。
脇役やインタビューされる人のキャスティングも絶妙ですが、彼らからああいう自然な芝居を引き出すのって、相当難しいことで、素人には絶対できません。純粋に芝居のできない棒読み台詞が脇役から出てこないというのは、相当な演出力の賜物でしょう。
わたしの勘では、映画監督松本人志の監督としての資質は、ディテールにこだわる竹中直人のようなタイプに近いのではないかと思えます。
つまり、淡々とした日常を描くような、地味で味のある映画を演出したら、おそらく松本は相当うまい演出をすることでしょう。
しかし、問題なのは、松本ファンが絶対にそんなことを許さないということ。ここに彼の不幸がある。それが、うまく話を畳めず、ああいう結末になった最大の理由でしょう。
正直言って、最後の10分くらいのオチには、ちょっとがっかりさせられました。もちろん、あの場面のメタファーは明確ですが、話を終わらせることができなくなったための苦肉の策としか、わたしには思えません。
とはいえ、とにかく『大日本人』を見て、多くの監督たちは反省すべきなんじゃないかな?自分にはアレだけ役者やエキストラをコントロールすることができるのかって。(しかし、松本人志はどこで映画を学んでいたんだ!)
なお、この映画のもうひとつの重大な特徴は、製作委員会方式がとられてなく、吉本一社が作ったということ。これは、今後の映画製作とその収益構造を考える意味でも、結構深い話です。(あえて詳しくは書かないけど…。)
というわけで、松本監督の次回作にも期待!
見る前のわたしの想像では、「映画を知らない作り手の野蛮なパワーに満ちた作品」なんだろうなあ、なんて思っていたんですが、とにかく冒頭から、まったくイメージと違っていた!
この映画について、映画としてのクオリティが低いなんて感想を書いている人が結構いるけど、とんでもない!
この映画の技術水準は、新人監督が撮ったものとしてはとてつもなく高いものです。
おそらくこういうことをいっている人は少数派でしょうから詳しくいうと、アンバー系の美しい画面、手持ち長廻し撮影の多用、キャスティング、エキストラの使い方など、相当にテクニカル。
そもそも、あの何気なく撮っている松本本人のインタビュー形式の芝居は、ワンカットが長い上に小さな芝居が幾つもあり、役者・松本人志がじつはかなり巧みな役者であることを示しています。
みんなあのカツラに騙されていますが、とにかく仕草や目線がやけにうまいし、小道具やエキストラの使い方など、相当計算してないとあんなふうに写らない。
わたしが特に感心したのは公園のシーンですが、松本本人はもちろん、エキストラの自然な演技など、相当なリハーサルを重ねないとあれは無理だし、リハーサルをやってもあんな芝居や動きを引き出せない監督の方が大半でしょう。
脇役やインタビューされる人のキャスティングも絶妙ですが、彼らからああいう自然な芝居を引き出すのって、相当難しいことで、素人には絶対できません。純粋に芝居のできない棒読み台詞が脇役から出てこないというのは、相当な演出力の賜物でしょう。
わたしの勘では、映画監督松本人志の監督としての資質は、ディテールにこだわる竹中直人のようなタイプに近いのではないかと思えます。
つまり、淡々とした日常を描くような、地味で味のある映画を演出したら、おそらく松本は相当うまい演出をすることでしょう。
しかし、問題なのは、松本ファンが絶対にそんなことを許さないということ。ここに彼の不幸がある。それが、うまく話を畳めず、ああいう結末になった最大の理由でしょう。
正直言って、最後の10分くらいのオチには、ちょっとがっかりさせられました。もちろん、あの場面のメタファーは明確ですが、話を終わらせることができなくなったための苦肉の策としか、わたしには思えません。
とはいえ、とにかく『大日本人』を見て、多くの監督たちは反省すべきなんじゃないかな?自分にはアレだけ役者やエキストラをコントロールすることができるのかって。(しかし、松本人志はどこで映画を学んでいたんだ!)
なお、この映画のもうひとつの重大な特徴は、製作委員会方式がとられてなく、吉本一社が作ったということ。これは、今後の映画製作とその収益構造を考える意味でも、結構深い話です。(あえて詳しくは書かないけど…。)
というわけで、松本監督の次回作にも期待!
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トラバさせていただきました。
日経エンタメに連載している松ちゃんの映画評は面白いですね。これを読んでると、彼は相当短期集中的に映画を見て勉強したことが伺えます。それでこれだけのものを作ってしまうのですから、やはり相当な才覚の持ち主なんでしょう。
この映画、お富さんのおっしゃるように、演出的に唸らされるような場面も多いのですが、あのラストがなかったとしても、私にはなぜか映画を見ている感じがしなかったんですよね。映画を映画たらしめている要素が希薄というか。もちろん、だからいけないということにはならないのですが。
仰る感じ、わたしも分かります。
ただ、わたしは割りと好意的に思っていて、昔の大島渚やATG作品みたいな、「これって、映画なの」っていう感じが、ちょっと懐かしい気がしました。
たとえば、今思うと滅茶苦茶な感じの、大島渚監督『帰ってきたヨッパライ』とか『新宿泥棒日記』とか・・・。
これって、誉めすぎなのかな?