切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

『雷神不動北山櫻』(なるかみふどうきたやまざくら)(新橋演舞場)

2008-01-29 02:18:40 | かぶき讃(劇評)
今年三十になる海老蔵の座頭公演。確か、椎名林檎嬢も今年三十だと思ったけど、人材の当たり年っていうのがあるんですかね?とりあえず、簡単に感想です。

この芝居って意外とわかりにくいんだなっていうのが、わたしの第一の印象。

というのも、最初に海老蔵が口上で説明しなかったら、全然分からないという観客が続出したんじゃないかって思えたから。

実際、筋書きのインタビューにあった、「この作品は人の心を打つ芝居ではありません。(中略)これは荒事なんです。」という発言は、わかりいい芝居でないのは仕方がないという、言い訳しない海老蔵の弁明とも受け取れなくはなかった。

最初の口上は、海老蔵がやる五役の写真のパネルをバックにしたもので、元気な頃の猿之助の舞台を思い出したけれど、海老蔵本人はテレがあるのか、結構早口で話を運んでいく。(あの早口って、梅玉さんが口上をやるときのそれに似てませんか!)

そして、いよいよ、幕が開き…。

まず、率直な感想をいいましょう。

今回の五役のなかで、わたしが一番力感を感じたのはやっぱり鳴神上人で、あとの四役、力みかえってふくよかさのなかった粂寺弾正、もう一歩正体の掴めなかった早雲王子、流している感じ安倍清行、浮いてるだけの不動明王には、もうひとつ満足はできなかった。

もちろん、並みの若手なら上出来の部類に入る好演とはいえ、海老蔵ともなればいやがうえでもハードルが上がってしまうというもの。

今回感じたのは、海老蔵という役者はたくさんの役を演じ分けられるような引き出しをまだ持っていないんだということ。

いい落語家は、たった15分くらいの噺の中で、様々な種類の声を使い分けるというけれど、今回の海老蔵から感じたのは、いつものピシャリとした言い切りの台詞廻しと、「切られ与三郎」の木更津や今回の安倍清行のような、か弱い感じの台詞回しの二種類くらいしか「声」のヴァリエーションを持っていないんじゃないかってこと。

だから、流してるっぽい部分は随分ぞんざいに感じ、力感のあるところは逆に力みが見られ、けして海老蔵自身も演じ分けについては満足してないに違いない。

期待した「毛抜き」の粂寺弾正がいまいちだったのは、観客との対話型ともいえるこの役の台詞廻しが、海老蔵の力みで一方通行に感じられたから。

また、團十郎や左團次なら、おおらかで観客を巻き込む愛嬌があるわけだけど、今の海老蔵のこの役には、切っ先の鋭さばかりで、観客はもうひとつ乗せられない。

また、今回の舞台で最高だった「鳴神」の鳴神上人は、この芝居自体が近代以降に練り上げられているのと、彼自身が演じ慣れていることもあって、舞台に余裕が感じられる出来だった。

でも、舞台の盛り上がりということなら、悪役・早雲王子が追い詰められていく立ち回りの凄みは確かに迫力があって、最期の場面はモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」の最期を思い出しましたね。(雷神に地獄へ連れて行かれる場面。)

でも、記者会見なんかで話題になった雷神のワイアー・アクションはわたしにはもうひとつ・・・。早雲王子の最期から雷神登場までの音の使い方の方が、ドキドキしましたよ。

海老蔵以外だと、愛称「ブー」こと市川猿弥の悪役ぶりが立派だったのと、市川春猿の若衆姿が意外とよくて、春猿は立ち役も悪くないなと思ったなあ~。

というわけで、日頃海老蔵には甘いわたしが、多少厳しいことも書きましたが、海老蔵の今後の「歌舞伎探し」の旅に期待します。なにしろ、まだ三十歳ですからね!!こんぴらまで追いかけますよ!
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