
たぶん産経新聞あたりが明日にでも大きく取り上げるんでしょうが、今日は三島由紀夫の命日「憂国忌」でしたね。まあ、つれづれなるままに、いくつか考えたことを・・・。
①そもそも、三島の「憂国」って小説は、全然「愛国心ネタ」の小説じゃないですよね。いってみれば、一種の官能を描いた小説であって、色気のないオヤジどもの集まりとは縁もゆかりもない作品ですよ。このあたりからある種のネジレがあると思うんですよね~。
②以前も何度か記事にしているけど、小説「憂国」の発表された前後に深沢七郎の「風流夢譚」とか大江健三郎の「セブンティーン」が発表されたって話は何度でも語られるべきです!特に、まだ生きてる大江先生!何か言いなさい!
③三島由紀夫自作自演の映画版「憂国」。音楽に「トリスタンとイゾルデ」が使われているんだけど、これがフルヴェンの音源ではなかったって話も以前書きました。
④わたしが三島由紀夫で好きなのは、結局のところ短篇小説(「山羊の首」「月澹荘綺譚」「女形」など。)。山田詠美なんかは、「美徳のよろめき」とか「青の時代」、「音楽」あたりの中編小説がよいなんていっているんだけど、わたしはかったるくて読んでられません。あとは戯曲かな、「鹿鳴館」、「綾の鼓」、「鰯売恋引網」とか。
⑤で、結局のところ、市ヶ谷の事件って、わたしには全然納得いかないし、英雄的な行動とも思わない。筆で何かした方が駐屯地に突っ込むよりよっぽど影響力があったはずでしょ?
三島は国立劇場第一期研修生を前に、歌舞伎について講演。題して「悪の華」というタイトルで、全集にCDとして収められていますが、「悪」を語る作家がなぜ「悪」にもならないドン・キホーテ的な行動を取ったのか?
集団に流された?太宰について「心中する顔じゃない」と言ってのけた三島だけど、「切腹する顔じゃない」って思ってるのはわたしだけか?でも、映画『人斬り』の切腹シーンは凄かったけどね!
★ ★ ★
といいながら、文学も歌舞伎も結構影響受けてるわたしでした。
でも、反発食いそうだね、この記事!
①そもそも、三島の「憂国」って小説は、全然「愛国心ネタ」の小説じゃないですよね。いってみれば、一種の官能を描いた小説であって、色気のないオヤジどもの集まりとは縁もゆかりもない作品ですよ。このあたりからある種のネジレがあると思うんですよね~。
②以前も何度か記事にしているけど、小説「憂国」の発表された前後に深沢七郎の「風流夢譚」とか大江健三郎の「セブンティーン」が発表されたって話は何度でも語られるべきです!特に、まだ生きてる大江先生!何か言いなさい!
③三島由紀夫自作自演の映画版「憂国」。音楽に「トリスタンとイゾルデ」が使われているんだけど、これがフルヴェンの音源ではなかったって話も以前書きました。
④わたしが三島由紀夫で好きなのは、結局のところ短篇小説(「山羊の首」「月澹荘綺譚」「女形」など。)。山田詠美なんかは、「美徳のよろめき」とか「青の時代」、「音楽」あたりの中編小説がよいなんていっているんだけど、わたしはかったるくて読んでられません。あとは戯曲かな、「鹿鳴館」、「綾の鼓」、「鰯売恋引網」とか。
⑤で、結局のところ、市ヶ谷の事件って、わたしには全然納得いかないし、英雄的な行動とも思わない。筆で何かした方が駐屯地に突っ込むよりよっぽど影響力があったはずでしょ?
三島は国立劇場第一期研修生を前に、歌舞伎について講演。題して「悪の華」というタイトルで、全集にCDとして収められていますが、「悪」を語る作家がなぜ「悪」にもならないドン・キホーテ的な行動を取ったのか?
集団に流された?太宰について「心中する顔じゃない」と言ってのけた三島だけど、「切腹する顔じゃない」って思ってるのはわたしだけか?でも、映画『人斬り』の切腹シーンは凄かったけどね!
★ ★ ★
といいながら、文学も歌舞伎も結構影響受けてるわたしでした。
でも、反発食いそうだね、この記事!
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三島については私もお富さんと一緒で最後の自決行動は評価できません。あれほど素晴らしい文学を著しながら、思想行動の何と稚拙なことか。
以前、とある右翼の方の三島評を読んだことがありますが、彼の行動や晩年に右傾化したことについて、政治思想というよりは文学者らしい美学の表明ではないかという文章を読んで、妙に納得したことを思い出しました。時代を考えれば日本中どころか世界中が左傾化していた時代。そんな中にあって危機感がピークに達したのでしょう。自決の前に自衛隊の幹部とも議論をしていた様です。
彼の本の中に、佐賀の「葉隠れ」について書いた本がありますが、武士道という美学に傾倒していたのは確かなようです。葉隠れは有名な「武士道とは死ぬこと」という一文がありますが、太宰とは逆のベクトルで死にとりつかれていたと見ることも可能です。三島は思いの外太宰を意識していた様で、それが太宰批判に繋がったのでしょう。当時の文壇では無視できない対象が太宰でした。生きることはみっともないとカミングアウトした太宰と、人生に美学を見出した三島は水と油ですよね。
私個人は「憂国」よりも「金閣寺」と「午後の曳航」が好きです。「午後の曳航」はアメリカ映画にもなりましたね。
では、乱文ながら。
結局、三島って、45歳にしては大人じゃなかったというか、青年集団だった楯の会の若者たちにのせられて、あげく死んじゃったんじゃないか、というのがわたしの感想です。
自分のまわりの40代、50代の管理職を考えても、優秀な人はもうちょっと老獪というか、したたかですよ。若い奴にのせられて一緒に突っ込んじゃったりは、普通しませんよね。いい歳して、世事長けた判断力がなかったってことなんじゃないですか?
だって、「葉隠」を書いた山本常朝だって、「武士道は死ぬことと見つけたり」といいながら、畳の上で天寿を全うしたんですから。
だから、最後の浪漫主義者って感じだな~。
浪漫も芝居の上だったらいいですけどね!