今日、感じたこと。
電車の中で小さい男の子が親戚と思われるおじさんに対して、
「バカおじさん、バカおじさん」と連呼していました
おそらく親の兄弟で日頃から遊んでいる仲良しの
おじと甥だと思われます。
vorinは、その二人を見れない場所に座っていたので、
声だけが車内に響いておりました
最初はふざけあっているのだろうと思っていたのですが、
ずっと言い続けるので、ちょっと不快になり始めました。
親が一緒にいるのか見えないので分かりませんが、
一緒にいるのなら子供に注意したほうがいいと感じました。
親が一緒にいないのなら「おじさん」が注意すべきなのでしょうが、
vorinも小さい甥姪と遊んでいたとき気まずくなるのがいやで叱りづらかったから、
おじさんにそれを求めるのは無理だなと思いました
でも、本当は注意したほうがいいでしょうね。
子供が大人にむかって「バカ」というのは、当然失礼にあたります。
それがどんな大人でもです。
親がその人のことを「バカ」と呼んでいても、
子供という未熟な人間が言っていいことではありません。
そうでないと、その子供はおじさん以外の大人に対しても、
仲良くなったらふざけて「バカ」と言ってもいいと認識します。
身近でそれをやりそうな相手としては、学校の先生です。
それは、その子供にとっていい結果をもたらしません。
学校の先生なら今の時代笑って済ますかもしれませんが、
感情が不安定な相手なら、激昂して殺されるかもしれません。
そしてもう1つ目撃したこと。
今日も関東はとても寒かった。
外を歩くときは手袋がなければ、ついポケットに手を入れてしまいます
車を運転していたら、歩道を歩く親子連れ(と思われる)。
お父さんと小学校低学年ぐらいの男の子が二人でポケットに手を入れて、
「寒いなあ」みたいな会話をしながら歩いていました。
微笑ましい光景ではあるのですが、
vorinは小さい頃、学校でも家でも「ポケットに手を入れて歩いてはいけない」と
口うるさく注意を受けた記憶があります
なぜならポケットに手を入れていたら、
転んだときにすぐに手を出せずに顔面から転ぶからです。
ちなみにいまだにvorinはパートナーからそれを言われます
手袋しているからポケットに手を入れることは少ないんですけどね。
ただ、アラフォーの運動不足な体は、
つまずいたときに手を出していたぐらいでは対応できなくなっています
今日はこの2つの出来事から、
もう今の大人には基本的なしつけができなくなっているのかなあと感じました
前者のおじさんは、楽しい気分を壊したくない「自分」の気持ちから、
注意をしなかった。
後者のお父さんらしき人は、「自分」が寒いから注意をしなかった。
つまりは、「自分」の気持ちが最優先なのです
vorinは田舎で生まれ育ったので、
村の習慣や常識を外れると異端の目で見られ、排除されます。
大人は、子供を必死でしつけます。
ご近所に「あそこの子供は挨拶もしない。親はなにをやっているんだ」
と言われたら、親は顔から火が出るぐらい恥ずかしい思いをします。
つまりは世間体重視です。
東京に出てきて感じることは、
ここには村社会がないので、家族単位で常識が作り上げられていて、
親が楽なほうにしつけが行なわれているようだなということです。
世間体を気にする必要がないので、
親はだれからも監視されません。
第三者が我が子に注意しようものなら、
それが正しくてもつい反発してしまう
vorinは親にならないので言えた立場ではありませんが、
子供をしつけない親を見ながら、
だれも叱ってくれないアラフォーの自分の行動は、
自分で厳しく律しようと思ったしだいです
まあvorinの場合、お父さんのようなパートナーが
礼儀やマナーにうるさいので、まだましです
電車の中で小さい男の子が親戚と思われるおじさんに対して、
「バカおじさん、バカおじさん」と連呼していました
おそらく親の兄弟で日頃から遊んでいる仲良しの
おじと甥だと思われます。
vorinは、その二人を見れない場所に座っていたので、
声だけが車内に響いておりました
最初はふざけあっているのだろうと思っていたのですが、
ずっと言い続けるので、ちょっと不快になり始めました。
親が一緒にいるのか見えないので分かりませんが、
一緒にいるのなら子供に注意したほうがいいと感じました。
親が一緒にいないのなら「おじさん」が注意すべきなのでしょうが、
vorinも小さい甥姪と遊んでいたとき気まずくなるのがいやで叱りづらかったから、
おじさんにそれを求めるのは無理だなと思いました
でも、本当は注意したほうがいいでしょうね。
子供が大人にむかって「バカ」というのは、当然失礼にあたります。
それがどんな大人でもです。
親がその人のことを「バカ」と呼んでいても、
子供という未熟な人間が言っていいことではありません。
そうでないと、その子供はおじさん以外の大人に対しても、
仲良くなったらふざけて「バカ」と言ってもいいと認識します。
身近でそれをやりそうな相手としては、学校の先生です。
それは、その子供にとっていい結果をもたらしません。
学校の先生なら今の時代笑って済ますかもしれませんが、
感情が不安定な相手なら、激昂して殺されるかもしれません。
そしてもう1つ目撃したこと。
今日も関東はとても寒かった。
外を歩くときは手袋がなければ、ついポケットに手を入れてしまいます
車を運転していたら、歩道を歩く親子連れ(と思われる)。
お父さんと小学校低学年ぐらいの男の子が二人でポケットに手を入れて、
「寒いなあ」みたいな会話をしながら歩いていました。
微笑ましい光景ではあるのですが、
vorinは小さい頃、学校でも家でも「ポケットに手を入れて歩いてはいけない」と
口うるさく注意を受けた記憶があります
なぜならポケットに手を入れていたら、
転んだときにすぐに手を出せずに顔面から転ぶからです。
ちなみにいまだにvorinはパートナーからそれを言われます
手袋しているからポケットに手を入れることは少ないんですけどね。
ただ、アラフォーの運動不足な体は、
つまずいたときに手を出していたぐらいでは対応できなくなっています
今日はこの2つの出来事から、
もう今の大人には基本的なしつけができなくなっているのかなあと感じました
前者のおじさんは、楽しい気分を壊したくない「自分」の気持ちから、
注意をしなかった。
後者のお父さんらしき人は、「自分」が寒いから注意をしなかった。
つまりは、「自分」の気持ちが最優先なのです
vorinは田舎で生まれ育ったので、
村の習慣や常識を外れると異端の目で見られ、排除されます。
大人は、子供を必死でしつけます。
ご近所に「あそこの子供は挨拶もしない。親はなにをやっているんだ」
と言われたら、親は顔から火が出るぐらい恥ずかしい思いをします。
つまりは世間体重視です。
東京に出てきて感じることは、
ここには村社会がないので、家族単位で常識が作り上げられていて、
親が楽なほうにしつけが行なわれているようだなということです。
世間体を気にする必要がないので、
親はだれからも監視されません。
第三者が我が子に注意しようものなら、
それが正しくてもつい反発してしまう
vorinは親にならないので言えた立場ではありませんが、
子供をしつけない親を見ながら、
だれも叱ってくれないアラフォーの自分の行動は、
自分で厳しく律しようと思ったしだいです
まあvorinの場合、お父さんのようなパートナーが
礼儀やマナーにうるさいので、まだましです