我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

ギリシャの翌日は、ベスビオスを 臨みながら パスタ

2010年04月04日 | 日記

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最近はやりなのは、アルデンテ  


ところが 最初に作られた 本格的なスパゲッティナポリタンは、日本人の 口にはあわなかったそうな。アルデンテだから硬すぎた。うどんや蕎麦を茹でて芯があったら、喰えたもんじゃない。

そこで考えたのが ホテルニューグランドの総料理長の入江茂忠。
横浜山下町の老舗のホテルの顧客は、日本人が多い。

うどんの食感にあわせるために、柔らかくした。

ちょっとかために茹でて、バターを塗して冷蔵庫で一晩寝かす。

こうすると、お金持ちのお年寄りにも ちょうど良い、うどんの歯触りになる。


これ 小生が東京は渋谷 辺たりで事務所をかまえていた頃の、定番メニューに限りなく近い。茹でた麺を冷蔵庫に容れるのは、作り置きつまり懶(ものぐさ)のなせるわざ。独身で事業を 立ち上げたばかりなら、忙しくて 時間がない。

油をまぶすのは、くっつ く のを 防ぐ為と 食味向上のため。


故に 儂はアルデンテは あまり好みではない。

 
                                                               (ナポリ、Napoli)

ナポリをみてから死ねと謂う。旅の徒然にガイドがよく云っていた。ならば儂はもう死んでもよいものか。50才はとうにすぎたから、それほどには惜しい命でもないが。とにかくかの地の旅は、好天「日本晴れ」であった。晴れ男と 晴れ女が行けばこうなる。

ひるめしに、ナポリタンを食った。

ゆで加減は 当然アルデンテ。ローマに入らば、ローマに従え。此処は Napoli である。とうぜん 美味いと おもって喰った。この味付けが あっさり味で 日本のとは違う。かための 麺の中に トマトの切ったやつが ゴロゴロと入っている。

パンチェッタ とか グアンチャーレ などという肉も入っていたような。とにかく格安ツアーの昼飯のこと、かなり手抜きであったような感じがした。でもまずくはない。ここはイタリアである。はるばる日本からくれば、感動がある。

  ソースの色はこれより薄かった。ホントにあっさり味

 

 


わたしの里 美術館  <=
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とり散らかしてますが お時間が おあり
でしたならば、お立ちより下さい。
                              

 

 

スペースシャトル:山崎直子飛行士 【毎日】 

HTVが国際宇宙ステーション(ISS)と結合完了 この技術は 他国の軍事衛星を、自爆に見せかけて 一気に全機破壊できる 汎用技術でもある。技術者ならば容易に想像できる。わからないひとは ワッカラねえだろう。

ロケットは科学用語で、軍事的にはミサイルである。シャトルは今年退役予定で、日本人が乗るのは これが最後となる。本来ならば 後継機を日本が開発して、実機を保持すべきであったが、それは無い。アメリカの妨害 とお節介でこうなった。政治家が ヘタレとも言えるが、命を実際に張れる 本物政治家は 少ない。

ではあるが 日本には、技術的蓄積はあつい。
政治がかわれば、すぐにでも実現する。それまで科学者・技術屋は腕立て伏せと、腹筋運動でその日に備える。

HTVは有人宇宙船の実験機でもあり、帰還用のカプセルを開発すれば、完成である。

耐熱セラミックなどの素材産業は日本が、最先端を行っている。


国際宇宙ステーション(ISS)に大きな荷物を運ぶのは、HTV以外には手段が無くなる。シャトルが飛べなくなれば、こうなる。それで米国の荷物も運んでやることとなる。

ついでに人も乗せる必要が生ずる。いまのままでも行きには、使える。耐重力シートを設置するだけでよい。


湯田菌に蚕食されて、雨の軍事技術は泥坂をころげ堕ちつつある。日本の政治も、腐朽菌に冒されて、倫理の泥坂 ゴロゴロごろごろ。となりのボタンを押して、自爆したのもいる。

堕ちるところまで落ちる。それを見るしかない。

 

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ロシア融和演出 『カチンの森』事件70年式典

2010年04月04日 | 記事紹介

東京新聞 TOKYO WEB  

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010040802000056.html 

2010年4月4日配信

  記事の紹介です。

 

ロシア融和演出 『カチンの森』事件70年式典

2010年4月8日 朝刊

 【ベルリン=弓削雅人】第二次世界大戦中にポーランド軍将校らが旧ソ連軍に大量虐殺された「カチンの森」事件七十年の追悼式典が七日、ロシア西部の現地で行われた。ロシアのプーチン首相はポーランドのトゥスク首相を招待、同事件の追悼式典で初めて両国首相が同席した。

 式典でプーチン首相は「スターリンの名のもとに行われた弾圧は正当化することなどできない」とした上で「だが、ロシア民族すべてにこの責任を負わせることも間違っている」と語った。ロシアでは二日、事件をテーマにしたポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」がテレビ放映されており、融和への演出とも受け止められている。

 ロシア側には、ミサイル防衛(MD)参加などで対米協調を強めるポーランドに歴史認識問題で歩み寄り、欧州連合(EU)への影響力を強めたい思惑があるとみられる。

 カチンの森事件をめぐっては、一九九〇年、ゴルバチョフ大統領(当時)がソ連の関与を認め、謝罪した。しかし、ポーランドの不信感は根深く、カチンスキ大統領は今回の式典に出席しなかった。

<カチンの森事件> 旧ソ連の秘密警察、内務人民委員部が1940年、ポーランド軍将校ら捕虜約2万2000人を銃殺、ロシア西部スモレンスク郊外の森に埋めた事件。ナチス・ドイツ軍が43年に遺体を見つけ発覚。ソ連はナチスの犯行と主張したが、冷戦終了後、独裁者スターリンの指示だったことを示す署名入り記録などを公開した。

  記事の紹介終わりです。

 

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寒春

2010年04月04日 | 記事紹介

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%92%E6%98%A5 

 

  記事の紹介(抄出)です。

寒春

寒春(かんしゅん)とは平年19712000年の平均)に比べて気温の低いのことである。気象庁による3階級表現で毎年3~5月の平均気温が「低い」に該当した場合の春をいう(階級表現に関しては外部リンクも参照のこと)。

寒春の原因

寒春の年は大陸から強い寒気が流れ込みやすく気温が氷点下に下がりやすくなり、平地でも降雪(ひどい場合は積雪の恐れも)・路面凍結が多発するという冬のような季節外れの陽気になる。気温が低いために春の訪れが遅くなり、の開花・発芽新緑の時期が遅くなってしまう。また寒の戻りの発生や余寒が多発し、融雪や解氷も遅れる。生物や植物にとっても寒さや遅霜による悪影響を与え、成長の妨げにもなる。

過去の主な寒春

1947年 この年は年間を通して低温だが、特に春は3ヶ月を通して1.5℃程度低い顕著な寒春になった。

1949年
冬は記録的暖冬であった一方、本来春である3 - 4月に冬型が発生し南西諸島を除き顕著な寒春になった。
1953年
1957年
1965年
4月が記録的低温の年であった。
1970年
特に3月が記録的低温となり、2月よりも3月の方が寒いという極めて珍しい年となった。東京の3月の冬日は10日を数え、これは寒冬で有名な1986年2月の7日も上回る3月としては異例の記録となった。
1971年
1979年
1981年
1984年
この年は平年より2℃以上も低い戦後有数の異常寒冬(五九豪雪)としても知られ冬の低温傾向が春にかけても継続し、記録的で異常な寒春となった。多くの主要都市で3月でありながら10日以上も冬日を記録して降雪や凍結を多く観測し、積雪も観測された。さらに前年11月と4 - 5月も極度の低温で半年以上にわたって異常低温で経過し4月下旬から5月上旬にかけて北海道と東北北部で季節外れの降雪や積雪となりゴールデンウィークでありながら北日本での降雪、積雪がテレビや新聞で度々報道された。新緑や発芽が例年よりかなり遅く、桜の開花も観測史上最も遅い記録を更新した。この年は強い寒気の南下が春以降も断続的に続いたことに加え各地に大雪と荒天をもたらす寒冷低気圧が度々通過したこと、北日本を中心に強い低温をもたらすオホーツク海高気圧が例年よりかなり早い4月頃から出現したため記録的な寒春となった。
1986年
顕著な寒冬となったこの年は春になると強い低温傾向は収まったものの寒気やオホーツク海高気圧の影響を受けやすかったため依然として気温が低めの日が多く、春の平均気温も全国的にやや低温となった。3月23日には南岸低気圧の通過により関東地方で彼岸・春分以降では記録的な大雪となり積雪は東京で9cm、横浜市で10cmを記録した。
1988年
顕著な寒春ではなかったものの寒気やオホーツク海高気圧の影響を受けやすかったため期間を通して気温が低めの日が多く、春の平均気温はやや低温となった。4月8日には上空にこの時期としては強めの寒気が居座っていたところに本州南岸を低気圧が通過した影響で東日本で4月としては季節外れの大雪となり最深積雪は東京で9cm、横浜市で7cmを記録した。
1993年
この年は顕著な暖冬だったが3月中旬頃から一転して低温傾向に転じ東日本を中心に寒春となったほか、北日本で季節外れの降雪を観測した。夏にかけてはさらに低温傾向が強まり、戦後有数の大冷夏・冷害となった(1993年米騒動も参照)。5月2日には新緑寒波となり、関東で2月下旬並みの異常低温となった。しかし5月13日にはフェーン現象の影響で関東地方で記録的な暑さとなり埼玉県秩父市で最高気温37.2℃、群馬県前橋市で36.5℃など5月としては異例の猛暑日を記録した。
1996年
この年は寒冬で、冬の低温傾向が春にかけても継続した。4月の低温が顕著で、暖春が多い1990年代において1993年と並ぶ数少ない寒春年である。同月上旬~中旬に真冬並みの寒気が流れ込み大阪市・京都市・岐阜市などの太平洋側の都市でも降雪を観測したため、西日本の多くの地点で終雪の観測史上もっとも遅い記録を更新した。
2005年
春総合では北日本と南西諸島限定であるものの暖春が多い2000年代以降では珍しく、2010年現在のところ唯一の寒春年である。特に3月は西日本と南西諸島で低温となり5月はオホーツク海高気圧の勢力が強く、東日本から北日本まで低温で推移した。5月中旬にはオホーツク海高気圧と北東風の影響で東北から関東にかけては雲が多く低温傾向となり、13日には仙台市で5月としては一日の最高気温としては史上2番目に低い8.4℃を記録した。3月は上旬に沖縄県で真冬並みの顕著な低温となり、最高気温が連日15℃以下と寒くなった。4日には東京都内や福岡市などの太平洋側の多くの地点で積雪を観測。6日にはこの時期の降雪が稀な九州地方南部でも雪となり、種子島で28年ぶりの降雪を観測した。同月中旬以降も気温が上がらず13~14日は山陰地方で3月としては17年ぶりの大雪と顕著な低温、愛・地球博が開催された25日には真冬並みの寒気が南下し名古屋市や岐阜市の太平洋側でも3月後半としては異例の降雪を観測した(3月後半の降雪は1996年以来9年ぶり)。この影響で桜の開花も平年より3~6日遅れた。しかし4月は一変し高温で記録的な暑さとなる日がしばしばあり4月6日に山梨県大月市で真夏日となり最高気温30.6℃を記録、同月28日にも鳥取県米子市で国内の4月の一日の最高気温としては歴代最高となる33.7℃を記録した。 

  記事の紹介(抄出)終わりです。

 

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