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F-2 攻撃機
『自衛隊が竹島奪還訓練』 と あるので、やれ嬉しやと
思ったのだが、ひが目であった。よく見れば
自衛隊が離島奪還訓練、南西諸島想定し12月 【読売】 と書いてある。
朝鮮や韓国の有象無象が跳梁跋扈する、この政治状況において、まさか 「竹島の奪還訓練」 とは言えぬのだろう。それで、西南諸島への他国の侵入を措定し となったのであろう。
竹島が 李 承晩 政権によって、突然占領されたのが 1952年1月18日のこと。
日米安保条約は、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約締結と同時に締結されていたワケなのだが、……。つまり、この条約の目的は 「日本国が他国から侵略されるのを阻止する」 とはなっていない。この条約の欺瞞性は、条約締結のわずか 5ヶ月後には証明されてしまったのであった。日本の国土が侵略されても、在日駐留米軍は動かなかった。米国政治はかえって、韓国が日本を侵略するのを煽った観もある。
日米安保の真の目的は、講和後も 「米軍を日本国に駐留させること」 ( ※ 1 ) にあった。
竹島が侵略されて、甚大な被害が出た。
韓国により不当に拘束された人たちが、3,929人です。この軍事的占拠により受けた日本側の人的被害が、44名の死傷者。不法に拿捕された船舶数は、328隻でした。
日韓併合百年で、馬鹿な謝罪を続ける菅政権に聞いてみたいもの。このことの被害の回復はどのようにするのか。押しつけ憲法の 「諸国の信義」 とはこのようなものである。日本国の竹島が軍事的に奪われたのは、日本の軍事力が解体させられ、とくに海軍力が壊滅状態であったから。サヨクの信仰する 「平和憲法」 も アメ・ポチ の云いのつる 「日米安保」 も、只のアンポンタンで役立たず。
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アクセスの記録 2010.08.19(木) 1287 PV 525 IP 1061 位 / 1453779ブログ
わが 日本国の神聖な国土 『竹島』 は、李承晩によって侵されました。そして今は要塞化されています。
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韓国軍が日本軍の配備されていない竹島に上陸、占拠した。
現代戦を想定すれば、島内に対空ミサイルなどを備え付けるとともに、周辺海域に海軍艦艇を集結させる。 これ、侵略 「韓国軍」 のこと。
ならば、日本政府 からは即刻、防衛出動が発令される。
対艦攻撃力の高さでは、世界一の攻撃機「F-2」や、潜水艦への攻撃能力も持つ、P-3C が投入される。空挺団員のパラシュート降下は、急峻な崖や岩場だらけの竹島では、困難だろう。制圧部隊の展開作戦は別の方法がとられるが、これは重用機密であるから書かぬがほっとけ。
武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
上の緑の文章は、憲法九条のさわりの部分。
ならば、自衛隊が離島奪還訓練、南西諸島想定し12月 【読売】 は、明々白々の憲法違反なのか。さあさあ、我らの愛しの瑞穂ちゃん。「憲法違反、ケンポー違反」 と騒ぎ立てて、現実政治能力のない、空想家として自滅するのか。あるいは政治的に立ち回って、ごまかすのか。
とにもかくにも、このことへの対応で、諸々の サヨク政党の リアリズムが 試される。
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島嶼防衛
( ※ 1 ) 1951年9月8日、アメリカのサンフランシスコ市において、アメリカを始めとする第二次世界大戦の連合国側49ヶ国との間で、日本国との平和条約 (サンフランシスコ平和条約) が締結された。この際、主席全権委員であった吉田茂内閣総理大臣が単独で、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約 (旧安保条約) に署名した。この調印式には、他の全権委員は欠席しており、唯一同行した池田勇人蔵相に対しても 「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する」 と言って一人で署名 したという。
この条約に基づき、占領軍のうちアメリカ軍部隊は在日米軍となり、他の連合国軍(主にイギリス軍)部隊が撤収した後も日本に留まった。( wikipedia より抜粋 )
参考 P-3C http://obiekt.seesaa.net/article/119974365.html
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