雪の降る街をひとり歩けば
鬱々と甦るものがある通り過ぎた時の谷間に
深く降り積もった、心の澱。
いつの日、押し流す東京の雪は、陽がさせば、すぐにも溶ける。
氷河が溶けぬように、解けぬ蟠(わだかま)りもある暑い夏になり、向日葵が咲いても
解けぬ、思いは残るもの。
竜蟠虎踞とは龍が蜷局(とぐろ)を巻き、虎が蹲(うずくま)るように、優れた力を持つ者が一定の場所にとどまり、権勢を振るうこと喩え。
古来、日本では、「悪」を否定すべき、邪とばかりは考えず、悪源太の「悪」は猛々しいの意であり、美称である。
Wikipediaによれば、悪源太こと源義平(みなもとのよしひら)とは、平安時代末の武人で源義朝の長男として生まれた。平治の乱のクーデター騒ぎで、その蛮勇を奮った。御所には右近の橘と、左近の桜があるが、その間を悪源太こと義平は、平清盛の倅・重盛を7回も廻って、追い回したという。
その勇猛な源 義平もついには捉えられて、斬首されている。
阿部定事件の妖婦・さだは美人だったが、今回の容疑者・木嶋の容貌は取り立てていうほどのものではないので、パス。ところで、上出の写真で、彼女の周りにいる、刑事とおぼしき男達がなぜ笑っているのか、不可解。
自民党政治が日本経済を混乱させて、国民一般を貧しくさせた。それで政権交代となったが、民主は民主で粗野な在野の時代の体質そのまま。買弁 移住民族と宗主国
一般の民間人の経済行為に関わる問題で、その額が1億円以下ならば「民事不介入」と、ある警察署長に聞いたことがある。つまり反対に民間の金のやりとりで、1億円をこえた取引で、不正を訴えられれば、警察は動かざるをえない。ましてや、政権与党の幹事長のこと。告発されれば動くのが当然である。
経済は一流でも、日本政治は五流とはよく謂われる事。昭和の不平等条約。「日米安保」の制約下で、アメリカの影に脅える政治は、伸びやかに育つことは出来なかった。今アメリカは壊れつつある。金融システムが、世界規模になり日本もリンクされているが、この事がかえって、アメリカと支那チュウゴクの経済を日本経済に従属させている。
確かに、日本国は実体産業の剰余金を、アメリカに貢いだ。それで貧乏にもなった。しかし得たものもある。経済戦争での勝利。勝って兜の緒を締めよの喩えもあるから、浮かれてもおれぬが。
日本製品は本物であり、欧州の品物はブランド。支那の製造するものは殆どが偽物で、共産党すら偽物である。不審に思うなら、歴史的名著『共産党宣言』でも読まれれば宜しい。アメリカの製造業は日本と同じように、外国からの安い産品に押されて弱体化してしまった。高級品は日本製で、謙価なものは支那や東南アジア産ですませる。ユダヤの領導した金融のグローバリズムは、貿易の自由化と表裏一体で、リカードの比較優位力が各国の、自律の秩序を破壊した。各国民は貧しくなり、その原因は究明されつつある。特に日本とアメリカでは、その原因究明が進み日本では自民党カイカク政党は悪とされ、政権交代である。アメリカでは9.11の解明から、軍産複合体の恐るべき実態が暴かれつつある。その期待のうえにオバマ政権が誕生したが、「ノーベル平和賞」の受諾演説で、アフガニスタン戦争を「平和のための正義の戦い」とスベッて、アメリカの全国民から顰蹙を買っている。この様な反軍のムードの中で、青ざめた貌の『アバター』が大ヒットなのは昨日の記事でも書かれている。
日本の政治が貧しいのは、アメリカの配下に甘んじるような莫迦者の一軍によって成されているが故。その意味では、民主も自民と同じである。日米安保は日本の軍事的独立を阻止する鎖である。全ての軍事力を廃したまったきの平和を夢想することは出来るが、不心得者の支配する、雨や支那の国家が存在するかぎり、自衛力は必要である。日本の国防は相手の装備より尖鋭化したものを装着するといった試みも進んではいるが、もっと戦略的な部門でも実績をあげている。相手国の生産諸力の破壊、あるいは従属化である。
『株式日記と経済展望』<米国の航空母艦「ジョージ・ワシントン」に、中国が発射した中距離誘導ミサイルが命中した。>にもあるように、アメリカの軍略は先の大戦のままであり、時代遅れになっている。数千名の兵士を満載したアメリカ機動空母は、格好の獲物であり、これを撃沈すれば、アメリカの世論は沮喪する。元気は一瞬にして失せ、気は滅入るばかり。すでに日本国はこの様な艦艇を攻撃するミサイルや運搬できる戦力を有り余るほど有している。
核兵器の話は、とりあえずは、云わぬが華と別稿に譲る。いま誰も問題にするのは、支那の軍拡である。その危機を排除するのが日本の防衛国益だが、そこに雑音を入れるものがおった。百数十名の家の子を引き連れて、朝貢した莫迦者・小沢一郎が日本の国益を害する。よって排除される。全国民にもその訳は、鳴り物入りで、庶民にも判りやすい、政治資金を使って土地を買ったとかの、ゼニの物差しも添えられている。
これからは、国対国の戦いではなく、中間実力層が『大衆収奪』をつづける政治を廃する戦いである。
アメリカはドル発券のシニョリッジ効果に酔って、我を忘れた。支那も固定的にリンクされており、両大衆収奪機関は廃されて、別のものに変えられる。それは選挙に因って平和裡に進む。支那はへんてこな憲法があるので、激動があるやもしれぬ。しかしあの国は上層がいざとなったら屁垂れであるから、何とも言えぬ。
ユダヤとは、物の言い様の弾みのようなものであり、実際の敵は『剰余資本』である。産業資本が金融の剰余資本を駆逐したときこそ、世界に真の平和が訪れる。
支那との戦いは、高度技術産品の輸出制限であり、雨との戦いは、橋頭堡は築いたので、これからは文化・精神面での戦線の深化である。宗教を謂えば角が立つ。比較伝説学とでもしておこう。