我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

昭和帝の危惧したことは、アカの脅威

2010年04月29日 | 軍事

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                          小沢幹事長続投の方針について語る鳩山首相=鷹見安浩撮影

 

 首相「小沢幹事長はこのまま頑張って」 【読売】

そりゃそうだ。汚沢が消えれば、こんどは自分に逆風が襲いかかる。わずか10人あまりの「ド素人」に、国政を左右する重大事をあっさりと、決められてたまるか。などと、アホウな日本の寄生虫の声も聞こえる。彼らの哲学とはこのようなもの。はんたいに 素人だからこそ、日本の惨状が素直に見える。検察の惰性は、自己保身や同僚などに斟酌する、裁量の幅を広げすぎて、法理の道を逸脱することが多くなった。

そもそも「政治資金規正法の違反」なんてえのは、微罪で形式犯だ。本当は、政治資金を私物化した「横領」かなんぞの、破廉恥罪を適用するのがスジってものだ。検察も体制側で、それも奥の院みたいな、絶対権力で「起訴権の独占」を質に入れて、司法の精神を曲げてきたから、国政がこんなにも乱れた。

普通の日本人の感覚ならば、「小沢のような奸物は、国政から排除したい」にきまっている。

民主党には、「政権交代」で国民の望んだ「日本再生」の実行力は、ほとんどないと判ってしまった。とくに若い人たちが頑張って日本の国政のムダを「仕分け」しているのに、小沢らは邪魔してきた。「小沢の続投を支持」なんぞを、おくめんもなく口にする輩が、日本をダメにしてきた。寄生官僚や売国企業とおなじく、きっちりと仕分けして、ゴミは護美箱に入れればよい。

 

百年ほど前の大日本帝国の版図をおもえば

 日本の至る所に潜んでいる、コミンテルンの残党や、朝鮮ヤクザの土建屋たちの見る夢は、想像できる。かれらの頭は薄甘サヨクで、ピンク色。皇統を軽んずることはなはだしい。

こんな風にされて、たまるか

猫をかぶった、政治屋ゴロツキの夢は夢のままで、終わらせる必要がある。自民党の中にも、このようなやつがいた。小泉はその代表で、日本と、自民党を壊した。押しつけ憲法改正は「夢まぼろし」になったのか。

現代の戦いは、70年前とはことなる。

うす甘い、サヨクの見る夢は、日本国を滅ぼす。選挙で勝てば「革命達成」とはしゃぐ莫迦どもに任せれば大変なことになる。半朝鮮人の小泉は日本の勤労者のすべてを派遣にしたかったのか。支那などから凶暴な貧民やら、工作員が1,000万人もなだれ込めば、日本国は占領されてしまう。現代の戦いは、戦車はつかわず、棄民の波と、マスコミの洗脳作戦で押し寄せてくる。飴ポチやくざの桝添が「総理にしたい政治家ナンバー・ワン」だとふざけるな。金に汚い小沢が、選挙の「豪腕」だと。聞いて呆れる。彼は、新鋭ミサイルの標的にすぎない。
  

 

湯田菌に脳みそを冒された、

 ヒトラーとスターリンはポーランドを挟撃した。その結果が第五次ポーランドの分割。下の地図がそれ。

1939年9月1日ドイツの電撃作戦の結果が、薄青いろの占領地。スターリンのソ連軍は東から攻め込んで、薄緑色のポーランドを侵略した。

最近になってロシア(事件当時の国名はソ連)は カチンの森事件 の真相を打ち明けて、ポーランドに謝罪をおこなった。20数万の将兵と市民が行方不明になり、その一部とみられるおびただしい死体がドイツ軍によって発見された。しかし、戦後世界では連合国のソ連に配慮して、アメリカなどの西側でも、カチンの森の事件は真相が隠されたままだった。ソ連崩壊で真実が明らかになったきた。

世界共産主義といえば、戦後「民主主義」教育でサヨク教師に洗脳された身には、いくぶん上品にきこえるが、実際は違う。通州事件 は一部の人には知られるようになったが、 尼港事件 はあまり知られていない。何が謂いたいかといえば、それは「共産主義」 は美称にすぎない。彼らの実際は、血に飢えた狂犬の群れでしかない。チベットを陵辱し、ウイグルは核兵器の実験で壊滅的に汚染させた。これが「共産主義」と名乗る者の実態で、カチンの森事件もそのひとつの表れにすぎない。

亀は自らの姿にあわせて、穴を掘るという。かれらも、自らの残虐な虐殺体験を下敷きにして、日本軍の「ザンギャクセイ」を捏造しようとしている。カチンの森で実際に20数万の虐殺をしてのけた(戦線逃亡者もいるだろうから、実数はもっとすくないだろう。また、そうあってほしい)、「恐惨主義者」のこと、20万や30万の虐殺の話しをデッチ上げることなど朝飯前。

この与太話の目的は、「長征」で逃げまくったことの言い訳なのか。でもまともな日本人から見てみれば、「言い訳」にもなんにも、なっていない。只の泣き言。それも嘘の恐怖をデッチ上げての泣き言で、普通の日本人の感覚からは、理解出来ない精神構造。

 

 戦後世界

 さきの大戦が終わって、日本には民主主義が実現した。

本当か !

確かに「三権分立」や普通国政選挙は実現している。実際はそのように見える。見させられているだけなのかも、知れない。

だって、ほとんどの日本国民は通州事件や尼港事件を知らない。「戦後ミンシュシュギ」教育では絶対に教えない。日中戦争は実際はなかった。何故かといえば、戦争を遂行する政府実体が中国には存在していなかった。戦争は 政府 対 政府の、暴力による政策実現の戦いであり、中国には世界公認の中央政府は無かった。法の哲学のないサヨクの頭はぐっちゃぐちゃ。南京政権は中国の一部を支配しているにすぎなかった。共産党はもっと少ない地域しかおさめていなかった(治めると云うより、略奪のしまくりが実態 毛沢東万歳。略奪万々歳。)。中国全体をみれば、無政府状態であった。これでは戦争にはならない。よって、日本軍の戦いは居留民の安全を守るための治安維持作戦にすぎなかった。日本国から見た「日中戦争」は正史では「支那事変」である。中国政府である中華人民共和国の成立は、1949年でありすでに日本はアメリカ占領軍の統治下にあった。帝国陸軍の解体により、支那共産党は全土を掌握できたにすぎない。

原爆投下と、ソ連の参戦によって、日本は終戦を決意した。

 敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ 

敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
 なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。

色つきの文章は昭和帝の「終戦の詔」の一節の原文と現代語訳であるが、此処で先帝は、このまま戦いを続ければ、世界の文明を破壊してしまうと嘆じておられる。

はたせるかな、日本国は一見平和ではある。しかし「終戦」を「日本の敗戦」と言いくるめた米穀は、世界のあちこちで侵略戦争を引きおこし、其所の文明を破壊しつづけている。アフガニスタンの伝統文化によるタリバンの統治は、猛々しい進駐外国軍による荒廃した混乱に置き換えられた。イラクでもフセイン政権は攻め滅ぼされ、彼自身は吊されてしまった。

日本国がアメリカの軍事支配を拒めば、かれらは牙をむくのだろうか。弱みを見せたり、油断をすれば地獄の狗が襲いかかる。しかし、アメリカとて「法治国」であり「民主主義」を標榜する国態ではある。ましてや現在は同盟国であり、たとえば「駐留なき安保」の同盟国に戦争をしかけるのは、法理に反する。そのうえ、アメリカは日本の金融支援がなければ、経済は混乱し、機関産業も立ちゆかなくなる。現在の宇宙開発産業のテイタラクは独自では産業の水準維持もできないことを、「雄弁」に物語っている三菱電機:NASA輸送機に搭載の通信システム受注。航空産業にも似たような現象がおきつつある。

国際金融資本は、日本の産業の管理者から資金をだまし取った。しかし、世襲や官僚化したぼんくらは欺せたが、本当の知能集団はだませなかった。高度技術の日本からアメリカへの移動は遮断され、産業管理の金融管理方法もデコイをつかまされている。

先帝の終戦決断により、北海道の住民がコミンテルンの殺戮軍により蹂躙されるのは防げた。しかし、汚沢のような凶惨軍が闇法案をとおして、日本のまっすぐな法理をねじ曲げようとしている。

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アクセスの記録  2010.04.28(水)    1419  PV     442  IP     1418 位  /  1402162

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杉田 水脈

2010年04月29日 | 政治家

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杉田 水脈【わが郷・政治家】1967~ 杉田 水脈 政治家

 

 

杉田 水脈(すぎた みお、1967422日- )は、日本の政治家。自由民主党所属、元日本維新の会所属(所属政党は自民党に所属するまで計5回変わっている)。自由民主党比例中国ブロック選出。元新しい歴史教科書をつくる会理事。衆議院議員(2期目)。鳥取大学卒。
(wikipedia)

 

 

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世耕 弘成

2010年04月28日 | 政治家

 政治家

世耕 弘成【わが郷・政治家】1962~ 世耕 弘成 政治家

 

 

世耕 弘成 (せこう ひろしげ) 

世耕 弘成(せこう ひろしげ、1962119日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)、経済産業大臣(第22代)兼内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)、ロシア経済分野協力担当大臣。

学校法人近畿大学第4代理事長、自民党政策調査会長代理、自民党参議院政策審議会長、内閣官房副長官(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣、政務担当・参議院)等を歴任。
(wikipedia)

 

 

 

 

2016 09 02  雰囲気を作る。 【わが郷

                2016 09 02 雰囲気を作る。【わが郷・政治】

2012 06 02  ダニは 見た目が綺麗。 【わが郷

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仙谷由人

2010年04月28日 | 政治家

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仙谷由人【わが郷・政治家】1946~ 仙谷由人 政治家

 

 


 

命をかける覚悟がないなら、政治家なんかになるなよ

フランシーヌ (※1) と同い年の、娘がこういった。

 

 仙谷由人は全共闘の社会主義同盟,いわゆるフロントの出身で,安田講堂では弁当運びばかりしていてゲバルトには参加しなかった日和見主義者です(笑) その証拠にひそかに(笑)司法試験の受験勉強を続け,合格と同時に中退し学生運動からも撤退した
岩下俊三のブログ

 

 素朴に毛沢東主義なんぞを信じている、政治や歴史のオンチが、日本の指導者では、まことに危うい。民主党から出た、西岡武夫参院議長に、『辞めろ』と言われてしまった仙谷由人や菅直人に覚悟なんか、あるわけがない。棚ぼたの、あんころ餅をつかんで離さない、無恥蒙昧の徒とはまさに両名のことを謂う。

 支那は悪しき隣人で、法治観念のない軍隊ヤクザの国、ましてや「戦略的互恵関係」なんぞは、マヌケな貢ぎ物だ。このまま、日本の資本と先進技術を支那に、渡し続けていたならば、彼らは本当にステルス戦闘機 『殲 20』 を完成させる、可能性もある。自動車だけではなく、航空機産業も、支那と「戦略的互恵関係」などと云いだしたならば、ジェット・エンジンの技術も流出しかねない。支那に対して、『中国様』なんぞと、妙ちきりんな敬語を連発するアホウが、これ以上権力の中枢に居すわれば、なにをしでかすか判らない。


 殲 20

 尖閣諸島防衛の国事よりも、自分たちの利益を、優先させる財界は、日本を危うくさせてきた。『殲 20』は、自衛隊の軍事演習で尖閣防衛の意思を鮮明にした日本などに対する、ブラフ=根拠のない脅しではあろう。軍事技術を輸出できた方が、低コストになるナンテェ与太を言っていると、低コストで易々と支那にステルス戦闘機を作らせることにもなりかねない。水面下では、日本はすでにこの技術を完成させている。

 

自民党をはじめとする野党は、仙谷のくびは何としてでも取らねばならない。
菅直人は無能故、オペレーターがいなければ動かない木偶人形。 外交でも作文の棒読みだ~
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 やはり、これからどんだけ莫迦をやるかわからない。やはりこの人も、辞めてもらわねば ポチっとお願いします。

 

 

 岩下俊三のブログ   

 岩下俊三氏は、東大闘争当時の仙谷由人をよく知る人物で、上出のブログをなさっておられる。わが郷の「仙谷由人は弁当運びの日和見主義者」などの出典は、此処である。関連記事は、http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/3041279.html#comments に投稿されている。コメント欄もあわせて読めば、仙谷の人となりが判って、興味深い。

 ネット右翼的な感覚からすれば、仙谷由人=全共闘となるのだろうが、これは正鵠を得ていない。 わが郷でも、天国と地獄  仙谷の地獄が、口をあける ですこし書いたが、全共闘運動は左翼共産主義運動ではなかった。「極左暴力集団」とは、マスコミが勝手に張った、レッテルであり真実を表していない。反サヨクそして、米国のベトナム侵略反対が、大括りできる共通の目的で、最大の成果は沖縄の施政権返還である。最近ではキルギスの政変は、暴力的なデモから始まっている。とうじの政権を転覆させている。戦後レジームのマスコミは絶対に書かないことではあるが、当時アメリカは、日本の自民党政権が転覆されるのを、現実的リアリティをもって危惧していた。それで、米軍基地は残すが施政権は日本に返還することで、反戦・反米・沖縄返還闘争のガス抜きを計った。それほど当時の反安保・ベトナム戦争反対・沖縄本土復帰闘争は、激烈であった。

 そして今の日本の課題は、その延長線上にあることを知るべきである。反安保は本当は、右翼が行うべき、最大の課題である。しかし、東京裁判において、その中心になるべき軍人や政治家はほとんどが、絞首刑になるか、その他の粛正をうけてしまった。アメリカ軍の戦後統治に於いて、右翼とくに軍人は徹底的に、弾圧された。しかし、左翼は一定程度自由が与えられていた。それで本来は、民族自立・日本再軍備とすべき、その情熱は、左翼の運動の中に紛れ込んでいった。60年安保当時の社会党や共産党は、反安保はポーズにすぎなかった。実際、日本の再軍備を真っ先に否定したのでは、日本のリアリティのある自立など、うたかたの夢であった。そのような擬制の左翼に飽き足らない、若者たちが、日本共産党や社会党を決別して、新しい戦いを生み出していった。「反帝國主義」と「反スターリズム」が思想的な潮流であった。「反スターリズム」とは、今で言えば、反サヨクである。

 「反帝國主義」と言うのがくせ者で、ここに新左翼運動の、コミンテルン的な限界があった。戦前の日本の左翼運動は、コミンテルンの強い影響下にあった。モスクワ中央からの日本への指令は、「天皇制打倒」であった。この時代後れの、フランス革命をアナロジーした命題は、アメリカをも色眼鏡で見ることとなった。「アメリカ帝國主義」っていったいナニよ、とは思う。アメリカには、帝王も国王もいない。アメリカをして日本に戦いを挑ませたものは、欧州の金融資本主義である。その背後にはユダヤの野望が隠されていた。日本の戦前・戦後の左翼運動は、このユダヤのワナにはめられて、本当の敵が見えなくなっていた。本当の敵はユダヤの金融主義であり、その手先のアメリカ政治であった。が、ユダヤは国論を分断するために、ボンボン・嬢ちゃんの自称・知識人に「共産主義」の幻想を吹き込んだ。

 であったが故に、左翼の運動はアメリカの実態がよく見えていない。アメリカは欧州・ユダヤの金融資本の出店であった。冷戦構造のなかで、アメリカの金融資本は、軍産の利益を積み重ねて、欧州を凌ぐようになった。

 

 全共闘運動は、東大の医局の待遇がどうのとかから端緒は開けたが、そのようなちいさな問題よりも、ベトナム戦争反対と、アメリカから自立できない自民党政治に対する、戦いに昇華していった。ざっと当時の様子をなぞってみれば、仙谷由人は全共闘運動にあこがれていたていどの日和見主義者であったことが判る。これは有り体に言えば、結局かれは、サヨクであったにすぎない。真に日本の自立、当時で言えば非道なベトナム戦争に対する反対、このために身を挺して戦わないものは、ポーズだけのサヨクにすぎない。当時の言葉で言えば、スターリン主義者であった。だからこそ彼、仙谷由人は「毛沢東バンザイ」などととぼけたことが言えるのだ。かれは共産主義者などとは言えない。そもそも自称で共産主義を名乗っているもののほとんどは、本当は官僚主義者である。仙谷由人も薄汚い、民主党の党官僚である。

 政治は民衆の支持を集めてナンボ。であるから詳細な理屈なんぞは、屁の役にもたたない。『自衛隊を暴力装置と言った』こういった、一般ウケすることで押しまくって、野党が参議院で、仙谷由人の問責決議を押し通したのは、正解である。

 

 いやしくも、議会民主主義を標榜する、民主党であるならば、参議院の議決は尊重せねばならない。

 自党から出た、参議院議長の西岡氏に、ああ  『 菅首相と仙谷氏を酷評「国を担う資格なし」 』  まで言われてしまった。

 

如何に厚顔無恥な菅直人でも、ここまできたら 仙谷の首をすげ替えるしかない。
ここまで追い込まれてきた。  無能で恥知らず、ザマアではある。   そう思う方
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 Francine Lecomte ♪  (※1)
フランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日「フランシーヌの場合」が出来た。
 

 

 

2010 11 16 深々と頭を垂れる、勇者 保安官は清々しい 【わが郷】 
          ところで、仙谷感冒は何度も書くが、ヘタレな 『弁当運び』 である。

 

 

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小沢幹事長の迷走で、支那野戦軍は消耗戦

2010年04月28日 | 政治

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指令の命令に従わない、海軍などは「オモチャの軍隊」

☆潜水艦が浮上して、艦隊陣形☆ なんてのは、どんな海軍の教科書になら書いてあるのか。実に馬鹿げている。自衛艦に90メートルにまで接近した、危険なチュウゴク海軍のヘリコプターに関して、日本の外交筋が、支那当局に注意喚起をしたのは当然のこと。操縦の下手なパイロットが日本艦艇のマストにでも触れて、墜落でもしたら「可愛そう」の親切心から出た外交行為。それに対して 程駐日大使:「中国海軍ヘリ接近」問題視に不快感 【毎日】 とは常識が無い。4,000㍍はなれて監視していた自衛艦が近すぎて、90㍍にまで接近した支那軍のヘリは近くないというのは、子供の言い訳以下。もっとマシな言い訳ができそうなもの。、「それ以上、日本の軍艦に近づくな」と、何度も無線で指示が出ていたと海自には正確に支那軍の放埒ぶりは事実把握されていた。ヘリ異常接近は独断?…中国艦指令の命令を無視 【読売】と現場の状況はつぶさに日本国内にも、報道されている。潜水したままでは、何処へゆくか判らない潜水艦や、指令の命令に背いて道草を喰うヘリなど、まるで統制が取れていないのが、支那の海軍なのだろう。それに加えて、外交官まで国際常識の軌道を外れて、チンピラよろしく突っかかる様では、チュウゴク国民にも馬鹿にされるのがオチ。

浮上するのは、降参の意思表示 日本に手を出した国は亡びる、と云われています の記事の中に書いてあります。

 現金の魚雷攻撃で敵の政治家を沈めるのが、潜水艦「金型一番艦」の任務のハズ。それが操艦の間違いで、浮上したまま選挙戦の海域にマグレ込んでしまっています。汚沢艦長の操艦はまさしく日本人ばなれした、厚顔流なのです。検察審査会の議決では起訴が相当とされました。

目標艦はここだよの、発信器まで撃ち込まれてしまった。これでも戦線離脱しないのならば、民主党艦隊の被害は甚大です。これが韓流マスコミの推奨する「選挙の神様」なのでしょうか。これから3ヶ月が大事な実質選挙戦です。この間中、賛否両論あるいは、検察審査会の陰謀論でも云うのでしょうか。朝鮮マスコミのガンガラ、ゴロゴロのゴミの空き缶鳴らしながら、どう戦う というのでしょうか。
88式地対艦誘導弾(SSM-1)試験映像 FULL
 上図のビデオは、此処をクリックすれば見られます

 

 

検察審査会の議決 政界の反応 【NHK】

さてこれからの小沢幹事長の去就と、与党や野党の動きが見ものです。彼に批判が集中すれば、反対に自分の株価が上がるというもの。政治の世界はそうしたもので、実にえげつない本心が原動力なのでしょう。

 

フルシチョフのスターリン批判

 軍事的な覇権と、政治的な指導性から離脱し、民族独立の民主制を築こうとした戦いがありました。1956年のことですから今から半世紀以上前のことです。昭和31年の日本ではソ連との間で9月に共同宣言がおこなわれ「ソ連は平和条約締結後歯舞諸島と色丹島を引き渡す」ことが約束されました。

                                                   

脱水装置付洗濯機や自動ホップアップ型トースターが売り出され、「もはや戦後ではない」
という言葉が聞かれるようにもなりました。終戦から11年が経過して、食糧や衣料品は行き渡り、電化製品も次々と新しいものが市場に出てきています。

 

スターリンの死後3年経ったのが1956年2月のこと、ソ連共産党第一書記フルシチョフは、歴史的なスターリン批判の演説をおこないました。

個人崇拝を推奨し独裁政治を行い、大粛正をおこなった悪逆のありさまを批判したのです。
特に大粛正で殺された人たちの数は、あまりにも多くその実態を知ればすべての人が戦慄します。詳しくは スターリンの大粛正 の抄出の記事紹介をご覧下さい。

 

ハンガリー動乱

フルシチョフのスターリン批判は1956年の2月です。当時も今もハンガリーは人口が1,000万人であり、日本に比べれば小国ですが、民族の歴史と誇りは負けてはいません。

ヒトラーの枢軸国がわで戦ったハンガリーはソ連軍に全土を占領され、政府はスターリンの傀儡政権に取り替えられていました。民主的な政権を作ろうと、ハンガリーの学生、労働者そして知識人がデモをおこないました。その中でソ連軍の戦車と衝突が発生してしまいました。火焔瓶やライフルでの攻撃を受けて、いったんソ連軍は撤退しました。

なにかこの構図はタイの政情不安とも、似ている部分があります。米国のアイゼンハワー大統領の周辺では、「鉄のカーテン」からハンガリーを救い出す等と言ったにもかかわらず、政変が実際に暴力的な対立の中で進み出すと、アメリカは口先だけでした。只、傍観するばかりです。そんな中で、体制を立て直したソ連側は戦車隊を押し立てて、革命騒ぎを押し潰しはじめました。

結果、10月の25日には革命騒ぎの鎮圧の大部隊が投入された。都合一千両を遥かに越える戦車と2万名以上の戦闘部隊が投入されることとなった。まさに「戦争」の配備であった。これに対して、火付け役のアメリカ、資本主義陣営では、口先だけでソ連とことを構える気配はない。これで現場では1,000名以上の革命家が命を落とし、ソ連等の制圧がわも数百名が落命しました。

支那チュウゴクの野戦軍司令官

小沢民主党幹事長は、支那の野戦軍司令官なのだそうな。中国の富裕市民や豪農の金蔵や穀物倉庫をおそって、金品を略奪するのはお手の物。しかし此処は日本国です。法と秩序の蔑(ないがし)ろにされる荒野の支那ではありません。政党助成金を盗み、ダム建設の見返りに賄賂を強要する無法は通りません。

コミンテルンのスパイや、飴ポチの多数生息する司法界は、油断がなりません。そこで新しく検察審査会の制度が作られました。そこで小沢の不起訴はまちがいで、本当は起訴が妥当との決定が下されたのです。

手放し運転の鳩山由紀夫首相はあいかわらず、政府最高責任者の指導責任を放擲したままです。巨額脱税を謀り、検察の追求を潜り抜けたずるさでは天下一品のズル夫です。すべてなりゆきまかせなのでしょう。小沢が「犯罪者」の指標をつけたまま泳ぎ回れば、参院選挙では民主党は多くの浮動票を失うでしょう。結構なことです。司法試験も通れない夜盗のアホウが執行部の長では、大きく議席を減らすのでしょう。これで売国の野望は打ち砕かれることでしょう。

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アクセスの記録  2010.04.27(火)    1368  PV     369  IP     2048 位  /  1401731ブログ

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