田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

与論島の情景

2015-09-20 04:10:21 | 日記

 昔を偲び 今を知る。



 断酒日記を三日間続けて載せたらランキングが急上昇してしまったので、
 元に戻さなければヤバイことになりそうだ。
 日常に戻って
 ランキングは気にしないといっても
 やっぱり気になる。



 50~100位が保てれば気負うことなく書けるだろう。


 
 久しぶりの
 ウーファーを迎えたあと
 ミーティングを兼ねての島めぐりをしてきた。



 連休のせいだけではなく
 今年は観光客が目立って増えている。
 水着姿を見かけることも・・・、



 若いっていいなー・・・。

 63歳を振り返るといろんなことがあった。



 私が10歳のころは
 旅館と言われるのが3件しかなかった。



 便利屋といわれた旅館のおかみさんがが写っている写真は
 写真家和田さんの作品。
 


 昔の日記と違って、
 現在は写真も一緒に記録として残せる。
 ブログに載せるために撮る事が多い写真の記録も
 整理して分類しておくと
 貴重な民俗学の資料として役に立つだろう。



 定期船もそのひとつだとしたら、
 Aラインとマリックスラインも撮っておこう。



 そしていつかは手がけたい
 自分史

 やりたいことが 
 ありすぎる。



 後一月でに依存症の治療入院から3年が来る。
 アルコール依存症は治療で止められる実績を残したい。
 しかも おまけがついて
 人生が豊かになった。


断酒日記より(日常内観)

2015-09-19 04:27:35 | 日記
           平成25年1月5日(土)




  いろは歌より

 名を今に のこし置ける人もひと
        こころも心 なにかをとらむ




 名声を今回に残すような立派な業績を上げた人と言えども
 同じ人間であり、心も同じである。
 自分が劣ることがあるものか。



  日常内観・断酒のみちしるべ」より転記

 
 ・ 断酒することは、アルコール依存症の人にとって、
   当然の責任であり、義務である。

 ・ 無理していやいやながら断酒することはない。
   そんな断酒はどうせ永続することはないのである。

 ・ 断酒しようとする人にとっては、酒との離別と並行して
   そこに現実的なモデルを必要とする。
   それはまぎれもなく断酒している人々のなかから見出されてくるに違いない。

 ・ 現実離れした人間が現実社会に生きてゆける道はない。
   あらゆる天才的才能も、空想的偉大な計画も、それが現実味をおび、
   具体化してこそ現実社会で生かされるのであって、
   現実化しない空想的偉大な計画は白昼夢にすぎない。




  私たちのなかには自分の古い考えにしがみつこうとしていた仲間もいたが、
  完全にその考えを捨てないうちは
  結果は何も生まれなかった。
  (ミーティングハンドブックより)


アルコール依存症の私(断酒日記より)

2015-09-18 05:05:52 | 日記

 日常内観(鏡は自分を見るものだけではない)




  今日のできごとはとても勉強になった。

  ふたつのものを見分ける賢を・・・・、」  だ。

  受け入れることができた。
  そして今 落ち着いている。



 自分が変えられないものを変えてゆく勇気、
 そしてふたつの勇気を選ぶ、決断と迷い、
 全体のものに責任があるとしたら どちらを選ぶだろうか?
 これが迷いであり 人情である。
 夢の実現のためには 務めを果たすことであるが
 それだけでいいのだろうか。
 まず、自分の道具で試してみよう。
 不自由を事由となす。

  忘れ得ない出来事になるであろう。




  礼するハ人にするかハひとをまた
    さくるはひとを 下るものかハ



  人に礼儀を尽くすのは他人にしているのではない。 
  また人を見下すのは結局は自分を見下すのと同じである。

アルコール依存症患者の日記より・・・。

2015-09-17 04:22:12 | 日記



          平成24年10月24日



 今、点滴をうってもらっている。
 入院初日目。
 B棟の南側のベッドからは外の景色が見える。
 6ベッドある。

 B棟オリエンテーションをもらった。
 SA棟(アルコール専門病棟)に空きがないので
 空席待ちになっているが、丁度良かった。
 自分の病状の進行過程がわかるからだ。



  日 常 五 心

 1 すみません」という、反省のこころ

 1 はい」という、素直なこころ

 1 おかげさまで」という、謙譲のこころ

 1 させていただきます」という、奉仕のこころ

 1 ありがとうございます」という、感謝のこころ

    (反省、素直、謙譲、奉仕、感謝)



  一週間してやや落ち着いたようだ。  
           11月1日 木



 2時半ごろ起床
 昨日昼過ぎから右肩付け根が痛くなって、夕食時に鎮痛剤をもらって
 飲んで早寝(6時半頃)でした。
 夜中まで痛みが残っていたが、起きたころはだいぶ良くなって
 3時から「妙見島夕景」を読み終えたところである。

 こんなさわやかな小文を書きたい。
 曽野綾子著「一条の光」のなかに納められている。

 冷水でコーヒーを入れて、
 4時の見回りを待っている。
 そろそろ電気を消そう。
 シリウス、三つ星が窓から見える。

 見回り通過、
 十六夜はひさしに隠れて見えないが
 フォーマルハウが山の端にげる

 5時15分
 与論の自宅に方位が似ている
 廊下の東窓から金星が見えている。
 
 「百済観音」を読み終えたら朝の散歩ができるだろう。



 採血は月一回とのこと。


屋敷の神様に守られて生きて・・・。

2015-09-16 04:36:06 | 日記

  水害のニュースを見ていてつくづく思う。
 
 住居をどこに定めるかということは
 利便性だけではなく
 安全安心、防災の面からも検討しなければならないことだ。



 私の先祖が朝戸(朝足)から古里に移住したのが江戸末期から
 明治の初期にかけてのようだ。
 パルシニグ道でその移住経路がおおよそわかるが、
 二代目盛窪の父、玉恵窪がどの番地に住んでいたかが特定できていない。
 祖父の残した系図によると
 玉恵窪の兄と姉があるのでそこから調べてみよう。



 昨日の神拝みで語られた 
 龍美の剣の由緒をつきとめるときが来ている。
 初代盛窪まで遡るには
 川畑家と徳田家の系図を調べなければならない。
 竹姓については
 玉恵窪の妻ハナの系図から来ていると思われる。
 このあたりは戸籍で確かめることができるので
 それと思われる筋にあたってみたい。



 シニグや神拝みのことを知るには
 一族の系図が重要なことはわかっていたが
 色々な事情があって現在にいあっていることもあり
 聞き取りをしてこなかったが
 この年になってもう後がないと思い切ることにした。


 
 私の自宅での神拝みは
 屋敷を構えた先祖二代目盛窪、初代玉恵窪を拝んでいると
 祖父の書き残した文書から読み取れた。



 三代目の私
 盛窪が神拝みされても恥ずかしくないように
 これからも屋敷の整備をしていくつもりでいる。



 スーマシをつくりながら
 神拝みについて熟考することができ
 日々これ好日 いい日でした。