wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

函館決定版ツアー(センチュリーマリーナに宿泊)

2024-11-24 12:46:55 | 旅行記
令和6年11月16日17日(土・日)に、「往復北海道新幹線利用の函館決定版!異国情緒の港町15奏2日間」のツアーに行ってきた。私は北海道にはまだ行ったことがなかったので、人生初めての北海道である。主人は生まれが江差という所なので、小学校に入る前まではそこに住み、青函連絡船に乗って津軽海峡を渡り、川崎の方に来た経歴がある。だから私ほどは高揚感はなかったかもしれない。
また、私は北海道新幹線にも乗ってみたかったし、青函トンネルを通るときにはわくわくもした。海底100メートルのところを掘って通ているらしい。
でも、私が一番感動したのは、五稜郭でも、100万ドルの夜景でも、函館元町でもなく、宿泊したセンチュリーマリーナ函館の朝食だ。ホテルにチェックインするときに渡されたパンフレットに、朝食の時間配分が書いてあって、朝6時から始まるが、1時間ごとの待ち時間がどんどん増えている。私たちは6時に行ったので待たずにテーブルに案内されてよかったが、それでも名物の刺身取り放題のところはもう列になっていた。和洋折衷種類が豊富で迷ってしまうくらいである。私も数多くのホテルに泊まったが、美味しくてこれほどのバラエティに富んだ料理の数はあまり経験ないと思う。
  


では、順を追って記載しておこう。
まずは東京駅8時18分発のはやぶさ7号の新幹線に乗って、新函館北斗駅に12時15分に着く。昼食は東京駅のコンビニでおにぎり2個買う。おにぎりの中に3つの具が入っているジャンボおにぎりを買ってみた。
  

函館ではじめに行ったのはトラピスチヌ修道院(日本初の女性の修道院)、今は60人位修道女として生活しているらしい。
        

次は函館八幡宮、函館の総鎮守である。延命の桜があり、台風により幹が折れたが、また復活をした桜の木があった。
     

異国情緒あふれる元町の散策をした。鎖国から最初に開国した街だ。坂が多く教会も多い町だった。有名な八幡坂も見た。
北島三郎の出身高校もあった。1階は和風、2回は洋風な家が多く、坂の下から見たら洋風しか見えず外国の街のイメージを残したんだそうだ。道幅が広いのは火事が頻発したので、消火作業のしやすいためとか。お寺も木造で焼けてしまったので石のお寺が作られていた。
                              

函館山山麓にある海鮮グルメの夕食を食べる。
 

次に函館山の100万ドルの夜景である。こんなに人がいたのかというくらいロープウエイは並んでいた。ロープウエイ乗り場の中にラジオ放送のブースがあり私の大好きなGLAYがそこで放送したのかサインが飾ってあった。
上る時も時間がかかったが、下る時も然りである。早々と降りてきた。
   

1日目が終わり、2日目である。
朝食は前に書いたとおりであるが、露天風呂も良かった。外の景色が眼下に広がり壮大であった。露天風呂では体を伸ばせるように設定してあり、力を抜くと浮いてしまう感じになって気持ちよかった。
朝食後散歩をした。以前使われていた青函連絡船が資料館になって展示が見られるようになっていた。でも私たちは2等客室が今は展示室になったいるのを表の看板で確認して中を見ずに帰った。カモメがぎゃ~ぎゃ~うるさかった。
函館の朝市に行って、昼食を食べる。
       

次に五稜郭(函館戦争の舞台になった日本初の星型西洋式城塞)である。五稜郭タワーを上り、上から五稜郭を見る。新選組の土方歳三が最後まで戦った函館戦争のこと等、函館の歴史が展示してあった。
          

最後に小雨が降る中、大沼国定公園(雄大な駒ヶ岳を望む日本新三景といわれている)にいく。そこで遊覧船に乗って大沼を
遊覧。天気が良ければ素晴らしかっただろうが、いささか雨で煙っていた。この沼は噴火の後、溶岩が流れ出で堆積したので、浅くてたくさんの島ができていた。
       

帰りの新幹線まで時間があったので、新函館北斗駅でぶらぶらしていたら、この辺りは世界遺産に登録されているらしく、私たちの好きな土偶や埴輪の展示がしてあった。
        

1泊2日の強硬な旅であったが、全体的に見どころ満載で、充実したな旅行でした。
添乗員さんが行きの新幹線で隣に座ったこともあり、また年齢が同じくらいの方でもあって、いろいろ楽しい話ができた。添乗員という過酷な大変な職業であるが、それでも旅行が好きだからやっていけるし、私的でもよく行っているとのことでした。繁忙期は休みなしで次のツアーということもまれにあるとか。ご苦労様です。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土偶・埴輪を求めて

2024-10-26 09:23:29 | 近隣旅行記
令和6年10月19・20日(土・日)と、茨城県・千葉県方面へ、外国人風な埴輪があるというので、それを見に行ってきた。ついでに、近くの小田城,筑波山、犬吠埼と有名どころにも立ち寄った。
まずは、千葉県にある房総風土記の丘資料館、一見ただっぴろい所に古墳が点在していて、見ずらくて次のところに行こうかと思っていたところ、古墳群だけでも見ようかと思い直し、裏手に回ったところ、立派な博物館があった。せっかく来たのだから入ってみようと入ったところ、65歳以上は無料とのことでラッキーだった。それに施設が思いのほか充実していて、特に、浅間山古墳の実物大の石棺が展示されていて、見事だった。博物館から少し離れたところにこの石棺が埋まっていた浅間山古墳がそのまま残っていた。すごく大きくてさぞかし権力を持った大君が祀られているのだろうと感じた。

出入り口のところに、1回300円のガチャガチャがあり、埴輪や土偶がゲットできる。試しにやってみたら、合掌土偶(前2000年~前1000年前)、踊る埴輪・男性(7世紀)、みみずく土偶・金が当たった。


次に千葉県の山武郡芝山町にある埴輪博物館に行く。
ここには「日本に渡来した秦氏の中にユダヤ人の集団がいたのではないか。そしてそのユダヤ人をモデルにした埴輪がどうも外国人的な顔つきの埴輪ではないか。」と主人が言っていたので、確認しに行ってきた。果たしてその顔つきを見ると、日本人的ではない。そして着ている服装もまたしかりである。果たしてどうなのか。7世紀ぐらいの古墳時代に大陸から日本に人々が移動してきたかと思うと不思議である。
   

博物館自体は風土記の丘の方が充実していたので、すぐに切り上げて次に行った。
  


時間があるので、犬吠埼に行く。そこの掲示物には千葉はかって島だったと説明書きがあった。
       


宿泊は主人が予約したビジネスホテル。一人3500円。安いけど、もう少しお金使って( ^ω^)・・・

次の日急遽、霞ヶ浦近くの「小田城」に行く。大河ドラマの「頼朝と13人の御家人」で市原隼人さんが演じた八田知家が築いた城である。
また、南北朝時代、小田家はこの地方の南朝の中心になった。南朝勢力の参謀役であった北畠親房は小田城に在城し、東国の勢力挽回を図り、「神皇正統記」を執筆した。のちに足利尊氏に攻撃され、尊氏に従うことになる。
                     


筑波山へいく。茨城県つくば市にある標高887メートルの山で、男体山と女体山と二つの山が連なっていた。ケーブルカーで上まで登り、ケーブルカーで戻ってきた。筑波山神社の境内ではガマの油の口上を見せていた。
                


最後に埴輪がたくさん置いてある「はにわの西浦」に行って、金運がアップするという「大宝神社」によって帰路についた。
         


今回も「城めぐり」アプリで、小田城をはじめとする12城の城を集めてきた。計811城になった。
行きは首都高を通って、ディズニーランド方面から行き、帰りは圏央道を使って私が運転して帰ってきた。
無事に楽しめたことに感謝である。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三保の松原・寸又峡・奥大井湖上駅と絶景、秘境スポット目白押し

2024-09-16 13:03:14 | 近県・県内の名所
令和6年9月14・15日(土日)とクラブツーリズムのツアー「富士山を仰ぐ絶景スポットと個人では行きにくい秘境寸又峡・奥大井湖上駅2日間」に行ってきた。このネーミングうまいな、思わず行ってみたくなった。そういう人が多いのか、バス2台になった。寸又峡や奥大井湖上は山奥なので大型バスでは行けないので中型になったためと添乗員さんが言っていた。

9月になってもこの暑さ。今回もうだるような暑さの中での行程であったが、ずーとカンカン照りではなく、時々は雲で太陽を覆う時もあった。何しろ歩くことが多いツアーで、これは参加して分かったことなのだが、2日目の寸又峡では3時間もの散策時間があり高低差のある山道をずーと歩いていなくてはならない。何と2万歩は下らない結果となった。なので雨が降らなくて本当によかったと思った。

では行程を書いておこう。
1日目はまずは三保の松原、富士山の絶景スポットである。こういっちゃあなんだけど、富士山は雪がかぶっていた方が富士山らしいなと感じる。天女が羽衣をかけていた松は3代目になっていた。
前に東海道を歩いていた時に、この辺まで来たんだけれど三保の松原は見つけられなくてスルーした経験があった。なのでリベンジしたいなと思ってこのツアーに参加したいきさつもある。
砂浜を歩き、打ち寄せる白波を見て、海の青さと富士山が織りなす風景は雪はなくてもさすが絶景である。古の昔から人々はこの景色に魅せられてきた。世界遺産の登録されている。
神の道なる松林の中を歩き、東海道を歩いた人たちが感嘆したこれが三保の松原なんだなと感じた。

今度は三保港から日出港までミニクルーズ。船からの富士山を見られた。三保港と書くと大きな港を想像するが、桟橋である。
   

エスパルスドリームプラザという所で自由昼食。サッカーが盛んな静岡。ここでは清水エスパレスの選手の人たちの実物大の写真とか掲げてあった。ちびまる子ちゃんで有名なさくらももこさんの出身地ということでちびまる子ちゃんに関する催しも開かれていた。清水市は合併で静岡市となったとか。
 

高台から港とすそ野が広がる富士山を望むことができる日本平夢テラスへ行く。隈研吾さんの事務所が設計した。
赤い靴のモデルとなったお母さんがこの地の出身だそうで、像が建てられていた。
  

大井川に架かる世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」。890mもあり、「やくなし」と読めることから、渡ると厄がおとせると言われているらしい。大井川は上流にダムがいくつもできているせいか、江戸時代に参勤交代で殿さまや旅人たちが渡れなくて困った「越すに越されぬ大井川」とはだいぶ違い、川幅の中に何本かの川ができている状態だった。
    

宿泊は掛川にあるサウスウイングという、大きなリゾートホテル。敷地は東京ドーム23個分もあるんだそうだ。お風呂に行くのに無料シャトルバスに乗っていかなければならないというので、私たちは部屋風呂にした。でも食事はよかった。和洋どちらもあって種類が豊富で、カニは食べ放題で、餃子やオムレツもその場で焼いくれていた。

2日目は大型バスでは行けない寸又峡に行く。「夢のつり橋」が有名だそうだ。寸又峡は大井川の上流にある。だからずーと大井川に沿ってバスを走らせていた。
           

寸又峡には温泉もあった。3時間も滞在するので、夢のつり橋の入り口まで行って引き返してこようと、黙々と暑い中、木陰を選びながら上る。それに今日は人が多いので一方通行になっているという。夢のつり橋を渡ったら引き返せずに、ぐるーと、もう少し上流にある飛龍橋を渡って戻ってこなければいけない。それに夢のつり橋は谷底にあるので、そこまで降りて、橋を渡り、また上って、飛龍橋まで歩かなければならない。私たちの足腰では無理なので、早々リタイアして、上から夢のつり橋を見て、高低差のないまま歩いて飛龍橋を見て、下に戻ってきた。それでも1時間以上時間があまりバスに乗ってみんなを待っていた。
                

次に、奥大井湖上駅に行く。その名の通りきれいなエメラルドグリーンに輝く湖面にあった。
大井川鉄道「南アルプスあぷとライン」の駅である。そこの駅まで行くのも細い急な山道をひたすら歩く。なるほど秘境である。中部の駅100選に選ばれている鉄道ファンには喜ばれる駅なのであろう。
奥大井の渓谷の景色をのんびり車窓から約1時間かけて終点の千頭駅まで行く。途中原島ダムで放水しているところが見られたり、大井川の様々な景色が見られた。崖ぎりぎりに電車が走っていたり、小石が線路に落ちていて電車が止まったりとローカル線ならではの光景もあった。
                     

千頭駅ではトーマスの電車があった。どうも以前トーマスの電車が走っていた線路が廃線になり、お金がないために元の場所にも帰れない状態なのだそうだ。きかんしゃトーマスといえば子どもには絶大な人気を博しているのだろうが、ここにいるとなんだか物悲しい。
   

帰りは最終のバスにぎりぎり間に合いそうだと帰ってきたが、何と1時間見間違えていたようで、もうなかった。タクシーは待っていたがなかなか来ない。家の方面に行くバスに飛び乗って、途中から家まで歩く。おまけに小雨が降っていた。
まあ最後に小雨にあったが、無事に行ってきたことに感謝しよう。
実は2,3日前から腰が痛くて、歩きが多そうなツアーで大丈夫かなと心配していたが、何とか乗り切った。頑張った。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城めぐりで川越城・鉢形城へ

2024-08-16 13:29:24 | 城めぐりアプリの巻
令和6年8月13日(火)、7・8月はお互い用事があって、それにお盆も重なり、しばらく会えないので、まだゲットしていないお城を攻略に行こうということで、武蔵方面に行ってきた。
なにしろこの暑さである。炎天下の下、歩いて倒れたりしたら大問題であるので、今回はほんと電車でゲット方式で行ってきた。
まずは、川越城方面。
池袋から東武東上線に乗っていく。川越では小江戸名所めぐりバスが出ており、最初は川越城本丸御殿で降りるつもりであったが、川越城は駅を降りたらゲットできたので、そのまま乗って、バスからの景色を見てきた。
喜多院という所では3代家光の乳母である春日局関係のものがあるらしい。だるま市が有名で「川越大師」として親しまれているとか。

太田道灌が建てた城でもあるらしく、川越市役所には道灌の銅像が立っていた。

川越氷川神社は1500年前の古墳時代に創建された古い神社であるという。この辺は昔から拓けていて、この地を治めていた豪族がきっといたのであろう。

川越駅からまた東武東上線に乗って寄居駅からバスに乗って鉢形城へ行く。この路線は途中の森林公園駅までのが多く、この駅からだいぶ待って目的地へ行った。でも、電車に乗っている最中にバスの時刻表を検索しても分からなかったり、それに何と鉢形城歴史館が休館日であったりで、結局は降りずに戻ってきた。鉢形城はゲットできたからそれは良しとする。
今回は川越城や鉢形城をはじめとする12城をゲットすることができました。総数は794城です。こうやって乗っているだけでゲットするのはちょっと物足りない感じもするが、少しは検索したりして知識が広まったので良しとしよう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸新幹線で越前福井県の有名所の旅へ

2024-08-04 09:33:45 | 旅行記
令和6年8月1日2日3日(木金土)と、福井県の有名どころへ行ってきた。
実は春頃に外国旅行ベトナムへ予約して楽しみにしていたんだけど、7月になって中止の連絡があり、とても残念だったけど、急遽、同じ日程の今回の旅行に予約を入れた。
ツアーの名前は「北陸新幹線延伸開業 特別企画 越前・若狭まるごと10景ハイライト 3日間」と少々長い名称だが、その名の通り見どころ満載で、福井県を網羅した感じだった。
全くもって残念なことに、たくさん写真を撮ってきたのに、1日目の写真が全部消えてなくなってしまった。どうしたことか原因が分からないまま、このブログを書いている。
ちなみに1日目の行程は、サスペンスドラマで犯人を追い詰める場所でよく使われている東尋坊。何とこの地名はこの場所から突き落とされたお坊さんの名前なんだそうで、驚いた。高橋英樹さんが立っているのが目に浮かんだ。
次に行ったのは、一乗谷朝倉氏遺跡。戦国時代の城で一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏及び家臣の居館)からなる。戦国5代目の朝倉義景が足利義昭を迎え入れたことでも有名である。夜には、丸岡城のプロジェクションマッピングに行った。この城にまつわる歴史や伝説が丸岡城に色鮮やかに映し出されていて、きれいだった。またこの丸岡城は柴田勝家の甥の勝豊が建てた。
この丸岡には、日本一短い手紙コンテストがある。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」と家康の家臣が陣中から奥方に書いたこの文が、短い文の中に伝えたいことが端的に書かれてあることから有名になり、毎年一筆啓上コンテストが開かれていて、全国から応募があるらしい。一つ記憶に残っているのが、娘さんからお母さんへあてた手紙で、「上京して気づきました。私がだだいまという前にいつもお帰りなさいと言ってくれていたことに」
一日目で行ったところは、リンクを張って、それで写真を見るしかない。仕方ない。 

2日目は、越前大野城からである。「天空の城」と呼ばれ、年に数回、地上に雲が湧き出し、城が浮かんでいるよに見えることがあるようである。石垣が見事で昔のままで現存していた。野面積み
大野城の天守から見た景色

白山平泉寺へ。苔寺として有名なんだそうだ。また、東尋坊の地名にもなったお坊さんの東尋坊がこの白山平泉寺で修行していたということも驚いた。
本社にあった昇り龍・降り龍の彫刻は見事だった。足の形をしたくぼみが弁慶の足跡とされていて、この足跡を踏むと走るのが速くなるといわれているそうだ。ちなみに義経はここから平泉に出立したとか。東尋坊たちが住んでいたとされる場所が入口のすぐ脇にあった。

次に、福井県立恐竜博物館。夏休みだからかとても混んでいた。福井といえば恐竜である。最初に発見された「ワニ」、そして、のちに命名された「フクイザウルス」にもお目にかかった。
1億5千万年前の地層から発見された恐竜の化石たち。白亜紀といっていたが、どれだけの時間なのかもう想像もできない。
            

次には近くの勝山駅からローカル列車「越後鉄道」に乗って永平寺口駅まで。
     

永平寺へ。曹洞宗の大本山であり、僧侶が修業する場である。

伽藍の一つに傘松閣(さんしょうかく)があり、この天井に花や鳥の絵が描かれていて、鯉2枚、唐獅子2枚、リス1枚の計5枚の彩色画を見つけると願いが叶うといわれて探したけど、3枚しか見つけられなかった。

3日目の朝、泊っているアパホテルの周りを散策する。福井城があり、本丸は今は県庁になっていた。家康の次男の結城秀康が関ヶ原の戦いの功績により拝領したそうだ。勇ましい銅像が立っていた。
        

三方五湖のレインボーライン山頂公園へ行く。ここは前に行ったことがあるので、一応リフトで上まで行ったけれど、如何せん、クマンバチがたくさんいて刺されると怖いので、すぐ降りてしまった。でも、景色はよかった。日本海は波もなく紺碧に輝き、太陽の日射しを浴びてきらきら光っていた。

昼食は日本海さかな街。ここはさすが海に近いだけあって、お金を出したかいがあったというほど美味しかった。

最後の名所は「氣比神宮」。高さ10.9メートルの木造の大鳥居は有名だ。春日大社、厳島神社と合わせて3大鳥居といわれている。7柱(神様の数え方、ひとはしら、ふたはしらと数える)の神様を祀ってあるそうだ。北陸道総鎮守である。
この神宮の近くに「金ヶ崎城」がある。今読んでいる「極楽征夷大将軍」で新田義貞がこの城を本拠地にして尊氏らと戦ったと書いてあった。それに、足利直義(あしかがただよし・尊氏の弟で実際の政務を執り行っていた)が兄尊氏と袂を分かった際にこの金ヶ崎城を本陣に措いたところでもある。
偶然にも近くに行けてラッキーと思ったが、山を越えた海側だと聞いて実際には見ることはできなかった。山は撮ってきた。
         

最後に越前そばの里で試食とお土産を買う所によって終了となる。この越前そばは偶然にも3日前に福井駅に着いたときに、昼食時間が与えられ、何人か待っていたが、美味しそうだからと名物とは知らずに食したそばだった。大根おろしとねぎと鰹節が乗っていて並んだかいがあったと思った。これもちゃんと写真に撮ったのに残念だ。
 

終わってみれば3日間はあっという間だった。今回はほんと10景といううたい文句そのままで、見たり歩いたり強行スケジュールで、それにこの炎天下。バスに逃げ込むという表現がぴったりであった。でも添乗員さんが物腰が柔らかく、参加者もみんな協力的でよかった。総勢41人もの参加で家族や友人で参加はもちろん多かったけれど、今は一人で参加する人たちが結構いて、そういう時代なんだなーと思った。

また、今回も恒例の「城めぐり」アプリを起動して、78のお城をゲットしてきた。
主なお城としては、一乗谷城、福井城、小松城松任城勝山城越前大野城波多野城富山城金ケ崎城敦賀城等々である。現在の総合計は782城である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする