令和6年10月19・20日(土・日)と、茨城県・千葉県方面へ、外国人風な埴輪があるというので、それを見に行ってきた。ついでに、近くの小田城,筑波山、犬吠埼と有名どころにも立ち寄った。
まずは、千葉県にある房総風土記の丘資料館、一見ただっぴろい所に古墳が点在していて、見ずらくて次のところに行こうかと思っていたところ、古墳群だけでも見ようかと思い直し、裏手に回ったところ、立派な博物館があった。せっかく来たのだから入ってみようと入ったところ、65歳以上は無料とのことでラッキーだった。それに施設が思いのほか充実していて、特に、浅間山古墳の実物大の石棺が展示されていて、見事だった。博物館から少し離れたところにこの石棺が埋まっていた浅間山古墳がそのまま残っていた。すごく大きくてさぞかし権力を持った大君が祀られているのだろうと感じた。
出入り口のところに、1回300円のガチャガチャがあり、埴輪や土偶がゲットできる。試しにやってみたら、合掌土偶(前2000年~前1000年前)、踊る埴輪・男性(7世紀)、みみずく土偶・金が当たった。
次に千葉県の山武郡芝山町にある埴輪博物館に行く。
ここには「日本に渡来した秦氏の中にユダヤ人の集団がいたのではないか。そしてそのユダヤ人をモデルにした埴輪がどうも外国人的な顔つきの埴輪ではないか。」と主人が言っていたので、確認しに行ってきた。果たしてその顔つきを見ると、日本人的ではない。そして着ている服装もまたしかりである。果たしてどうなのか。7世紀ぐらいの古墳時代に大陸から日本に人々が移動してきたかと思うと不思議である。
博物館自体は風土記の丘の方が充実していたので、すぐに切り上げて次に行った。
時間があるので、犬吠埼に行く。そこの掲示物には千葉はかって島だったと説明書きがあった。
宿泊は主人が予約したビジネスホテル。一人3500円。安いけど、もう少しお金使って( ^ω^)・・・
次の日急遽、霞ヶ浦近くの「小田城」に行く。大河ドラマの「頼朝と13人の御家人」で市原隼人さんが演じた八田知家が築いた城である。
また、南北朝時代、小田家はこの地方の南朝の中心になった。南朝勢力の参謀役であった北畠親房は小田城に在城し、東国の勢力挽回を図り、「神皇正統記」を執筆した。のちに足利尊氏に攻撃され、尊氏に従うことになる。
筑波山へいく。茨城県つくば市にある標高887メートルの山で、男体山と女体山と二つの山が連なっていた。ケーブルカーで上まで登り、ケーブルカーで戻ってきた。筑波山神社の境内ではガマの油の口上を見せていた。
最後に埴輪がたくさん置いてある「はにわの西浦」に行って、金運がアップするという「大宝神社」によって帰路についた。
今回も「城めぐり」アプリで、小田城をはじめとする12城の城を集めてきた。計811城になった。
行きは首都高を通って、ディズニーランド方面から行き、帰りは圏央道を使って私が運転して帰ってきた。
無事に楽しめたことに感謝である。
まずは、千葉県にある房総風土記の丘資料館、一見ただっぴろい所に古墳が点在していて、見ずらくて次のところに行こうかと思っていたところ、古墳群だけでも見ようかと思い直し、裏手に回ったところ、立派な博物館があった。せっかく来たのだから入ってみようと入ったところ、65歳以上は無料とのことでラッキーだった。それに施設が思いのほか充実していて、特に、浅間山古墳の実物大の石棺が展示されていて、見事だった。博物館から少し離れたところにこの石棺が埋まっていた浅間山古墳がそのまま残っていた。すごく大きくてさぞかし権力を持った大君が祀られているのだろうと感じた。
出入り口のところに、1回300円のガチャガチャがあり、埴輪や土偶がゲットできる。試しにやってみたら、合掌土偶(前2000年~前1000年前)、踊る埴輪・男性(7世紀)、みみずく土偶・金が当たった。
次に千葉県の山武郡芝山町にある埴輪博物館に行く。
ここには「日本に渡来した秦氏の中にユダヤ人の集団がいたのではないか。そしてそのユダヤ人をモデルにした埴輪がどうも外国人的な顔つきの埴輪ではないか。」と主人が言っていたので、確認しに行ってきた。果たしてその顔つきを見ると、日本人的ではない。そして着ている服装もまたしかりである。果たしてどうなのか。7世紀ぐらいの古墳時代に大陸から日本に人々が移動してきたかと思うと不思議である。
博物館自体は風土記の丘の方が充実していたので、すぐに切り上げて次に行った。
時間があるので、犬吠埼に行く。そこの掲示物には千葉はかって島だったと説明書きがあった。
宿泊は主人が予約したビジネスホテル。一人3500円。安いけど、もう少しお金使って( ^ω^)・・・
次の日急遽、霞ヶ浦近くの「小田城」に行く。大河ドラマの「頼朝と13人の御家人」で市原隼人さんが演じた八田知家が築いた城である。
また、南北朝時代、小田家はこの地方の南朝の中心になった。南朝勢力の参謀役であった北畠親房は小田城に在城し、東国の勢力挽回を図り、「神皇正統記」を執筆した。のちに足利尊氏に攻撃され、尊氏に従うことになる。
筑波山へいく。茨城県つくば市にある標高887メートルの山で、男体山と女体山と二つの山が連なっていた。ケーブルカーで上まで登り、ケーブルカーで戻ってきた。筑波山神社の境内ではガマの油の口上を見せていた。
最後に埴輪がたくさん置いてある「はにわの西浦」に行って、金運がアップするという「大宝神社」によって帰路についた。
今回も「城めぐり」アプリで、小田城をはじめとする12城の城を集めてきた。計811城になった。
行きは首都高を通って、ディズニーランド方面から行き、帰りは圏央道を使って私が運転して帰ってきた。
無事に楽しめたことに感謝である。