wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

土偶・埴輪を求めて

2024-10-26 09:23:29 | 近隣旅行記
令和6年10月19・20日(土・日)と、茨城県・千葉県方面へ、外国人風な埴輪があるというので、それを見に行ってきた。ついでに、近くの小田城,筑波山、犬吠埼と有名どころにも立ち寄った。
まずは、千葉県にある房総風土記の丘資料館、一見ただっぴろい所に古墳が点在していて、見ずらくて次のところに行こうかと思っていたところ、古墳群だけでも見ようかと思い直し、裏手に回ったところ、立派な博物館があった。せっかく来たのだから入ってみようと入ったところ、65歳以上は無料とのことでラッキーだった。それに施設が思いのほか充実していて、特に、浅間山古墳の実物大の石棺が展示されていて、見事だった。博物館から少し離れたところにこの石棺が埋まっていた浅間山古墳がそのまま残っていた。すごく大きくてさぞかし権力を持った大君が祀られているのだろうと感じた。

出入り口のところに、1回300円のガチャガチャがあり、埴輪や土偶がゲットできる。試しにやってみたら、合掌土偶(前2000年~前1000年前)、踊る埴輪・男性(7世紀)、みみずく土偶・金が当たった。


次に千葉県の山武郡芝山町にある埴輪博物館に行く。
ここには「日本に渡来した秦氏の中にユダヤ人の集団がいたのではないか。そしてそのユダヤ人をモデルにした埴輪がどうも外国人的な顔つきの埴輪ではないか。」と主人が言っていたので、確認しに行ってきた。果たしてその顔つきを見ると、日本人的ではない。そして着ている服装もまたしかりである。果たしてどうなのか。7世紀ぐらいの古墳時代に大陸から日本に人々が移動してきたかと思うと不思議である。
   

博物館自体は風土記の丘の方が充実していたので、すぐに切り上げて次に行った。
  


時間があるので、犬吠埼に行く。そこの掲示物には千葉はかって島だったと説明書きがあった。
       


宿泊は主人が予約したビジネスホテル。一人3500円。安いけど、もう少しお金使って( ^ω^)・・・

次の日急遽、霞ヶ浦近くの「小田城」に行く。大河ドラマの「頼朝と13人の御家人」で市原隼人さんが演じた八田知家が築いた城である。
また、南北朝時代、小田家はこの地方の南朝の中心になった。南朝勢力の参謀役であった北畠親房は小田城に在城し、東国の勢力挽回を図り、「神皇正統記」を執筆した。のちに足利尊氏に攻撃され、尊氏に従うことになる。
                     


筑波山へいく。茨城県つくば市にある標高887メートルの山で、男体山と女体山と二つの山が連なっていた。ケーブルカーで上まで登り、ケーブルカーで戻ってきた。筑波山神社の境内ではガマの油の口上を見せていた。
                


最後に埴輪がたくさん置いてある「はにわの西浦」に行って、金運がアップするという「大宝神社」によって帰路についた。
         


今回も「城めぐり」アプリで、小田城をはじめとする12城の城を集めてきた。計811城になった。
行きは首都高を通って、ディズニーランド方面から行き、帰りは圏央道を使って私が運転して帰ってきた。
無事に楽しめたことに感謝である。


コメント (2)
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高天神城、小夜の中山そして渡辺真知子

2024-02-12 13:50:51 | 近隣旅行記
令和6年2月10日11日(土日)と、静岡県の掛川市方面へ行ってきた。
それというのも、ラジオ番組にゲスト出演をしていた渡辺真知子さんのトークや歌声を聞いて、懐かしさやにじみ出る人柄の良さから思わずファンクラブに加入してしまい、送られた会報に載っていたコンサートに申し込んだという具合である。
会場近くには、かって東海道を歩いていた時に、行かずじまいであった「小夜の中山」や山之内一豊が、小山会議から帰り関ヶ原に向かう家康をこの寺の茶庭でもてなしたとされる「久延寺」があったり、読んでいる井原忠政さんの小説「三河雑兵心得」に出てくる「高天神城」があったりで、それなら一石三丁になるなと思い、掛川駅の近くのホテルを予約しての旅行であった。

では順を追って書いておこう。
天気に恵まれ、朝8時20分出発。厚木から東名に乗る。途中牧之原PAで昼食。そこで食べた「かつおラーメン」また食べに行ってもいいなというくらい美味しかった。写真を撮ったのに消してしまった。

菊川で降りて、高天神城へ。「高天神城を制する者は遠江を制す」と言われている。最初の戦いでは武田勝頼が制して名声を高めたが、その後に起こった長篠の戦で勢力が弱まり、ついには家康が制することになる。ここはほんとに急坂に囲まれていて、どこからも攻めづらそうな城である。途中まで登ったが、それでもハーハー言いながらだった。でも景色はよかった。途中三日月井戸があり、水が湧き出ていそうなところだ。そこに誰かが、金魚を放していて、赤のコントラストが印象的だった。
              

ホテルに着いて、私は天童浜名湖鉄道というローカルな線に乗って、森町文化会館へ。渡辺真知子コンサートへ行く。
そこで思わず知り合いに会い、びっくり仰天。古くからのファンらしい。こんなことってあるんだね。
コンサートは「ホップ、ステップ、古希」という合言葉で、頑張っている真知子さんが見られた。一日一万歩を毎日日課にして体力を維持しているということで、素晴らしい声量で感情のこもった歌声を聞かせてくれた。特に中島みゆきさんの夜会に出演した時に歌った「二そうの舟」をオリジナルバージョンにして歌ったのが良かった。またこの歌の歌詞に「時よ、最後に残してくれるなら 寂しさの分だけ愚かさをください」という所がジーンときた。
   


次の日は、「久延寺」「小夜の中山」である。家康が見たであろう景色、こんな急坂をどうして上らせたのか。奈良時代行基によって作られた久延寺。旧東海道沿いにある古い趣のあるお寺である。子泣き地蔵も祀られていた。家康が座ったであろう場所もあった。
           


「小夜の中山」公園には、西行の和歌があったり、東海道沿いには松尾芭蕉の句碑があったりした。ここの場所は家康が高天神城での戦いのときに本陣にしたところでもあるらしい。
       


勝頼が遠江攻撃の拠点のために牧之原台地に家臣に造らせた「諏訪原城」へ行く。ここにはちゃんと資料館が隣接されていて、この諏訪原城の構造や歴史がまとめてあった。特に今までにこんなに深い堀は見たことがないというくらい深かった。でも資料館の人が言うには昔ももっと深かったということだから、へえ~という感じである。
           

牧之原はお茶どころでだ。山肌に「茶」の文字が。
  


帰りは初めて新東名高速道路で帰ってくる。山に囲まれていて、トンネルが多い道路だ。静岡SAで昼食を食べて、ガソリンを入れて、ここからは私が運転して帰ってきた。富士山が頭だけ見えた。
   

今回もたくさんの知らなかったことが知れたり、渡辺真知子さんの会場を盛り上げる技量に感心したりと期待を裏切らない旅であった。
コメント (2)
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