平成25年2月16日(土)
ウォーキングには最高の日和の中、さだまさしさんの歌にあるような鎌倉に行くことにした。
頼朝の像が源氏山の頂上にたっているのを、十何年か前に行った時に覚えていて、もう一度見たいということで、それなら北鎌倉から東慶寺をまわり、源氏山に上り、ハイキングコースを歩いて大仏・長谷寺・鎌倉文学館を回る計画をした。
このハイキングコースは大人気のコースで、途中杖を持って歩いていた方がいて、一見大変そうかなと思ったが、全くそんなことはなく、何とその方がこのコースのガイドさんで、今もガイドの帰りだと話して、鎌倉で最も歩く人が多いコースだと教えてくれた。
その方に源氏山の一番高いところに、「天柱峰」と彫ってある碑が立っているところで、ここは禅宗の発祥の地で、元から来た僧侶が毎日ここで禅をくみ、祈ったところなのだと教えてもらった。
鎌倉には禅宗のお寺が多いのもこういうことなのかと思った。
まず始めに、北鎌倉駅を降りて、そこから東慶寺に行く。よく「縁切り寺」といわれているところである。
そこで一番驚いたことは、秀頼に子どもが二人もいたということである。
東慶寺に「豊臣家の最後の姫」(三池純正著)という本が展示してあり、思わず手に取り、しばらくその本を二人で読んでしまったのだが、その中に、千姫ではなく、お石の方とかいう側室に産ませた子らがいて、男の子は殺されてしまったが、女の子はこの東慶寺で、天秀尼(てんしゅうに)という尼さんになって、生き延びていたのである。
そして何とこの寺に連れてきたのが、忍城(現在の埼玉にある)城主の娘であの「のぼうの城」でも出てきた甲斐姫であるという。確か甲斐姫はあの戦いに負けて、秀吉の側室に差し出されるのだ。まんざらゼロということはないだろうと考えられる。それにこのお石は武州(埼玉あたり)出身とあったからなおさらである。
東慶寺では、仏像展が開いていて、そこでは「水月観音さま」が展示してあった。
この観音様は、右肘を岩にもたれかけ、脚をくずしてリラックスして岩の上に座り、水面をじーと見つめて、悟りをひらいているという姿であった。こういう姿勢は、京都には見られず、この鎌倉のみであるということである。それはこの鎌倉がそれを受け入れるだけのおおらかさを持っているからだと解説していた。なるほど。
この東慶寺では、面白い昔の資料が展示してあった。それは、こういう尼寺は代官所的趣があり、年間8十数件の夫婦間の訴え事案の話し合いをされていたということである。その解決を図っていたのが、「遠山の金さん」のモデルになった人だというから驚きである。その具体的な様子が書いてあって、妻からの訴えで、旦那さんがお酒を飲んで借金をこさえ、その借金の末に奥さんを売ったというのもあった。
夏目漱石が円覚寺で座禅を組んでいて、そのことを本に書いていることが、碑になっていた。
風が冷たく、やはり海に面しているかなと思いながら東慶寺をあとにした。
浄智寺からハイキングコースに入る。
木の根がむき出しになっていて、それにより滑り止めの役割となって、上り坂も無難に歩くことができた。
源氏山の頼朝像に行く途中に、葛原岡神社がある。そこは、昔処刑場であったということを聞いたことがある。日野俊基が処刑され神社で祀られていた。
いよいよ、頼朝像との対面であるが、その前に分かれ道があり、この道は、昔の幹線道路で、仮粧坂と呼ばれている。鎌倉方面から武蔵に抜ける道であった。かなり急な道である。
そこに昔、遊女がいてその遊女の家に、梶原景時の長男の景季と曽我兄弟の弟の五郎が通っていたという話が残っているらしい。読んだ本「曽我兄弟の密命」では弟は潔癖で女なんて引き寄せない感じに書いてあったが・・・
そこから源氏山公園に行き、頼朝像を見た。頼朝が幕府を開いてから800年を記念して作られた像であるらしい。なかなかどっしりと構え、凛々しいお姿であった。
この道を少し行くと、銭洗い弁天につく。意外と近いのに驚く。もうお金は増えなくてもいいかなと思い、そこは入らずに進む。
そのまま道なりに歩くと、高徳院の大仏に行く。むかーしに行った時には、入館料を取らなかったと思ったが、今はちゃんと取っている。趣も変わっていたので、久しぶりに中に入って見学する。中は、外国の方がほとんどだというくらい、外国語が飛び交っていた。
この鎌倉大仏は、頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発願して、お寺が勧進(資金集め)して造ったと、そこで買った「大仏」の冊子に書いてあった。奈良時代かと思ったが、鎌倉時代なんだと驚いた。
近くの長谷寺の長谷観音を見たくなり行く。ここは昔、水子地蔵がたくさん祀ってあったが、今はきれいに整備されていた。寒いので、甘酒を飲んで、綺麗な景色を眺めた。弁天洞窟といって、洞窟の中にたくさんの弁天様や観音様が祀られていたのが、斬新だった。
また、長谷寺には最近ちょっと評判になった「地獄と極楽」という本が売っていた。ある漫画家が子どもにこの本を読んであげたら、いい子になったとか。買うかどうか迷ったが、もう手遅れかと思い買わなかった。
最後に、鎌倉文学館へ行く。この屋敷は、いまテレビでやっている「カラマーゾフの兄弟」で使われていた。それに、庭や敷地でロケも行われていて、テレビで見て「ここで撮ったんだな~」と納得しながら見ることができた。
庭園はバラで有名である。
有名な作家たちが、ここで滞在していたらしい。三島由紀夫は「春の雪」という本で、ここでのことを書いている。ほかに、鎌倉に関連する作家たちがペンクラブとして、この鎌倉を中心に活躍した。芥川龍之介・川端康成・大仏次郎・小林秀雄等の経歴が展示してあった。
この鎌倉文学館では「ミステリー作家翻訳家展」もやっていて、斎藤栄さんは鎌倉を舞台にしたミステリー小説を多く書いていることがわかった。早速帰ってすぐに図書館にリクエストしてしまった。
時間を費やしてしまったので、建長寺や円覚寺は次回ということになった。
帰りに江ノ電に乗るために歩いていると、「盛久」という平盛久が由比ガ浜で処刑されそうになって、頼朝が助命したという、有名な謡曲の舞台になった場所の看板があった。
鎌倉駅に着いて、以前来た時に美味しいうどん屋さんがあったから、そこに入ろうと思ったが、運悪く貸切になるという。そこで近くのラーメン屋さんに入る。店主一人で無愛想だったけど、味は良かった。
今回も十分に堪能した。
このウオーキングの振り返りを駅の近くの「サンマルク」(実はここは千ちゃんのお気に入りの場所で、落ち着いた雰囲気で居心地がいい)でしてから帰った。
そこでは、今日の一日の歩いた経路や主だった史跡を振り返りもしたが、何だか話が鎌倉公方のことになって盛り上がったが、なんせ疲れた体と頭には理解度が低くなったので、話を打ち切り、次回ということで帰路についた。
ほんと、こうやって歴史探索や歴史談議できることに幸せを感じるし、感謝もする。
18704歩 約9キロくらい歩いたことになるのかな。
ウォーキングには最高の日和の中、さだまさしさんの歌にあるような鎌倉に行くことにした。
頼朝の像が源氏山の頂上にたっているのを、十何年か前に行った時に覚えていて、もう一度見たいということで、それなら北鎌倉から東慶寺をまわり、源氏山に上り、ハイキングコースを歩いて大仏・長谷寺・鎌倉文学館を回る計画をした。
このハイキングコースは大人気のコースで、途中杖を持って歩いていた方がいて、一見大変そうかなと思ったが、全くそんなことはなく、何とその方がこのコースのガイドさんで、今もガイドの帰りだと話して、鎌倉で最も歩く人が多いコースだと教えてくれた。
その方に源氏山の一番高いところに、「天柱峰」と彫ってある碑が立っているところで、ここは禅宗の発祥の地で、元から来た僧侶が毎日ここで禅をくみ、祈ったところなのだと教えてもらった。
鎌倉には禅宗のお寺が多いのもこういうことなのかと思った。
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まず始めに、北鎌倉駅を降りて、そこから東慶寺に行く。よく「縁切り寺」といわれているところである。
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そこで一番驚いたことは、秀頼に子どもが二人もいたということである。
東慶寺に「豊臣家の最後の姫」(三池純正著)という本が展示してあり、思わず手に取り、しばらくその本を二人で読んでしまったのだが、その中に、千姫ではなく、お石の方とかいう側室に産ませた子らがいて、男の子は殺されてしまったが、女の子はこの東慶寺で、天秀尼(てんしゅうに)という尼さんになって、生き延びていたのである。
そして何とこの寺に連れてきたのが、忍城(現在の埼玉にある)城主の娘であの「のぼうの城」でも出てきた甲斐姫であるという。確か甲斐姫はあの戦いに負けて、秀吉の側室に差し出されるのだ。まんざらゼロということはないだろうと考えられる。それにこのお石は武州(埼玉あたり)出身とあったからなおさらである。
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東慶寺では、仏像展が開いていて、そこでは「水月観音さま」が展示してあった。
この観音様は、右肘を岩にもたれかけ、脚をくずしてリラックスして岩の上に座り、水面をじーと見つめて、悟りをひらいているという姿であった。こういう姿勢は、京都には見られず、この鎌倉のみであるということである。それはこの鎌倉がそれを受け入れるだけのおおらかさを持っているからだと解説していた。なるほど。
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この東慶寺では、面白い昔の資料が展示してあった。それは、こういう尼寺は代官所的趣があり、年間8十数件の夫婦間の訴え事案の話し合いをされていたということである。その解決を図っていたのが、「遠山の金さん」のモデルになった人だというから驚きである。その具体的な様子が書いてあって、妻からの訴えで、旦那さんがお酒を飲んで借金をこさえ、その借金の末に奥さんを売ったというのもあった。
夏目漱石が円覚寺で座禅を組んでいて、そのことを本に書いていることが、碑になっていた。
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風が冷たく、やはり海に面しているかなと思いながら東慶寺をあとにした。
浄智寺からハイキングコースに入る。
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木の根がむき出しになっていて、それにより滑り止めの役割となって、上り坂も無難に歩くことができた。
源氏山の頼朝像に行く途中に、葛原岡神社がある。そこは、昔処刑場であったということを聞いたことがある。日野俊基が処刑され神社で祀られていた。
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いよいよ、頼朝像との対面であるが、その前に分かれ道があり、この道は、昔の幹線道路で、仮粧坂と呼ばれている。鎌倉方面から武蔵に抜ける道であった。かなり急な道である。
そこに昔、遊女がいてその遊女の家に、梶原景時の長男の景季と曽我兄弟の弟の五郎が通っていたという話が残っているらしい。読んだ本「曽我兄弟の密命」では弟は潔癖で女なんて引き寄せない感じに書いてあったが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/49/05/71d2a055da1d64f816f39aecad2365f5_s.jpg)
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そこから源氏山公園に行き、頼朝像を見た。頼朝が幕府を開いてから800年を記念して作られた像であるらしい。なかなかどっしりと構え、凛々しいお姿であった。
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この道を少し行くと、銭洗い弁天につく。意外と近いのに驚く。もうお金は増えなくてもいいかなと思い、そこは入らずに進む。
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そのまま道なりに歩くと、高徳院の大仏に行く。むかーしに行った時には、入館料を取らなかったと思ったが、今はちゃんと取っている。趣も変わっていたので、久しぶりに中に入って見学する。中は、外国の方がほとんどだというくらい、外国語が飛び交っていた。
この鎌倉大仏は、頼朝の侍女であったといわれる稲多野局が発願して、お寺が勧進(資金集め)して造ったと、そこで買った「大仏」の冊子に書いてあった。奈良時代かと思ったが、鎌倉時代なんだと驚いた。
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近くの長谷寺の長谷観音を見たくなり行く。ここは昔、水子地蔵がたくさん祀ってあったが、今はきれいに整備されていた。寒いので、甘酒を飲んで、綺麗な景色を眺めた。弁天洞窟といって、洞窟の中にたくさんの弁天様や観音様が祀られていたのが、斬新だった。
また、長谷寺には最近ちょっと評判になった「地獄と極楽」という本が売っていた。ある漫画家が子どもにこの本を読んであげたら、いい子になったとか。買うかどうか迷ったが、もう手遅れかと思い買わなかった。
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最後に、鎌倉文学館へ行く。この屋敷は、いまテレビでやっている「カラマーゾフの兄弟」で使われていた。それに、庭や敷地でロケも行われていて、テレビで見て「ここで撮ったんだな~」と納得しながら見ることができた。
庭園はバラで有名である。
有名な作家たちが、ここで滞在していたらしい。三島由紀夫は「春の雪」という本で、ここでのことを書いている。ほかに、鎌倉に関連する作家たちがペンクラブとして、この鎌倉を中心に活躍した。芥川龍之介・川端康成・大仏次郎・小林秀雄等の経歴が展示してあった。
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この鎌倉文学館では「ミステリー作家翻訳家展」もやっていて、斎藤栄さんは鎌倉を舞台にしたミステリー小説を多く書いていることがわかった。早速帰ってすぐに図書館にリクエストしてしまった。
時間を費やしてしまったので、建長寺や円覚寺は次回ということになった。
帰りに江ノ電に乗るために歩いていると、「盛久」という平盛久が由比ガ浜で処刑されそうになって、頼朝が助命したという、有名な謡曲の舞台になった場所の看板があった。
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鎌倉駅に着いて、以前来た時に美味しいうどん屋さんがあったから、そこに入ろうと思ったが、運悪く貸切になるという。そこで近くのラーメン屋さんに入る。店主一人で無愛想だったけど、味は良かった。
今回も十分に堪能した。
このウオーキングの振り返りを駅の近くの「サンマルク」(実はここは千ちゃんのお気に入りの場所で、落ち着いた雰囲気で居心地がいい)でしてから帰った。
そこでは、今日の一日の歩いた経路や主だった史跡を振り返りもしたが、何だか話が鎌倉公方のことになって盛り上がったが、なんせ疲れた体と頭には理解度が低くなったので、話を打ち切り、次回ということで帰路についた。
ほんと、こうやって歴史探索や歴史談議できることに幸せを感じるし、感謝もする。
18704歩 約9キロくらい歩いたことになるのかな。