平成30年1月5日(金)、今年初めての歴史巡りは、箱根湯本にある「早雲寺」。年末年始よい天気が続いている中、この日は雲が多く、いつもの富士山は、見ることができなかった。
何で行くことになったのか?
それは、主人が「北条早雲の墓の名前が気になる」ということで。
「伊勢新九郎〇〇」のこの〇〇に「永氏」なのか「盛時」なのか。
今は、この二人は同一人物としていて、88歳まで生きた早雲は、56歳で氏綱を授かり、そのあとにもたくさんの兄弟ができていることになるというのだ。もし、永氏と盛時が同一人物ではなかったならば、辻褄が合うことがたくさんあるという。
よく分からないことだけど、私も少々興味があるので、何年か前に行ったことがあるが、もう一度行くことにした。
でも行ってみて思ったことは、忘れていたことが多く、後北条の墓が、階段を上った丘のような所にあったとは。
小田原攻めで、秀吉は、一夜城ができるまで、この早雲寺を本陣にしていた。立派な本堂があり、そこには縁側があり、「あー、きっとここに、秀吉は座っていたな」と感じ、秀吉が座って差配していた光景が目に浮かんだ。
早雲寺の近くに「郷土資料館」がある。
そこには、箱根の温泉地・別荘地としての変遷が展示してあったが、私が興味を引いたのは、江戸時代に「お伊勢参り」をした人がかかった日数とお金がまとめてあったことと、鎌倉時代から江戸時代までの変遷がまとめてあったことだ。特に頼朝の「二所詣」のことや曾我兄弟の像が奉ってある「正眼寺」とか秀吉の「一夜城」のことなども説明があった。
いつも思うことは、一回行って知った気になっているが、忘れてしまっていることがたくさんある。こうやって、もう一回行くと、改めて分かって確認できて、歴史がまた、面白くなっていく。
何で行くことになったのか?
それは、主人が「北条早雲の墓の名前が気になる」ということで。
「伊勢新九郎〇〇」のこの〇〇に「永氏」なのか「盛時」なのか。
今は、この二人は同一人物としていて、88歳まで生きた早雲は、56歳で氏綱を授かり、そのあとにもたくさんの兄弟ができていることになるというのだ。もし、永氏と盛時が同一人物ではなかったならば、辻褄が合うことがたくさんあるという。
よく分からないことだけど、私も少々興味があるので、何年か前に行ったことがあるが、もう一度行くことにした。
でも行ってみて思ったことは、忘れていたことが多く、後北条の墓が、階段を上った丘のような所にあったとは。
小田原攻めで、秀吉は、一夜城ができるまで、この早雲寺を本陣にしていた。立派な本堂があり、そこには縁側があり、「あー、きっとここに、秀吉は座っていたな」と感じ、秀吉が座って差配していた光景が目に浮かんだ。











早雲寺の近くに「郷土資料館」がある。
そこには、箱根の温泉地・別荘地としての変遷が展示してあったが、私が興味を引いたのは、江戸時代に「お伊勢参り」をした人がかかった日数とお金がまとめてあったことと、鎌倉時代から江戸時代までの変遷がまとめてあったことだ。特に頼朝の「二所詣」のことや曾我兄弟の像が奉ってある「正眼寺」とか秀吉の「一夜城」のことなども説明があった。













いつも思うことは、一回行って知った気になっているが、忘れてしまっていることがたくさんある。こうやって、もう一回行くと、改めて分かって確認できて、歴史がまた、面白くなっていく。