wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

神戸有馬温泉と京都伏見稲荷大社と平等院

2025-01-04 13:16:06 | 旅行記
令和6年12月28日(土)~30日(月)、「名湯・有馬温泉と京都伏見稲荷大社と平等院、神戸港ディナークルーズを愉しむ年末3日間」のツアーに行ってきた。子どもたちは独立し、年末は時間があるので、ゆったり温泉でもということで、まだ行ったことのない有名な有馬温泉というチラシにひかれて申し込んだ。秀吉が千利休を引き連れて、たびたび茶会を開いた場所である。
また、今回の旅行で一番印象に残ったのは、外国人の多さである。京都の駐車場では、バスを一つの場所に置いておけなくて、どんどん下ろしては違う場所に行って、時間になったら迎えに来るというようなピストン輸送をしていた。そこで少し早めに見学を終えてその駐車場に行ってバスを待っていると、私たちの周りはほぼ外国の方々で埋まってしまった。ここは日本なのかと目を丸くした。いくら円安で日本の物価は安いからって、日本の人気がわかる。

では、順に書いていこう。
新横浜駅から新幹線のひかりに乗って、新神戸駅へ。3時間くらいである。富士山に雪がなかった。
   

1日目は神戸港のクルーズである。
コンチェルトという船に乗って生演奏を聴きながらフレンチの夕食を食べた。
          

2日目は先ずは六甲山に行く。神戸の街並みや大阪湾を一望できるはずだったが、霧がかかっていてあまりはっきりとはいかなかった。
それに大輪田の泊りの方向を見たけどあまりよく分からなかった。平清盛が宋との貿易をしたところで、今までは物々交換だったけれど、初めて貨幣で取引をしたんだそうだ。清盛は貨幣経済の礎を築いたといっても過言ではないかもしれない。
    

いよいよ有馬温泉へ。太閤の湯という温泉施設で、館内着に着替えてお風呂に入る。足の角質を食べてくれるという「ドクターフィッシュ」もやってきた。最初はゾゾッとしたけど、慣れてきたら気持ちよくなった。
駅前の太閤橋や寧々の像も写真に収めてきた。
               

生田神社にも行ってきた。生田の森は、源平合戦の古戦場とはいうものの、全く面影はなかった。周りは開発され、神社の裏に少しだけの林が残っているだけである。梶原景時親子の奮戦を物語っている梅の木があった。
          

南京町では、龍の置物とヒスイの石を買った。
   

この日の夕食、目の前で神戸牛を鉄板焼きをしてくれるステーキはとても美味しかった。レアにして正解。
       

3日目は京都である。
先ずは伏見稲荷神社。千本鳥居が有名である。山の上の方まで鳥居が続いている。途中で抜けて入口まで戻る。
       

最後は宇治・平等院である。紫式部ゆかりの世界遺産、極楽浄土、開運出世のご利益があるといわれている。
藤原道長の別荘をその子頼道によって寺院に改めて建てられた。阿弥陀如来像を設置するための鳳凰堂が建てられた。それが左右対称で極楽浄土の宮殿をモデルにされた。25年位前に家族で行ったときは「はっ」と息をのむ荘厳な感じの印象があったが、今回はそんな感じはなく、10円玉に彫られているのと同じだなあくらいの印象である。
            

京都駅から新幹線ひかりに乗って帰ってくる。添乗員さんが551の豚マンがおいしいといっていて、それもその場で食べるのがやっぱり1番だとも。すごく並んでいたのでやめようと思ったが、時間があるのでやっぱり並んで買った。そしてベンチがあったのでその場で食べた。私の体は最近は植物油に慣れているので、動物油は少し抵抗があるみたいだ。これからは並んでまでは買わないかなあ
 

とはいえ、また新たな発見や知識が増えた3日間であった。こうやって旅行をしてみると、世の中は様々な歴史の上に成り立っているとつくづく感じる。感謝である。
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函館決定版ツアー(センチュリーマリーナに宿泊)

2024-11-24 12:46:55 | 旅行記
令和6年11月16日17日(土・日)に、「往復北海道新幹線利用の函館決定版!異国情緒の港町15奏2日間」のツアーに行ってきた。私は北海道にはまだ行ったことがなかったので、人生初めての北海道である。主人は生まれが江差という所なので、小学校に入る前まではそこに住み、青函連絡船に乗って津軽海峡を渡り、川崎の方に来た経歴がある。だから私ほどは高揚感はなかったかもしれない。
また、私は北海道新幹線にも乗ってみたかったし、青函トンネルを通るときにはわくわくもした。海底100メートルのところを掘って通ているらしい。
でも、私が一番感動したのは、五稜郭でも、100万ドルの夜景でも、函館元町でもなく、宿泊したセンチュリーマリーナ函館の朝食だ。ホテルにチェックインするときに渡されたパンフレットに、朝食の時間配分が書いてあって、朝6時から始まるが、1時間ごとの待ち時間がどんどん増えている。私たちは6時に行ったので待たずにテーブルに案内されてよかったが、それでも名物の刺身取り放題のところはもう列になっていた。和洋折衷種類が豊富で迷ってしまうくらいである。私も数多くのホテルに泊まったが、美味しくてこれほどのバラエティに富んだ料理の数はあまり経験ないと思う。
  


では、順を追って記載しておこう。
まずは東京駅8時18分発のはやぶさ7号の新幹線に乗って、新函館北斗駅に12時15分に着く。昼食は東京駅のコンビニでおにぎり2個買う。おにぎりの中に3つの具が入っているジャンボおにぎりを買ってみた。
  

函館ではじめに行ったのはトラピスチヌ修道院(日本初の女性の修道院)、今は60人位修道女として生活しているらしい。
        

次は函館八幡宮、函館の総鎮守である。延命の桜があり、台風により幹が折れたが、また復活をした桜の木があった。
     

異国情緒あふれる元町の散策をした。鎖国から最初に開国した街だ。坂が多く教会も多い町だった。有名な八幡坂も見た。
北島三郎の出身高校もあった。1階は和風、2回は洋風な家が多く、坂の下から見たら洋風しか見えず外国の街のイメージを残したんだそうだ。道幅が広いのは火事が頻発したので、消火作業のしやすいためとか。お寺も木造で焼けてしまったので石のお寺が作られていた。
                              

函館山山麓にある海鮮グルメの夕食を食べる。
 

次に函館山の100万ドルの夜景である。こんなに人がいたのかというくらいロープウエイは並んでいた。ロープウエイ乗り場の中にラジオ放送のブースがあり私の大好きなGLAYがそこで放送したのかサインが飾ってあった。
上る時も時間がかかったが、下る時も然りである。早々と降りてきた。
   

1日目が終わり、2日目である。
朝食は前に書いたとおりであるが、露天風呂も良かった。外の景色が眼下に広がり壮大であった。露天風呂では体を伸ばせるように設定してあり、力を抜くと浮いてしまう感じになって気持ちよかった。
朝食後散歩をした。以前使われていた青函連絡船が資料館になって展示が見られるようになっていた。でも私たちは2等客室が今は展示室になったいるのを表の看板で確認して中を見ずに帰った。カモメがぎゃ~ぎゃ~うるさかった。
函館の朝市に行って、昼食を食べる。
       

次に五稜郭(函館戦争の舞台になった日本初の星型西洋式城塞)である。五稜郭タワーを上り、上から五稜郭を見る。新選組の土方歳三が最後まで戦った函館戦争のこと等、函館の歴史が展示してあった。
          

最後に小雨が降る中、大沼国定公園(雄大な駒ヶ岳を望む日本新三景といわれている)にいく。そこで遊覧船に乗って大沼を
遊覧。天気が良ければ素晴らしかっただろうが、いささか雨で煙っていた。この沼は噴火の後、溶岩が流れ出で堆積したので、浅くてたくさんの島ができていた。
       

帰りの新幹線まで時間があったので、新函館北斗駅でぶらぶらしていたら、この辺りは世界遺産に登録されているらしく、私たちの好きな土偶や埴輪の展示がしてあった。
        

1泊2日の強硬な旅であったが、全体的に見どころ満載で、充実したな旅行でした。
添乗員さんが行きの新幹線で隣に座ったこともあり、また年齢が同じくらいの方でもあって、いろいろ楽しい話ができた。添乗員という過酷な大変な職業であるが、それでも旅行が好きだからやっていけるし、私的でもよく行っているとのことでした。繁忙期は休みなしで次のツアーということもまれにあるとか。ご苦労様です。

今回も「城めぐり」アプリを行って、通ったお城をゲットしていった。
前回の終了は811城で、今回の終了は850城だったので、38城ゲットしたことになる。
有名どころでは盛岡城五稜郭花巻城がある。

今回初めて北海道の地へ行けたし、こんな北海道の地にも縄文文化があり、土偶が出土していることに驚いた。まだまだ知らないことがたくさんあると思った旅であった。





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北陸新幹線で越前福井県の有名所の旅へ

2024-08-04 09:33:45 | 旅行記
令和6年8月1日2日3日(木金土)と、福井県の有名どころへ行ってきた。
実は春頃に外国旅行ベトナムへ予約して楽しみにしていたんだけど、7月になって中止の連絡があり、とても残念だったけど、急遽、同じ日程の今回の旅行に予約を入れた。
ツアーの名前は「北陸新幹線延伸開業 特別企画 越前・若狭まるごと10景ハイライト 3日間」と少々長い名称だが、その名の通り見どころ満載で、福井県を網羅した感じだった。
全くもって残念なことに、たくさん写真を撮ってきたのに、1日目の写真が全部消えてなくなってしまった。どうしたことか原因が分からないまま、このブログを書いている。
ちなみに1日目の行程は、サスペンスドラマで犯人を追い詰める場所でよく使われている東尋坊。何とこの地名はこの場所から突き落とされたお坊さんの名前なんだそうで、驚いた。高橋英樹さんが立っているのが目に浮かんだ。
次に行ったのは、一乗谷朝倉氏遺跡。戦国時代の城で一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏及び家臣の居館)からなる。戦国5代目の朝倉義景が足利義昭を迎え入れたことでも有名である。夜には、丸岡城のプロジェクションマッピングに行った。この城にまつわる歴史や伝説が丸岡城に色鮮やかに映し出されていて、きれいだった。またこの丸岡城は柴田勝家の甥の勝豊が建てた。
この丸岡には、日本一短い手紙コンテストがある。「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」と家康の家臣が陣中から奥方に書いたこの文が、短い文の中に伝えたいことが端的に書かれてあることから有名になり、毎年一筆啓上コンテストが開かれていて、全国から応募があるらしい。一つ記憶に残っているのが、娘さんからお母さんへあてた手紙で、「上京して気づきました。私がだだいまという前にいつもお帰りなさいと言ってくれていたことに」
一日目で行ったところは、リンクを張って、それで写真を見るしかない。仕方ない。 

2日目は、越前大野城からである。「天空の城」と呼ばれ、年に数回、地上に雲が湧き出し、城が浮かんでいるよに見えることがあるようである。石垣が見事で昔のままで現存していた。野面積み
大野城の天守から見た景色

白山平泉寺へ。苔寺として有名なんだそうだ。また、東尋坊の地名にもなったお坊さんの東尋坊がこの白山平泉寺で修行していたということも驚いた。
本社にあった昇り龍・降り龍の彫刻は見事だった。足の形をしたくぼみが弁慶の足跡とされていて、この足跡を踏むと走るのが速くなるといわれているそうだ。ちなみに義経はここから平泉に出立したとか。東尋坊たちが住んでいたとされる場所が入口のすぐ脇にあった。

次に、福井県立恐竜博物館。夏休みだからかとても混んでいた。福井といえば恐竜である。最初に発見された「ワニ」、そして、のちに命名された「フクイザウルス」にもお目にかかった。
1億5千万年前の地層から発見された恐竜の化石たち。白亜紀といっていたが、どれだけの時間なのかもう想像もできない。
            

次には近くの勝山駅からローカル列車「越後鉄道」に乗って永平寺口駅まで。
     

永平寺へ。曹洞宗の大本山であり、僧侶が修業する場である。

伽藍の一つに傘松閣(さんしょうかく)があり、この天井に花や鳥の絵が描かれていて、鯉2枚、唐獅子2枚、リス1枚の計5枚の彩色画を見つけると願いが叶うといわれて探したけど、3枚しか見つけられなかった。

3日目の朝、泊っているアパホテルの周りを散策する。福井城があり、本丸は今は県庁になっていた。家康の次男の結城秀康が関ヶ原の戦いの功績により拝領したそうだ。勇ましい銅像が立っていた。
        

三方五湖のレインボーライン山頂公園へ行く。ここは前に行ったことがあるので、一応リフトで上まで行ったけれど、如何せん、クマンバチがたくさんいて刺されると怖いので、すぐ降りてしまった。でも、景色はよかった。日本海は波もなく紺碧に輝き、太陽の日射しを浴びてきらきら光っていた。

昼食は日本海さかな街。ここはさすが海に近いだけあって、お金を出したかいがあったというほど美味しかった。

最後の名所は「氣比神宮」。高さ10.9メートルの木造の大鳥居は有名だ。春日大社、厳島神社と合わせて3大鳥居といわれている。7柱(神様の数え方、ひとはしら、ふたはしらと数える)の神様を祀ってあるそうだ。北陸道総鎮守である。
この神宮の近くに「金ヶ崎城」がある。今読んでいる「極楽征夷大将軍」で新田義貞がこの城を本拠地にして尊氏らと戦ったと書いてあった。それに、足利直義(あしかがただよし・尊氏の弟で実際の政務を執り行っていた)が兄尊氏と袂を分かった際にこの金ヶ崎城を本陣に措いたところでもある。
偶然にも近くに行けてラッキーと思ったが、山を越えた海側だと聞いて実際には見ることはできなかった。山は撮ってきた。
         

最後に越前そばの里で試食とお土産を買う所によって終了となる。この越前そばは偶然にも3日前に福井駅に着いたときに、昼食時間が与えられ、何人か待っていたが、美味しそうだからと名物とは知らずに食したそばだった。大根おろしとねぎと鰹節が乗っていて並んだかいがあったと思った。これもちゃんと写真に撮ったのに残念だ。
 

終わってみれば3日間はあっという間だった。今回はほんと10景といううたい文句そのままで、見たり歩いたり強行スケジュールで、それにこの炎天下。バスに逃げ込むという表現がぴったりであった。でも添乗員さんが物腰が柔らかく、参加者もみんな協力的でよかった。総勢41人もの参加で家族や友人で参加はもちろん多かったけれど、今は一人で参加する人たちが結構いて、そういう時代なんだなーと思った。

また、今回も恒例の「城めぐり」アプリを起動して、78のお城をゲットしてきた。
主なお城としては、一乗谷城、福井城、小松城松任城勝山城越前大野城波多野城富山城金ケ崎城敦賀城等々である。現在の総合計は782城である。

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いのちの博物館in麻布大学

2024-07-24 05:03:59 | 旅行記
令和6年7月23日(火)、うだるような猛暑の中、職員研修で、麻布大学の敷地の中にある「いのちの博物館」へ行ってきた。

そこは動物園等で亡くなり、原因を追究するためにここに運ばれてきた動物たちの骨が解剖後に展示されているところである。日頃見ることができない像やキリン、オオカミ等の実物の骨が実際の形に組み合わされて展示してあった。
なかなか見ることができないし、写真オッケーで、たくさん撮ってきたので、ここに載せたいと思う。
   

最初に館内に入って目に付くのは、オオカミの標本である。
   

アリクイの標本もあった。アリクイは歯が退化してしまってないそうだ。
 

ヤギの4つの胃袋である。
  

馬の歯である。草食なので、とがってなく、すりつぶすのに適している。後ろから前に歯が生えるのだそうである。
  

牛の胃袋の中から出てきた大きな結石(直径10センチ以上はあった)、毛づくろいをするので毛の塊、それに釘。牛は草以外にもいろいろなものを食べている。
    

体長7メートルくらいあるアナコンダの標本。子ヤギくらいは食べてしまうそうだ。
   

牛の標本。
  

像の標本。
  

サイの角。人間では髪の毛や爪にあたるそうだ。
  

キリンの標本やバンドウイルカの標本。足の名残があった。
    

ウミガメの標本があった。亀の甲羅は骨だったのが分かった。
   

上野動物園の園長だった増井光子さんはこの麻布大学出身だったとは。スケッチが見事だった。
 

フクロウもいた。
  

実際に骨を手で触っていいブースがあった。像の頭部や歯、キリンの前足二の腕部分、鹿の頭部や角、ドジョウの標本も。
     

キリンの目線になってみられる場所があった。
  

最後に、ここでもらったクイズを載せておく。
     

この歳になっても知らなかったことを知ることができるのは楽しいものである。
ただ「いのちの博物館」とうたってはいるが、骨に対する興味が終始先行して、命の部分が伝わってこなかった気がする。
でも、とっても楽しかった。近くにこんないい施設があるのだから、近隣の子どもたちには是非とも体験させたい。



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小諸・上田・高田・斑尾・高遠

2024-04-06 09:22:17 | 旅行記
令和6年3月30・31日(土・日) 以前から高遠へ行きたいと思っていて、桜と絡めた丁度いいツアーがあったので、申し込んでおいた。桜はどうかなと懸念していたが、見事桜は全く咲いてなくて残念だったが、これが咲いていたらほんと見事だろうなと想像できたので、行った価値はあったのかなと思う。

それに『城めぐり』アプリも、有名どころである「小諸城」「松代城」「高崎城」「高田城」「春日山城」「上田城」等々41城もゲット出来たし、大満足である。

では、順を追って書いていこう。
まずは、東京駅で集合し、あさま611号に乗って佐久平駅まで行った。

そこからバスで小諸城址へ。ここは日本桜名所100選に選ばれているそうである。明治時代の「廃城令」によって「懐古園」となっている。
ここの歴史的なことは武田信玄が拡張整備したお城であることと、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ」で有名な「千曲川旅情の歌」の舞台であること,秀忠が上田合戦時にここを本陣にして座った石があった。
          

次に上田城へ。ここでは入口の城壁に直径3メートルの大石が「真田石」として使われていた。真田井戸や櫓が県宝として修復されていた。
            

この夜は春日山近くの高田城の「ぼんぼりにライトアップされた夜桜」を見に行った。4000本もあるらしい。ここでのガイドさんが「桜は老木になって40年くらいたつと、成長には力を注がずに、花を咲かせることだけに力を使う、人間も同じである。」と言っていた。なるほど。
   

高田城から斑尾高原にある「タングラム」というホテルに泊。スキー場が隣接してあって、家族連れが大勢来ていた。
周りにはまだまだ雪が残っていた。高遠城に向かうまでの車窓から中央アルプスや八ヶ岳、南アルプス等々の山脈がきれいに見えていた。
      

次の日にはいよいよ「天下第一の桜の名所」といわれる「高遠城」である。高田城の倍はありそうな桜の木々。でも想像だけで実際に桜は拝めなかった。でもここには、秀忠の子ども保科正之が幼少のときに住んでいたことがあり、また大奥の大事件で江島が流されたところでもある。
                

お昼は峠の釜めし。30年位前に義母がお土産に買ってきてくれて食べた以来である。
 

最後に「日本三大桜」のひとつ山高神代桜の実相寺に行く。ここでやっと桜が咲いていた。
     

帰りは甲府駅からかいじ48号で帰路につく。富士山がきれいだった。
   

今回はバスの席が1日目は一番前、2日目が一番後ろといういい席での乗車だった。ラッキー。全体的に、バスでの移動が多かったが、それでも名所を網羅したよく練れていた観光であった。まあ桜は次回ということで。
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