平成25年3月26・27・28日
三男の高校卒業で、私たちも一応の区切りを迎える。
その記念として、どこか旅行でもということで、三男はどこでもいいというので、私の希望で、大阪城、それとそこまで行くなら、以前面白く読んだ「プリンセス・トヨトミ」の舞台にもなった空堀商店街、それと戎橋にある有名なグリコの看板やかに道楽の動くかにも見てみたいということで、大阪に行くことにした。
探してみると、意外と安く行けるものがあって、2泊3日、往復新幹線で、梅田の繁華街のビジネスホテルに宿泊して、一人約25000円で、家としてはこれくらいなら大丈夫である。
この3日間、行きたいところは行けたし、それに、仁徳天皇陵や四天王寺にも行った。
大阪はやはり、活気のある街で、さすが、「天下の台所」といわれているだけあって、食べ物屋が多かった。一日目の昼は、通天閣の近くにある、ふぐで有名な「づぼらや」で「ふぐかつ」を食し、夕飯はホテルの近くの串カツ屋に入る。2日目の朝は、うどんで、おそい昼は、御堂筋商店街のこれまた有名な「自由軒」の卵がのっている「カレー」にして、3日目の昼は大丸の中にあるお店の「お好み焼き」を食べた。一応、大阪で食べたほうがいいといわれているものは、食したことになる。どれも、なるほどという感じだ。
この心斎橋から難波に行く通りに、阪神ファンが飛び込んだという戎橋があるのだが、そこの通りの賑やかだったこと、平日とは思われないほどの混み様で、通りいっぱいに人が歩いていた。
それにいろいろなお店が軒を並べていて、間口は狭いが、奥行はあって、どのお店も、人を惹き付ける店構えで、見てるだけで、楽しくなる。また、今回はいけなかったが、ここの通りは、芭蕉終焉の地とか適塾とかもあり、また行きたい場所である。
では、順を追って、行った場所を残しておこう。
まずは、仁徳陵である。
5世紀位にここに住んでいた豪族が自分の力を鼓舞するために作ったとされる。
ここは周囲約3キロあり、世界一大きいお墓である。
2000人の人が約16年かけて造ったと書いてあった。周りを歩いたが、疲れた。中には入れないように周囲を金網で囲っていた。入っていたのは、猫と白鷺?らしき野鳥だけである。
ここは百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)といって、そこかしこに古墳があって、家屋の庭にそこは手をつてられないという感じで、囲ってあった。
次に、住吉大社。ちんちん電車のレールが正門の前を走っていた。大阪を代表する神社で、関西1・2を争う参拝数であるということである。
2日目はいよいよ大阪城である。
さすが、秀吉が作った豪華絢爛な城である。織田信長が明智光秀に討たれたあと、天下覇権を継いだ秀吉が石山本願寺跡地に築城したのが、初代大阪城である。だが、夏の陣で焼失してしまい、江戸時代になってすぐに再建はしたが、1665年には、落雷で全焼してしまったらしい。以来天守閣がない城としてあったが、ここに建っているのは、明治になって、大阪市民の寄付で再築されたものであるという。
お堀の凄さは格別で、何重にもなっていて、やはり家康がこれを埋めさせたのもうなずける。これがあると手ごわくて、なかなか攻められない。
信長が、石山本願寺との争いで勝って、立ち退かせた後に、秀吉がここに造った。
城の近くには、太閤神社があって、秀吉を祀っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/68/f7/0f20aa8c8da57934fb164e0eaf74c26d_s.jpg)
城の中に入ると、エレベーターがあり、5階までは一気に上れる。それから天守閣までは階段で、上る。その中に、秀吉の経歴や冬の陣・夏の陣での攻防等が詳しく展示されていたり、大きなスクリーンには、夏の陣当時、描かれた絵巻を詳しく説明するビデオが流れていたりもした。
さすが、日本第2の都市大阪での展示物である。見応えがあり、分かりやすかった。
一つ資料を見て、驚いたのは、1584年の小牧・長久手の戦いでは、家康は織田信雄を援助して秀吉と戦う。秀吉側の池田恒興はそこで敗れ、死亡する。その子の池田輝政は、北条氏直の妻であった家康の二女の美姫(よしひめ)と氏直の死後、結婚する。池田と徳川の穏やかならぬ関係を是正しようと秀吉が再婚させたというのである。昔はこんなことが数多あったのだな~。でも、この美姫は5人位?男の子を輝政との間にもうけているのである。思ったよりいい関係を築けたのかもしれない。
写真を撮ってきたので、ここに貼り付けよう。
最初に、冬の陣での徳川方と豊臣方の各武将である。
秀吉の経歴である。
次に、戦国時代の年表である。
大阪城の天守閣から見た景色である。
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秀頼と淀の方が、もう戦局が迫って、自害したという場所も大阪城敷地内にはあった。
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冬の陣・夏の陣では、真田幸村が活躍した。大阪城を守るために真田丸という出城を作り、そこには、大阪城から抜け出すための抜け穴をも作ったとされる。そこも見てきた。
玉造の駅の近くの三光神社と心眼寺にそれはあった。ここは大阪城から少し離れていて、主人は足が痛いというし、子どもたちは私に付き合うのは嫌だというので、まあその前に、空堀商店街に行く時に、ずーと歩いていたので、仕方ないかと思い、私一人で行く。実際抜け穴を見たときは、感慨深かった。
「プリンセス・トヨトミ」の舞台になった空堀商店街は、谷町6丁目というところにあり、大阪城から歩いた。
作者の万城田学さんはここの出身だそうで、昔大阪城からの抜け穴みたいなものがあり、それを見てこの物語の構想が出来上がったみたいなことをあとがきで書いてられた気がする。
いろいろな人に聞きながらやっと着いたという感じであったが、何だか普通の商店街で、特別な意味合いは感じられなくて、ずーとその商店街の入口から出口まで、500mほど歩いた。
でも、最後に入った喫茶店で、詳しい資料を見せてもらって、やっと舞台になったお好み焼き屋が通りからちょっと入ったところになることが、分かって、なるほどと感じもう一度通りを歩いた。実際にこの商店街が撮影場所であったという。
大阪歴史博物館は難波宮があったところである。上から見るとよくわかった。
最後に、四天王寺に行く。聖徳太子が立てたお寺で、仏教の総本山的なところである。
雨が降ってきたので、資料館に入る。そこには、仏様の御加護ですと書かれた、傘があって、傘がない子どもたちはその加護を受けてきた。
入ってすぐに、大きな太鼓が左右に展示してあった。それは牛の皮一枚で貼られた、秀頼が再現した舞楽用の太鼓が目をひいた。
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一番興味を持ったのは、後醍醐天皇の手形を見られたことである。聖徳太子が書いた本を読んでいたく感銘した天皇は、それを書き写し、手形を押している。
ほかにも、戦いの神である毘沙門天が展示してあって、グループでいう場合は多聞天というようなことを話していた。
また、家康は関ヶ原の4日後に「朱印禁制」を四天王寺に対して出す。禁制というのは支配者が寺社や民に対して禁止する事柄を広く知らせるために出すもので、武士たちの狼藉を禁じたものであるらしい。それも掲げてあった。
その他にも石棺や弘法大師の像等もあった
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さすが、四天王寺は古いお寺で、五重塔もあり、荘厳さを兼ね備えた、日本人の心の拠り所と感じられる場所であった。
大好きな富士山は行きも帰りも、雲の中から頭だけを突き出していた。
二男にどこが一番思い出に残っているかを聞いたら、「仁徳天皇陵」だという。何でだと聞いたら、「この陵の中は独特な生態系がなされているところが、面白い」とか何とか言っていた。でも現在は猫や鳥は自由に入れたから、生態系の頂点は猫かもしれないね。不思議な子だ。
ちなみに、三男は、串カツが思い出だそうだ。やはり、食べることにはおしまず、たこ焼きやまんじゅうなどちょくちょく食べて、3キロ太ったと言っていた。それに、難波のブックオフは品数が少なかったとも言っていた。
また、三男は京都に行きたいお店があるとかで、私たちと離れて、一日目は京都駅で降りて、ひとりで行動した。今は行きたい場所に検索して行けるので、それに携帯でつながっているので、あまり心配なく手放せる。
こうやって気ままな旅行ができることは、みんなが元気で仲良しだということである。そういうことに感謝して、今回も筆を置くことにしよう。
三男の高校卒業で、私たちも一応の区切りを迎える。
その記念として、どこか旅行でもということで、三男はどこでもいいというので、私の希望で、大阪城、それとそこまで行くなら、以前面白く読んだ「プリンセス・トヨトミ」の舞台にもなった空堀商店街、それと戎橋にある有名なグリコの看板やかに道楽の動くかにも見てみたいということで、大阪に行くことにした。
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探してみると、意外と安く行けるものがあって、2泊3日、往復新幹線で、梅田の繁華街のビジネスホテルに宿泊して、一人約25000円で、家としてはこれくらいなら大丈夫である。
この3日間、行きたいところは行けたし、それに、仁徳天皇陵や四天王寺にも行った。
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大阪はやはり、活気のある街で、さすが、「天下の台所」といわれているだけあって、食べ物屋が多かった。一日目の昼は、通天閣の近くにある、ふぐで有名な「づぼらや」で「ふぐかつ」を食し、夕飯はホテルの近くの串カツ屋に入る。2日目の朝は、うどんで、おそい昼は、御堂筋商店街のこれまた有名な「自由軒」の卵がのっている「カレー」にして、3日目の昼は大丸の中にあるお店の「お好み焼き」を食べた。一応、大阪で食べたほうがいいといわれているものは、食したことになる。どれも、なるほどという感じだ。
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この心斎橋から難波に行く通りに、阪神ファンが飛び込んだという戎橋があるのだが、そこの通りの賑やかだったこと、平日とは思われないほどの混み様で、通りいっぱいに人が歩いていた。
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それにいろいろなお店が軒を並べていて、間口は狭いが、奥行はあって、どのお店も、人を惹き付ける店構えで、見てるだけで、楽しくなる。また、今回はいけなかったが、ここの通りは、芭蕉終焉の地とか適塾とかもあり、また行きたい場所である。
では、順を追って、行った場所を残しておこう。
まずは、仁徳陵である。
5世紀位にここに住んでいた豪族が自分の力を鼓舞するために作ったとされる。
ここは周囲約3キロあり、世界一大きいお墓である。
2000人の人が約16年かけて造ったと書いてあった。周りを歩いたが、疲れた。中には入れないように周囲を金網で囲っていた。入っていたのは、猫と白鷺?らしき野鳥だけである。
ここは百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)といって、そこかしこに古墳があって、家屋の庭にそこは手をつてられないという感じで、囲ってあった。
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次に、住吉大社。ちんちん電車のレールが正門の前を走っていた。大阪を代表する神社で、関西1・2を争う参拝数であるということである。
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2日目はいよいよ大阪城である。
さすが、秀吉が作った豪華絢爛な城である。織田信長が明智光秀に討たれたあと、天下覇権を継いだ秀吉が石山本願寺跡地に築城したのが、初代大阪城である。だが、夏の陣で焼失してしまい、江戸時代になってすぐに再建はしたが、1665年には、落雷で全焼してしまったらしい。以来天守閣がない城としてあったが、ここに建っているのは、明治になって、大阪市民の寄付で再築されたものであるという。
お堀の凄さは格別で、何重にもなっていて、やはり家康がこれを埋めさせたのもうなずける。これがあると手ごわくて、なかなか攻められない。
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信長が、石山本願寺との争いで勝って、立ち退かせた後に、秀吉がここに造った。
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城の近くには、太閤神社があって、秀吉を祀っていた。
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城の中に入ると、エレベーターがあり、5階までは一気に上れる。それから天守閣までは階段で、上る。その中に、秀吉の経歴や冬の陣・夏の陣での攻防等が詳しく展示されていたり、大きなスクリーンには、夏の陣当時、描かれた絵巻を詳しく説明するビデオが流れていたりもした。
さすが、日本第2の都市大阪での展示物である。見応えがあり、分かりやすかった。
一つ資料を見て、驚いたのは、1584年の小牧・長久手の戦いでは、家康は織田信雄を援助して秀吉と戦う。秀吉側の池田恒興はそこで敗れ、死亡する。その子の池田輝政は、北条氏直の妻であった家康の二女の美姫(よしひめ)と氏直の死後、結婚する。池田と徳川の穏やかならぬ関係を是正しようと秀吉が再婚させたというのである。昔はこんなことが数多あったのだな~。でも、この美姫は5人位?男の子を輝政との間にもうけているのである。思ったよりいい関係を築けたのかもしれない。
写真を撮ってきたので、ここに貼り付けよう。
最初に、冬の陣での徳川方と豊臣方の各武将である。
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秀吉の経歴である。
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次に、戦国時代の年表である。
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大阪城の天守閣から見た景色である。
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秀頼と淀の方が、もう戦局が迫って、自害したという場所も大阪城敷地内にはあった。
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冬の陣・夏の陣では、真田幸村が活躍した。大阪城を守るために真田丸という出城を作り、そこには、大阪城から抜け出すための抜け穴をも作ったとされる。そこも見てきた。
玉造の駅の近くの三光神社と心眼寺にそれはあった。ここは大阪城から少し離れていて、主人は足が痛いというし、子どもたちは私に付き合うのは嫌だというので、まあその前に、空堀商店街に行く時に、ずーと歩いていたので、仕方ないかと思い、私一人で行く。実際抜け穴を見たときは、感慨深かった。
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「プリンセス・トヨトミ」の舞台になった空堀商店街は、谷町6丁目というところにあり、大阪城から歩いた。
作者の万城田学さんはここの出身だそうで、昔大阪城からの抜け穴みたいなものがあり、それを見てこの物語の構想が出来上がったみたいなことをあとがきで書いてられた気がする。
いろいろな人に聞きながらやっと着いたという感じであったが、何だか普通の商店街で、特別な意味合いは感じられなくて、ずーとその商店街の入口から出口まで、500mほど歩いた。
でも、最後に入った喫茶店で、詳しい資料を見せてもらって、やっと舞台になったお好み焼き屋が通りからちょっと入ったところになることが、分かって、なるほどと感じもう一度通りを歩いた。実際にこの商店街が撮影場所であったという。
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大阪歴史博物館は難波宮があったところである。上から見るとよくわかった。
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最後に、四天王寺に行く。聖徳太子が立てたお寺で、仏教の総本山的なところである。
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雨が降ってきたので、資料館に入る。そこには、仏様の御加護ですと書かれた、傘があって、傘がない子どもたちはその加護を受けてきた。
入ってすぐに、大きな太鼓が左右に展示してあった。それは牛の皮一枚で貼られた、秀頼が再現した舞楽用の太鼓が目をひいた。
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一番興味を持ったのは、後醍醐天皇の手形を見られたことである。聖徳太子が書いた本を読んでいたく感銘した天皇は、それを書き写し、手形を押している。
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ほかにも、戦いの神である毘沙門天が展示してあって、グループでいう場合は多聞天というようなことを話していた。
また、家康は関ヶ原の4日後に「朱印禁制」を四天王寺に対して出す。禁制というのは支配者が寺社や民に対して禁止する事柄を広く知らせるために出すもので、武士たちの狼藉を禁じたものであるらしい。それも掲げてあった。
その他にも石棺や弘法大師の像等もあった
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さすが、四天王寺は古いお寺で、五重塔もあり、荘厳さを兼ね備えた、日本人の心の拠り所と感じられる場所であった。
大好きな富士山は行きも帰りも、雲の中から頭だけを突き出していた。
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二男にどこが一番思い出に残っているかを聞いたら、「仁徳天皇陵」だという。何でだと聞いたら、「この陵の中は独特な生態系がなされているところが、面白い」とか何とか言っていた。でも現在は猫や鳥は自由に入れたから、生態系の頂点は猫かもしれないね。不思議な子だ。
ちなみに、三男は、串カツが思い出だそうだ。やはり、食べることにはおしまず、たこ焼きやまんじゅうなどちょくちょく食べて、3キロ太ったと言っていた。それに、難波のブックオフは品数が少なかったとも言っていた。
また、三男は京都に行きたいお店があるとかで、私たちと離れて、一日目は京都駅で降りて、ひとりで行動した。今は行きたい場所に検索して行けるので、それに携帯でつながっているので、あまり心配なく手放せる。
こうやって気ままな旅行ができることは、みんなが元気で仲良しだということである。そういうことに感謝して、今回も筆を置くことにしよう。