wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

子どもたちの前で話したこと。

2023-03-29 16:22:34 | 挨拶文
長い間ここで働いていました。だから一緒に勉強したお友達がたくさんいると思います。
たくさんの楽しい思い出ありがとう。

ところで、私はよくクラスのお友達となぞなぞを出し合っていました。
そこで問題です。
「持っても持っても重くならずに、持ち運びできるものなんだ。」
2年4組のお友達はもう分かったと思います。

正解は知識、学習したことです。
たくさん知識を持っていると頭がよくなるし、いろいろなことを知っていると、みんなに頼りにされるし、得をするし、
何よりも自分に自信が持てると思います。いいことだらけです。

ですからたくさん勉強して、人の話をしっかり聞いて、持っても持っても重くならず持ち運びできるものをたくさん持って、楽しい学校生活を過ごしてください。応援しています。

長い間ありがとうございました。

と、別れの挨拶で、こんなことを言いました。
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江戸城門巡り

2023-03-05 11:06:18 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
令和5年2月25日(土)、前から計画していた歴史散策へ行ってきた。
私たちは2018年12月26日に赤坂見附を皮切りに、「城めぐり」アプリを攻略してきた。現在3000あるお城のうち490城をゲットしている。
そんな中で、千ちゃんが皇居の門を確認したいといい、私はまだゲットしていないところを攻略したいということで、今回の歴史散策になった。

まずは橋本駅で待ち合わせて、京王線で、新宿へ。新宿駅は改装工事が進んでいて、前に行った時と、だいぶ景色が違っていた。
そこから総武線で、浅草橋駅にいき、浅草見附跡に行った。駅から出るとすぐに、大きなたい焼き屋さん。何人か並んでいた。
早速食す。皮がパリパリで、あんこは甘さ控えめでまあまあでした。
そこには神田川が流れていて、その脇に、赤坂見附があった。


次に、いよいよ皇居の大手門へ、秋葉原駅まで歩き、東京駅へ。


歩いていると、皇居の周りを走っているランナーたちが。おちおち歩いていると、ぶつかりそうで危ない。
 


次に、罪人等が通る平川門。
     


中に入ると、梅林坂があって、梅が咲き誇っていた。
  


次は、田安門。
     
  

出ると、千鳥ヶ淵があり、桜が咲き誇ったら、さぞかし見事であろうなと感じた。
   


食べるところを探す。ちょっと入ったところにステーキ屋さんがあるとと検索したら出てきたので、そこへ。なかなかボリュームがあってしゃれたレストランであった。
  


半蔵門へ。以前甲州街道を歩いた時、甲州街道はここから始まっていて、国道20号線や京王線と並行して走っているのが分かった。近くには服部半蔵の屋敷があったような気がする。非常時には将軍をここから天領である甲府へ安全に避難させるのである。


最後に桜田門である。小田原街道の始点で、小田原口とも呼ばれた。この門の近くで井伊直弼が藩士に暗殺された。憲政記念館の辺りに彦根藩井伊家の屋敷があったらしい。
堀伝いに歩いていくと、日比谷公園やニッポン放送ビルがあったりして、なかなか趣があった。
    


帰りの電車の中から、汐留屋敷、浜御殿、以前行った高輪大木戸を「城めぐり」アプリでゲットして帰ってきた。

今回も実り多い散策になった。ちょうど大河ドラマ「どうする家康」が放映中なのでか、多くの人が、特に外国人の観光客が多くいた。




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義母の葬儀に際しての職場での挨拶

2023-03-05 10:41:09 | 挨拶文
令和5年2月13日(月)、同居していた義母があっけなく亡くなってしまった。94歳と高齢のこともあり、大往生だと思う。
そこで、職場での挨拶を残しておきたいと思う。

【 この度は、義母の葬儀に際しまして東和会から香典等をいただきまして、ありがとうございました。
  2月13日、94歳で永眠いたしました。
  朝、主人が起こしに行った時には意識がなく、お医者さんを呼んで手を施しましたが、あっけなく逝ってしまったそうです。
  でも、94歳という高齢まで生き、息子である主人に介護され、長年住み慣れた自宅で、そして、苦しまず、家族に見守られ        
 て亡くなったこと、何よりと思います。  
  義母は心の大きい人で、娘が3人いるのですが、嫁の私と分け隔てなく接してくれて、平等に扱ってくれました。料理のこと       
 とか昔のこととかいろいろ教えてくれました。94年の間にはたくさんの苦しいとや大変なことがあったのですが、戦争もあ   
 ったし、満州から引き揚げてきたりと、それらのことを全部受け入れて、前向きに豪快に笑って生きてきた人です。
  私も義母を見習って、生き方や考え方、そしていろいろ教えてもらったことを受け継いでいけたらいいなと思います。
 いろいろな心遣いありがとうございました。】
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