平成29年8月17,18,19日(木・金・土)と、
「さいはての絶景をめぐる下北・津軽2大半島3日間」
というツアーに参加してきた。
今年のお盆は、夏とは思えない天候で、全国各地で集中豪雨があったり、暑さを感じさせない曇天の天気だったりして、このツアー中も雨が心配だったが、結局降ったのは、太宰治の生家を見た時くらいで、あとは、何とか当たらずに過ごすことができた。気温も25度前後でそんなに暑くは感じなかったので、過ごしやすい旅行だった。
今まで青森県に行ったことがなく、北の最果て、というイメージがあったが、津軽平野などは、緑の水田が果てしなく広がり、豊かな土地だなと感じた。それに、青森は、三方を海に囲まれていて、漁場がいくつもあり、漁業が盛んな港町がたくさんあった。
今回のツアーでは、がイドさんが、青森のことばかりではなく、岩手県や秋田県のことも教えてくれ、なんか東北3県のことが詳しくなったみたいだ。
では、行程を書いておこう。
まずは、東京駅から新幹線に乗って、岩手県の北上駅に下車。そこからバスで、秋田県を経由して、青森県の西側の白神山地の十二湖に入り、五能線に乗って、そこから北上して、津軽半島に入り、岩木山近くのホテルで泊まり、そこまでが一日目。
二日目は、太宰治記念館へ行って、津軽半島の最北端の龍飛岬に行って、フェリーで下北半島へ上陸してから恐山へ行く。
三日目は、下北半島の最北端の大間岬へ行き、仏ケ浦遊覧船に乗り、七戸十和田駅から新幹線に乗って帰ってきた。
ざっと書くと、このような行程だった。
まずは、バスの中で、岩手県のことを教えてもらう。
面積は、2番目に大きい。3番目は福島。
東北は、太平洋側から「やませ」という風が吹き荒れる。何年か前の外米を輸入した時にはこの「やませ」が吹き荒れた。
世界遺産2か所、平泉と釜石市の橋野高炉鉄産業遺産
有名人が多い。薄幸の詩人「石川啄木」、花巻の「宮沢賢治」、銭形平次を書いた「野村胡堂」、歌手の「千昌夫」「新沼謙治」、政治家の「原敬」等々
百姓一揆が多い。「南部の殿様頼りにならず」といって、仙台藩になだれ込んだ。寒さに強い食べ物が「麺」
秋田県のことは、
雪が多い豪雪地帯。横手の「かまくら」有名。
奥羽山脈があるから、「やませ」は来ない。
水田が多い。米所。大曲の花火大会は有名。年4回ある。
八森(はちもり)に「ハタハタ館」があった。それは、秋田音頭の「八森ハタハタ」というフレーズでおなじみ。
お昼は、前沢牛そぼろ弁当
青森県に入り、十二湖へ。
世界遺産の白神山地の一画にある、十二湖。その周りにはブナ(橅)の原生林が広がっていました。ブナは木へんに無いと書いてブナと読む。材木としては使えない木と、いう意味だ。でも、緑のダムを築き、ブナの林は明るい、そのおかげで、他の植物を育て、豊かな森を形成する。その栄養が川や海に流れ、豊かな漁場もつくられる。
十二湖の青池は、他の池とは違い、ほんとに濃い青のコバルトブルーでした。
次に五能線に乗る。五能線の「五」は「五所川原」の「五」、「能」は、「能代」のこと。
だから、主に、秋田の「能代」から青森の太宰治の生家がある「五所川原」まで走っている電車である。
私たちは、昔、北前舩が停泊した重要な港町である「深浦」から太宰治が「津軽」という小説で、この場所のことを書いている「千畳敷」までを乗る。
ほとんどが無人駅で、風が強いと止まってしまう線であるので、地元の人は、「無能線」と呼んでいるとか。
深浦駅の近くに、円覚寺という寺があり、そこには、船の安全な運航を願って「船絵馬」が奉納されていたり、九死に一生を得た人が、自分の丁髷(ちょんまげ)を奉納して感謝したりと、重要文化財があるお寺だそうだ。
また、深浦にある「深浦高校」は、道徳の教材にもなった「0対122」の高校野球の試合で0点のチームだそうだ。
この近くの鰺ヶ沢という所は、「舞の海」の出身地だということだ。
この日は、岩木山のホテルで泊まる。
津軽は、リンゴと水田の町である。岩木山の斜面には、丈の低いリンゴの木が連なっていたし、平野は、一面水田地帯であり、緑の絨毯と化していた。リンゴは全国1位の生産高で、そのほとんどは津軽平野で作られているということだ。「青天の霹靂」というコメも売られていた。
次の日は、五所川原の「金木」という所の太宰治の生家を見学する。なるほど立派な家だ。当時のお金で4万円、現在に直すと、8億円くらいだそうだ。
「金木」は吉幾三も出身地であり、この太宰の生家で結婚式を挙げたそうだ。
津島家の六男として生まれ、何不自由しない生活を送り、結婚もして、子どもにも恵まれていたのに、39歳で入水自殺で亡くなる。人には人の他人にはわからない何かがあるのだろう。
見学して、一番心に残ったことは、叔母のすゑさんが言った言葉である。掛け軸に書いて展示してあった。
「お前は器量が悪いから愛嬌だけはよくしなさい。お前は体が悪いから心だけはよくしなさい。お前は嘘がうまいから行いだけはよくしなさい。」
近くに「木造(きづくり)駅」がある。そこは目が光る土偶駅として有名らしいが、あまりにも子どもが怖がるので、目を光らせるのをやめたとか。
津軽の最先端の龍飛岬へ、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌詞の碑があった。
日本で唯一の歩行専用国道「階段国道」もあった。
フェリーで下北半島へ、下北半島の要の市であり、恐山の麓の地である「むつ市」に入る。
むつ市は全国で初めて、ひらがな表示をした市である。三陸の一つである「陸奥」は難読漢字であるのでひらがな表記にしたとか。
恐山へ。恐山は山ではなく、カルデラの底部にあたる地である。いたこの口寄せが有名だが、昔は、目の見えない老婆の職業として、やっていたことらしい。15分から20分で4千円とか
このむつ市には、「斗南」(となみ)という地名が残っている。
会津藩が戊辰戦争に敗れて、流された地だ。23万石から3万石に格下げになり、藩を立て直したいという夢を持ってこの地に来たが、武士のにわか農業では、作物は取れず、刀を売って生計を立てたりもしたが、廃藩置県で、守るべき藩もなくなり、逃げ出した人が多かったとか。
マグロの一本釣りで有名な「大間岬」へ行く。初セリで、2013年、「すしざんまい」が1億5540万円の値を出したことでも有名である。せっかくだからマグロを食べる。珍味も食べる。
仏ケ浦の遊覧船に乗って、神秘的な岩山を見てきた。大漁島と書いて「オヨとう」と読む。
七戸十和田駅からはやぶさ32号で帰ってくる。3時間くらいで東京駅に着く。盛岡から仙台までノンストップだ。
息子が駅まで迎えに来てくれて、22時半ころ、無事に着いた。
今回の旅行では、家に残した義母が心配だったが、息子たちが交代で、一日目は私が作っておいたトマトスープにカレーを入れて、2日目はウナギを買ってきてくれて、食べさせてくれたらしい。
それに、義母は自分でもカボチャを煮たり、ゴーヤを炒めたりして、おかずを作ったらしい。
私たちがいなければいないで、何とかなるということが分かった。
楽しい旅行ができるのも、みんなのおかげだ。感謝である。
「さいはての絶景をめぐる下北・津軽2大半島3日間」
というツアーに参加してきた。
今年のお盆は、夏とは思えない天候で、全国各地で集中豪雨があったり、暑さを感じさせない曇天の天気だったりして、このツアー中も雨が心配だったが、結局降ったのは、太宰治の生家を見た時くらいで、あとは、何とか当たらずに過ごすことができた。気温も25度前後でそんなに暑くは感じなかったので、過ごしやすい旅行だった。
今まで青森県に行ったことがなく、北の最果て、というイメージがあったが、津軽平野などは、緑の水田が果てしなく広がり、豊かな土地だなと感じた。それに、青森は、三方を海に囲まれていて、漁場がいくつもあり、漁業が盛んな港町がたくさんあった。
今回のツアーでは、がイドさんが、青森のことばかりではなく、岩手県や秋田県のことも教えてくれ、なんか東北3県のことが詳しくなったみたいだ。
では、行程を書いておこう。
まずは、東京駅から新幹線に乗って、岩手県の北上駅に下車。そこからバスで、秋田県を経由して、青森県の西側の白神山地の十二湖に入り、五能線に乗って、そこから北上して、津軽半島に入り、岩木山近くのホテルで泊まり、そこまでが一日目。
二日目は、太宰治記念館へ行って、津軽半島の最北端の龍飛岬に行って、フェリーで下北半島へ上陸してから恐山へ行く。
三日目は、下北半島の最北端の大間岬へ行き、仏ケ浦遊覧船に乗り、七戸十和田駅から新幹線に乗って帰ってきた。
ざっと書くと、このような行程だった。
まずは、バスの中で、岩手県のことを教えてもらう。
面積は、2番目に大きい。3番目は福島。
東北は、太平洋側から「やませ」という風が吹き荒れる。何年か前の外米を輸入した時にはこの「やませ」が吹き荒れた。
世界遺産2か所、平泉と釜石市の橋野高炉鉄産業遺産
有名人が多い。薄幸の詩人「石川啄木」、花巻の「宮沢賢治」、銭形平次を書いた「野村胡堂」、歌手の「千昌夫」「新沼謙治」、政治家の「原敬」等々
百姓一揆が多い。「南部の殿様頼りにならず」といって、仙台藩になだれ込んだ。寒さに強い食べ物が「麺」
秋田県のことは、
雪が多い豪雪地帯。横手の「かまくら」有名。
奥羽山脈があるから、「やませ」は来ない。
水田が多い。米所。大曲の花火大会は有名。年4回ある。
八森(はちもり)に「ハタハタ館」があった。それは、秋田音頭の「八森ハタハタ」というフレーズでおなじみ。
お昼は、前沢牛そぼろ弁当
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青森県に入り、十二湖へ。
世界遺産の白神山地の一画にある、十二湖。その周りにはブナ(橅)の原生林が広がっていました。ブナは木へんに無いと書いてブナと読む。材木としては使えない木と、いう意味だ。でも、緑のダムを築き、ブナの林は明るい、そのおかげで、他の植物を育て、豊かな森を形成する。その栄養が川や海に流れ、豊かな漁場もつくられる。
十二湖の青池は、他の池とは違い、ほんとに濃い青のコバルトブルーでした。
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次に五能線に乗る。五能線の「五」は「五所川原」の「五」、「能」は、「能代」のこと。
だから、主に、秋田の「能代」から青森の太宰治の生家がある「五所川原」まで走っている電車である。
私たちは、昔、北前舩が停泊した重要な港町である「深浦」から太宰治が「津軽」という小説で、この場所のことを書いている「千畳敷」までを乗る。
ほとんどが無人駅で、風が強いと止まってしまう線であるので、地元の人は、「無能線」と呼んでいるとか。
深浦駅の近くに、円覚寺という寺があり、そこには、船の安全な運航を願って「船絵馬」が奉納されていたり、九死に一生を得た人が、自分の丁髷(ちょんまげ)を奉納して感謝したりと、重要文化財があるお寺だそうだ。
また、深浦にある「深浦高校」は、道徳の教材にもなった「0対122」の高校野球の試合で0点のチームだそうだ。
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この近くの鰺ヶ沢という所は、「舞の海」の出身地だということだ。
この日は、岩木山のホテルで泊まる。
津軽は、リンゴと水田の町である。岩木山の斜面には、丈の低いリンゴの木が連なっていたし、平野は、一面水田地帯であり、緑の絨毯と化していた。リンゴは全国1位の生産高で、そのほとんどは津軽平野で作られているということだ。「青天の霹靂」というコメも売られていた。
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次の日は、五所川原の「金木」という所の太宰治の生家を見学する。なるほど立派な家だ。当時のお金で4万円、現在に直すと、8億円くらいだそうだ。
「金木」は吉幾三も出身地であり、この太宰の生家で結婚式を挙げたそうだ。
津島家の六男として生まれ、何不自由しない生活を送り、結婚もして、子どもにも恵まれていたのに、39歳で入水自殺で亡くなる。人には人の他人にはわからない何かがあるのだろう。
見学して、一番心に残ったことは、叔母のすゑさんが言った言葉である。掛け軸に書いて展示してあった。
「お前は器量が悪いから愛嬌だけはよくしなさい。お前は体が悪いから心だけはよくしなさい。お前は嘘がうまいから行いだけはよくしなさい。」
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近くに「木造(きづくり)駅」がある。そこは目が光る土偶駅として有名らしいが、あまりにも子どもが怖がるので、目を光らせるのをやめたとか。
津軽の最先端の龍飛岬へ、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌詞の碑があった。
日本で唯一の歩行専用国道「階段国道」もあった。
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フェリーで下北半島へ、下北半島の要の市であり、恐山の麓の地である「むつ市」に入る。
むつ市は全国で初めて、ひらがな表示をした市である。三陸の一つである「陸奥」は難読漢字であるのでひらがな表記にしたとか。
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恐山へ。恐山は山ではなく、カルデラの底部にあたる地である。いたこの口寄せが有名だが、昔は、目の見えない老婆の職業として、やっていたことらしい。15分から20分で4千円とか
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このむつ市には、「斗南」(となみ)という地名が残っている。
会津藩が戊辰戦争に敗れて、流された地だ。23万石から3万石に格下げになり、藩を立て直したいという夢を持ってこの地に来たが、武士のにわか農業では、作物は取れず、刀を売って生計を立てたりもしたが、廃藩置県で、守るべき藩もなくなり、逃げ出した人が多かったとか。
マグロの一本釣りで有名な「大間岬」へ行く。初セリで、2013年、「すしざんまい」が1億5540万円の値を出したことでも有名である。せっかくだからマグロを食べる。珍味も食べる。
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七戸十和田駅からはやぶさ32号で帰ってくる。3時間くらいで東京駅に着く。盛岡から仙台までノンストップだ。
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今回の旅行では、家に残した義母が心配だったが、息子たちが交代で、一日目は私が作っておいたトマトスープにカレーを入れて、2日目はウナギを買ってきてくれて、食べさせてくれたらしい。
それに、義母は自分でもカボチャを煮たり、ゴーヤを炒めたりして、おかずを作ったらしい。
私たちがいなければいないで、何とかなるということが分かった。
楽しい旅行ができるのも、みんなのおかげだ。感謝である。