wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

照手姫が植えたという榎木を見てきました。

2011-09-28 22:29:01 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
照手姫が植えたという榎木を見てきました。
2011-08-21 12:09:42 | 相模原市近郊の名所・旧跡
2011年8月20日(土)相模原市横山台にある「榎神社」に行きました。

            
             

横山公園の第3駐車場に車をとめ、道路を挟んで、向かい側にある小さな丘を登っていく。そこには人っ子一人いない榎公園があり、その向かいにこじんまりとした榎神社があった。
            
                 

照手姫が植えたとされる榎が、大きくそびえ立っていたが、そこかしこに白い布が手入れのためか、覆いかぶさっていて、何故かしら痛々しい感じがした。

             

この辺を横山党が支配し、その娘である照手姫は、この姥川の水で美しく磨き上げられ、そして、敵方の大将である小栗判官と恋仲になり、父を捨て判官のもとにはしったとされる。また、毒を盛られそうになった判官を逃れさせたとの伝説もある。

            
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義経が歩いた道・鎌倉街道

2011-09-28 22:17:41 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
義経が歩いた道・鎌倉街道
2011-09-04 15:30:24 | 相模原市近郊の名所・旧跡
 今から800年も前のこと。平家を壇ノ浦に全滅させた義経が、兄頼朝に報告をしに鎌倉まで会いに行った。腰越まで進んで、鎌倉入りを許される日を一日千秋の思いで待ったが、結局は入ることを許されず、絶望の気持ちで京都に帰る。



 その帰路、境川筋の鎌倉街道を辿り、中和田の地を通って浅間神社の境内にひと時の憩いをとった。
 そこで、鶴が飛んで行く所を見て、
「鶴は鎌倉をめざして飛んで行くことができるが、私は二度と鎌倉の地を踏むことは出来ない」
と、嘆き悲しんだということである。そして、兄への土産にと、はるばる持参した珍しい貴重な品々をそこに全部埋めてしまったという。それがこの浅間神社である。




「朝日があたって夕日が映え、雀がちゅんちゅんなく所、大釜いっぱい鍋いっぱい」という歌が残っているらしいが、これはその宝物を埋めたところを示したとされているが、いまだ何も出てきていない。
また、鶴間の地名もこの鶴が空に舞っていたので、鶴舞うから転じて鶴間になったといわれている。


この石は鳥居の隣に、苔むした古い感じで昔からここに鎮座してていますと訴えていた。もしかしたら、こんな平らで丁度座ってくださいという感じだったので、義経がひと時の座って身体を休めたかもしれない。

 住所は大和市だが、相模原市と町田市の接しているところで、この3市すべてに「鶴間」という地名が残っている。昔はこの辺一帯が鶴間村という集落だったという。
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東海道珍道中<箱根編>

2011-09-19 12:29:21 | 東海道珍道中
平成23年9月18日(日) 本来は昨日の17日に行くはずだったけれど、台風15号か16号かの影響で朝、雨が降っていたので、次の日の方が天気が良さそうなので、次の日に延期にした。

延期にして気づいた。偶然にもこの東海道ウォーキングを始めて、18日で丸々一年になる。そう、平成22年9月18日に第1回の日本橋からこのウォーキングが始まったのだ。雨が降らなければそのまま17日に行っていたものを、迷いながらも延期した結果が、こんなきりのいい偶然を呼ぶとは。すばらしい。

そして、はたまた延期にして良かった。この日は雲ひとつない晴天。「天高く馬肥ゆる秋」とはこんな天気か。

前回小田原に行った時に次は箱根を意識して、「あの箱根は私たちの足ではちょっと無理かな」とバスで芦ノ湖近くまで行くことを話していた。乗り放題の切符もあることも確認しておいたので、まずは、小田急線で小田原に直行した。

そこで箱根周辺のバス電車乗り放題の一日フリー切符を購入(大人1700円)。小田原駅から、箱根湯本まで電車で行き、そこからバスで創業100年以上にもなる甘酒茶屋まで行く。

バスと行くとなると私たちの趣旨からはずれて、何か楽してしまっていいのかな~という気持ちが湧いてこないわけではないが、でも、バスに乗ってみて、この半端ではない上り坂やくねくね曲がる日光いろは坂ばりの七曲坂や馬に乗って通っていた婦人が激烈な傾斜に落馬して死亡したとされる「女転し坂」等を通ってみて、やっぱりこれはバスで正解と胸をなでおろした。

昔の人の健脚振りを感心すると同時に、安藤広重の浮世絵にも描かれているように、この険しい道を大名たちは「したにーしたにー」と行列をつくって上ったんだなーと思うと、想像を絶してしまう。恐るべし、大名たち。

甘酒茶屋に到着。
         
そこには、資料館が併設してあって、上の写真のような大名行列が芦ノ湖を富士山をバックに歩いている様子を人形で表してあったり、昔の旅道具などが展示してあったり、箱根神社のことや昔の東海道のことが書いてあったりとなかなか興味深いものが展示されていた。

その甘酒茶屋では、いつもは駅に降りると、小腹対策をするのだけれども、今回はバスの時間が切羽詰っていたので、それもしなかったので、冷たい甘酒、箱根地産のコンニャクの甘味噌和え6玉、餅二つと意外とたくさん食べた。それに、ふきのとうやふきのお漬物が付いていたり、どくだみのお茶が飲み放題であったりしたので、随分ゆっくりと腰を落ち着けてしまった。考えてみたらまだ、歩いていないことに気づき、二人して大爆笑。

また、コンニャクについていた甘味噌がやけにおいしかったので、この味噌の味を出すには砂糖とみりんと酒も入れているかもなどと考えていたり、飽きっぽい性格に対して、身体によいこと(りんごを毎朝食べさせる・玄米食・アセロラを飲んでいる)をしていることについて話していたら、時間を忘れてしまった。

いよいよこれからが本格的なウォーキングである。まず、茶屋の裏に続く旧街道を進む。

 
400メートルほど歩いて、県道にに出るが、そこからがずーと石畳の道が続いている。急な坂が続いていて、それに石の上は昨日の雨で少しぬれていて、歩き方を間違えれば、滑ってしまいそうである。気をつけながら、一歩一歩慎重に歩を進めていった。

ちなみにこの石畳が整備されたのは、皇女和宮が京から江戸にお輿入れをする時だったようだ。

やがて、お玉が池に出た。地方から江戸に奉公にきたお玉さんが、奉公先から逃げ出して実家に帰るのに、この箱根は越えられずに、つかまってしまった。昔はこういうことは許されずに処刑されてしまった。また、ほかにもこういう人はたくさんいて無縁仏になっている。それらの人たちを供養しているところらしい。

そこで見た双子山はそれこそ雲ひとつない澄んだ青空にくっきりとそびえ立っていた。「表ふたごで、裏四つ」(双子山のことをいうらしいが、小田原の方から見ると二つに見え、箱根の方からは四つに見える)
        

やがて、物音が多くなったと思ったら、芦ノ湖畔に出た。
石畳はここでおしまいで、今度は杉並木である。ここの杉並木は見事である。
           
杉の大木は幾百もの年輪を感じさせ、かつては箱根越えの東海道すべてに続いていたであろうが、今は一部になってしまってはいるが、よく整備されていて、徳川幕府の思い入れが感じられた。

杉並木の道を進むと、ついに芦の湖畔にでた。天気が良いことをこれほど嬉しかったことはない。芦ノ湖の向こうに富士山がぽっかりと雄姿をのぞかせていた。「頭を雲の上に出し~」と歌詞そのままに、下に白い雲が浮かんでいた。
          

次に向かったのは、関所である。箱根関を通る時は、江戸に向かう時は手形がいらなかったが、上方に向かうときは必要であったらしい。もっとも、女と囚人以外ならば、手形を持っていなくとも吟味を受けた上で通ることが出来たらしい。
       


この関所は昔に行ったときと比べ物にならないくらい、よくきれいに整備されていて、観光客もたくさん来ていた。帰り際に「おかき」の文字が目に入る。そこで、野沢菜入りのおかきを食べる。座って食べている横に写真が数枚。この店はテレビの食番組で取り上げられるらしく、柳沢慎吾らの写真が飾ってあった。

関所の近くに、恩賜公園があり、そこの奥にある洋館からの眺めは絶景ポイントにもなっているとのことで、入る。
          

なるほどずーと見ていても飽きない絶景であった。ほんと雲がないことに感謝。

関所から今度は、東の方に戻って、箱根神社に行く。由緒ある神社で、古くは坂之上田村麻呂が東国を征定する時に、祈願したところとされ、また、頼朝も将軍になる前にここの神主さんからいただいたお守りのおかげで三回も大きな災難から脱がれることが出来たという言い伝えがある。また、修験場でもあったとされ、曾我兄弟の弟は坊さんになるために小さい頃にはここで、修行を積んでいたとのことである。
      

箱根神社では宝物殿が展示されていたり、曾我兄弟絵巻と銘打って放映されていたりしたのだが、閉館時間が如何せん過ぎてしまっていて、見ることが出来なかった。残念。箱根に行く機会があったら、見たいものである。曾我兄弟があだ討ちに使った刀も展示されているらしい。


だいぶゆっくりしたので、日が沈んできた。夕日が光る芦ノ湖もいい。

でも、この箱根には外国人観光客がやけに多い。何を謳ってこうやって人を集めているのだろう。疑問だ。

帰りは芦ノ湖からバスで小涌谷駅に行く。そのバスが込んでいて、一回は見送られてしまった。道も渋滞していて、途中ユネッサンスというところで、歩いたほうが早く着くと運転手さんが言っていたのを聞いて降りて歩く。でも結局はバスにそのまま乗っていた外国の人と同じ電車になったので、乗っていても同じだった。グスン。


小涌谷駅から箱根湯本に行き、小田原で讃岐うどんを食べて帰る。本場のうどんはやはりおいしい。セルフサービスの手軽で安いところで、なおかつおいしいんだから、二人とも大満足。いつもながら、こうやって歩けることに感謝して、今回のたびも終了。

                  25426歩  約15キロ

         
         


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