wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

初めて、東京競馬場へ

2018-05-27 09:13:58 | 関東近辺の日帰り旅行
平成30年5月26日(土)、ふと、「初心者限定!競馬入門」の文字が目に留まり、昔々ダービーの券を買ってきてくれて、楽しませてくれた亡き父のことを思い出し、ちょっとどんなものかなと申し込み、行ってきた。

競馬場は初めてて、こんなにもたくさんの人がいて、それに老若男女が入り乱れ、競馬を楽しんでいるとは思わなかった。
きれいな建物で、観戦にも指定席を取れば、上のいいところで馬券を買いやすく一日過ごせるのが分かった。

行き方は、「府中競馬正門前」まで京王線が通じている。でもいささか私が住む相模原からは遠い。よほど好きでなければ、毎週開催される土日に合わせて行く気にはならない。

また、買い方や予想の仕方等を教えてはもらったが、やはりにわか予想では、全く当たらなかった。
パドックでの馬の歩き方を見て、「元気に力強く歩いているのが良い。」と言われたが、どれも元気そうだし、
新聞の記者が◎や〇や△を付けているのを買っても、必ずしも1位になるとは限らない。
前回の走った時の着順やその前の馬との差を見ても、「うーん」と唸るだけだし、最後は騎手の勝率を見て、買ってみたけど、1着にはならなかった。

それに、100円買って、配当率が1.3倍なら130円の戻りだから、みんなが買った馬だと、面白みが全くない。
高いお金をかけないと、バックも少ない。
知れば知るほど面白そうだけど、余分なお金をつぎ込んで遊ぶくらいでないと、だめだなと思った。

27日はダービーで、今日26日、いやもっと前から、いいところでダービー馬が走るところを見たいと並んでいる人がたくさんいた。好きな人は好きなんだなと驚いた。
 

入り口や門はきれいで、敷地の中には「庭園」もあった。
   

パドックを歩く馬を近くで見ることもできる。
    

最後に、実際、馬が準備をしたり走ったりする「バッグヤード」を見学させてもらえた。
       

優勝した騎手が優勝インタビューをするところもあったし、優勝した馬が通る通路もあった。
芝は思ったより長い。よく足が絡まないものだ。
その日、明日のダービーの券も買えたので、思い切って買ってみた。結果はどうなるか。
人生勉強でこういうこともたまにはいい。
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お金持ちになれる?秩父聖神社へ

2018-05-19 17:44:51 | 関東近辺の日帰り旅行
平成30年5月19日(土)、何の予定もなかったので、以前テレビでやっていた、宝くじが当たったとかで、たくさんの人がお礼参りにやってきていると紹介されていた秩父の「聖神社」へ、私もあやかりたいと思い、行ってきた。

「続日本記」によると、8世紀初頭、元明天皇の時代、この武蔵国秩父郡から、和銅という天然の銅塊が発見されて、朝廷に献上されたことを祝い、年号か和銅に改元されたと記されているということだ。その銅を使って、日本で初めて、和同開珎(わどうかいちん)というお金を作ったらしい。

そんなお金にまつわる由縁の神社だからなのかは定かではないが、実際に神社の横には、「億万長者になりました」「ロト6で2等が当たりました」「株が値上がりしました」等々お礼参りの札がたくさん鎮座していました。
   

歩いて15分くらいのところには、実際の取れたところ「和銅採掘遺跡」がありました。どうも断層の割れ目から吐出していたらしい。川が流れていて、そこにある石が、ほのかに青っぽかった。
     

帰り道、はげ山があり、「山の形が変わるほど、採掘している」と主人が甚く嘆いている。
思わず写真を撮ってきた。秩父武甲山という山で、石灰岩を取っているらしい。
   

道の駅「芦ヶ久保(あしがくぼ)」でお土産を買い、帰ってきた。
 

圏央道が、開通して、埼玉や群馬辺りは、2時間位あれば行けるところになった。
これからも身近な名所めぐりをしていきたいものだ。
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町田の鎌倉古道

2018-05-04 15:23:42 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
平成30年5月4日、ゴールデンウィーク真っ只中の快晴のこの日、友人から「町田市の鎌倉古道を探索しよう(マップ付き)」の本を貸してもらっていて、なおかつ地図はカラーコピーしていたので、1度行ったことはあるが、もう一度行ってみようと車で探索に出かけてみた。

まずは、小野神社。小野篁(おののたかむら)の7代後の子孫が建てたという神社で、由緒正しき格式ある神社だと感じた。
   

この近くには「小野路宿」があり、交通の要所である。
「小野路」の地名の由来は、平安時代に、牧場地帯「小野牧」(現在の八王子市から日野市や多摩市、町田市北部)への入り口だったからとか、武蔵七党の一つ横山党の祖である小野氏との関係説や「小野郷」(現在の府中市)への道筋だからともいわれている。実際、府中から近藤勇は、剣術の指南に、小島邸(現在の小島資料館)に通っていたという。
    

新選組の輩が通ったという「関谷の切通し」も歩いてきた。
    

そのあと、野津田公園を歩いて、「古代駅家(うまや)推定地」を探す。かって奈良時代、武蔵国府(府中)と相模国府(海老名、平塚、大磯を時代ごとに変遷)を結んだ古代東海道は、野津田バス車庫付近で二つに分かれていた。文献によると、16キロごとに駅家(うまや)が設けられていたので、この辺りに、駅家があった計算になる。現在の神奈中バス車庫付近である。昔も今も交通に関連する施設があるのは、何かのお導きか。ただ、全く跡もなく碑もなかった。
地蔵塔(元高札場)はあった。
 

野津田公園には、鎌倉上の道が残っていて、今に伝えている。
    

最後に、七国山の脇を通って、新田義貞が、鞍をかけて休んだとされている、「鞍掛の松」に行った。
細い路地がたくさんある住宅街の片隅に一応、公園となってひっそりとあった。
   

野津田公園は、大きな公園で、サッカーをやっているグランドや自然を散策している人たちもいて、にぎやかだった。
また、町田は意外と起伏があり、歩くのには、大変のところだと思った。昔から人は、こんな山の上を歩いて、移動していたんだな、それに集落をつくっていたんだなと感心した。
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