平成28年3月27・28日(日・月)と、吉野の桜と吉水神社をもう一回行きたいなと思っていたら、丁度良いツアーがあったので、申し込み、行ってきた。
3年前に、4月上旬に吉野に行った時、満開ではなく、残念だったが、今回も時期が早いので、期待はしてなかったが、果たしてその通り、全く咲いてなかった。
でも、どんな具合か、伊勢神宮の1本、吉野の駐車場の所の1本は、満開の花をつけていたので、良しとしよう。
私が確認したかった、後醍醐天皇が執務を行った南朝の吉野朝宮跡や義経を匿ったり秀吉が盛大な花見を開いたという吉水神社は、改めてしっかり見に行くことができたので、満足した。
では、順を追って書いていこう。
新横浜から新幹線で豊橋に行く。天気はイマイチ、富士山は雲の中
豊橋からはバスで、渥美半島を南下して、伊良湖港へ。途中ガイドさんが、キムタクが家族でサーフィンによく来るという赤羽海岸の浜を紹介していったけ。また、暖かい気候を利用して、菊の生産が一年中取れるので、天皇のご崩御の時には、ここの菊を使ったという。伊良湖港では島崎藤村の「椰子の実」がここに流れてきたようで、資料館があった。
伊勢湾クルーズで鳥羽港へ。途中、神島なる神聖な?島があった。
伊勢神宮へ。まずは外宮。
ここでは、勾玉の形をした、お守りを子ども分3つ買った。これは、子どもが子宮から外界に出る形であり、良いお導きをしてくださるお守りだということで、是非とも、これからの息子たちの3人の行く末を守ってくださるようにお願いをして買ってきた。果たして、どうなるものやら。でも、行き着くところは、運命やそれぞれ自身の行いや考えで人生は決まることもある。
この間、ラジオを聴いていたら、島田洋七が、「人生は暇つぶし、暇つぶしには働くのが一番である。金ももらえるし。」と言っていた。
なるほど。だから子どもたちにも、働いて暇つぶしをしてもらいたい。この位に考えていたほうが人生楽である。結構なお金をもらっているのだし。

次に内宮。
英虞湾を見ながら、伊勢志摩サミットが開かれる賢島へ。でも、近くまでは行ったが、バスからなので、あまりしっかりは見られなかった。橋で繋がってて、4月辺りからは入ることができなくなると言っていた。名古屋駅でも警察官が警備をしていたし、それに向けて、準備をしている感があった。立派なホテルで、1泊20万円もするらしい。
一日目が終了し、伊勢志摩ロイヤルホテルに宿泊。このホテル、エレベーターがネックで、途中で乗る場合、なかなか下に降りられない。そこで、ガイドさんから、一回上に上ってから降りてきたほうが早いと伝授され、その通りにしたら、やっぱり早い。
2日目は、吉野山散策。なんと3時間もある。但し、今回のように、桜がまだ咲いていないときは時間に余裕があるが、実際満開の時は、すごい混みようで、駐車場に入るのに、一番最大3時間も乗っていたと言っていた。まあでも、こんなにスッキリ入れて、ゆったり散策できて、良かったといえばよかった。
国宝の蔵王堂
吉野朝宮跡
歩いていると、韋駄天山
いよいよ吉水神社。
秀頼が、茶釜を寄贈しているのには驚いた。父親と同じように、盛大なお茶会を開いたのだろうか。義経の鎧は、思った通りに小さい感じ。弁慶の瞑想の間の狭いこと。金屏風は本当に使っていたものか。後醍醐天皇は本当に座っていたのか。疑問が湧いてくるが、信じよう。
中千本にある如意輪寺に行こうとしたが、集合時間に間に合いそうもないので、途中、日本一の景勝地とうたっている小高い丘があったので、そこを登って引き返す。果たして、もし桜が満開であったなら、さぞかし素晴らしい眺めであろうという感じであった。
バスに帰る途中、勝手神社の看板。
後醍醐天皇由来の神社も。吉野の名産「葛」は、滋養食品として、昔から重宝されているそうな。
ゆっくりとした2日間。ホテルの温泉はいい湯だった。
こういう時間が過ごせ、ほんと幸せである。
みんなに感謝して、英気を養い、来週から、さあ働こう。
3年前に、4月上旬に吉野に行った時、満開ではなく、残念だったが、今回も時期が早いので、期待はしてなかったが、果たしてその通り、全く咲いてなかった。
でも、どんな具合か、伊勢神宮の1本、吉野の駐車場の所の1本は、満開の花をつけていたので、良しとしよう。


私が確認したかった、後醍醐天皇が執務を行った南朝の吉野朝宮跡や義経を匿ったり秀吉が盛大な花見を開いたという吉水神社は、改めてしっかり見に行くことができたので、満足した。
では、順を追って書いていこう。
新横浜から新幹線で豊橋に行く。天気はイマイチ、富士山は雲の中


豊橋からはバスで、渥美半島を南下して、伊良湖港へ。途中ガイドさんが、キムタクが家族でサーフィンによく来るという赤羽海岸の浜を紹介していったけ。また、暖かい気候を利用して、菊の生産が一年中取れるので、天皇のご崩御の時には、ここの菊を使ったという。伊良湖港では島崎藤村の「椰子の実」がここに流れてきたようで、資料館があった。
伊勢湾クルーズで鳥羽港へ。途中、神島なる神聖な?島があった。











伊勢神宮へ。まずは外宮。
ここでは、勾玉の形をした、お守りを子ども分3つ買った。これは、子どもが子宮から外界に出る形であり、良いお導きをしてくださるお守りだということで、是非とも、これからの息子たちの3人の行く末を守ってくださるようにお願いをして買ってきた。果たして、どうなるものやら。でも、行き着くところは、運命やそれぞれ自身の行いや考えで人生は決まることもある。
この間、ラジオを聴いていたら、島田洋七が、「人生は暇つぶし、暇つぶしには働くのが一番である。金ももらえるし。」と言っていた。
なるほど。だから子どもたちにも、働いて暇つぶしをしてもらいたい。この位に考えていたほうが人生楽である。結構なお金をもらっているのだし。






次に内宮。





英虞湾を見ながら、伊勢志摩サミットが開かれる賢島へ。でも、近くまでは行ったが、バスからなので、あまりしっかりは見られなかった。橋で繋がってて、4月辺りからは入ることができなくなると言っていた。名古屋駅でも警察官が警備をしていたし、それに向けて、準備をしている感があった。立派なホテルで、1泊20万円もするらしい。


一日目が終了し、伊勢志摩ロイヤルホテルに宿泊。このホテル、エレベーターがネックで、途中で乗る場合、なかなか下に降りられない。そこで、ガイドさんから、一回上に上ってから降りてきたほうが早いと伝授され、その通りにしたら、やっぱり早い。
2日目は、吉野山散策。なんと3時間もある。但し、今回のように、桜がまだ咲いていないときは時間に余裕があるが、実際満開の時は、すごい混みようで、駐車場に入るのに、一番最大3時間も乗っていたと言っていた。まあでも、こんなにスッキリ入れて、ゆったり散策できて、良かったといえばよかった。















国宝の蔵王堂



吉野朝宮跡


歩いていると、韋駄天山


いよいよ吉水神社。
秀頼が、茶釜を寄贈しているのには驚いた。父親と同じように、盛大なお茶会を開いたのだろうか。義経の鎧は、思った通りに小さい感じ。弁慶の瞑想の間の狭いこと。金屏風は本当に使っていたものか。後醍醐天皇は本当に座っていたのか。疑問が湧いてくるが、信じよう。
















中千本にある如意輪寺に行こうとしたが、集合時間に間に合いそうもないので、途中、日本一の景勝地とうたっている小高い丘があったので、そこを登って引き返す。果たして、もし桜が満開であったなら、さぞかし素晴らしい眺めであろうという感じであった。








バスに帰る途中、勝手神社の看板。




後醍醐天皇由来の神社も。吉野の名産「葛」は、滋養食品として、昔から重宝されているそうな。





ゆっくりとした2日間。ホテルの温泉はいい湯だった。
こういう時間が過ごせ、ほんと幸せである。
みんなに感謝して、英気を養い、来週から、さあ働こう。