wakuwakuな生活

徒然なるままに、楽しいことをわくわくするようなことを載せていきたいです。

和田塚から妙本寺へ

2022-03-27 16:03:25 | 関東近辺の日帰り旅行
令和4年3月26日(土)、久しぶりの歴史散策へ行ってきた。今回は時間がないので、近場で直ぐに行って帰ってこられる所を千ちゃんが計画を立ててくれた。今やっている大河ドラマのゆかりの地である「鎌倉」。
それもあまり人が来なさそうな「和田塚」と「妙本寺」である。
和田義盛は13人の御家人の一人で、私の住んでいる相模原とも縁がある。横山党の党首の娘を嫁にもらっている関係で、この辺によく来ていたようで、和田坂や箸に使った榎を指しておいたら大きく育ったという大木榎、藤の蔓を敷き詰めて橋にして渡ったという藤橋などがある。そこで今まで気になっていた「和田塚」を先ずはじめに行ってきた。
北条義時と和田義盛の武力衝突(和田合戦)で犠牲になった人たちを埋葬した塚として今日まで伝承されているそうだ。

次に、おにぎり屋さんで昼食。混んでいた。でもランチがおにぎりが選べて安くておいしかった。
でも、千ちゃんと同じものを頼んだのに、何かが違う。よく見たら、唐揚げが私のに付いていない。下でそのランチを見たときに、唐揚げまでついていて、豪勢だなと思ったのを覚えているので、間違いない。迷ったが、そのランチを持って、下の調理場に。
言ったらすぐに「すみません」と言ってくれた。
    

次に、妙本寺へ。
ここは比企家の館があったところだ。当主である能員(よしかず)の娘(若狭局)が頼家に嫁ぎ、一幡や公暁?を生んでいる。
力を増してきたことで、そして、頼家が病に倒れると、北条時政ら方に攻められて、能員は謀殺され、一幡も殺され、頼家は修善寺に流された。境内には、一族の墓や若狭局が身を投じた井戸も残っていた。
            


次に近くにあった「本覚寺」へ
   


お茶をして帰ってきた。
  


そこで、比企のことをまとめた。
 


武士の時代は自分の御家を残すために、戦いの連続だったんだな。そのために女子は一族郎党と同じ運命になる。
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和田義盛の妻は横山党の当首 横山時重の娘

2022-03-06 13:23:33 | 講演会
令和4年3月6日(日) 相模原博物館で「鎌倉殿の13人」の展示がしてあるというので行ってみた。

私の住んでいる近くに「和田坂」や「藤橋」というのがあり、この辺りの娘の娶った「和田義盛」が娘の嫁ぎ先に寄った時のエピソードと聞いたことがあったので、確認もあった。果たして、よくわかったので、写真を撮ってよいというので、載せておく。



「鎌倉殿を支えた13人の重臣ガイドブック」が展示されていたのでそれもとっておいた。
      
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