平成29年8月11日(金)、今年で2回目の「山の日」の祝日、雨が心配される天候の中、まああまり暑くないほうが歩きやすくてよかったのだが、鴬谷の「書道博物館」へ行ってきた。
まずは、早めの昼を食べ、それからゆっくりと、博物館や向かいの「正岡子規庵」、慶喜の墓へ行こうと話がまとまり、駅を降りる。
少し歩くと、根岸小学校という鴬が彫刻された立派な看板がある小学校があった。
その道路隔てたところに、有名な「笹乃雪」というお豆腐屋さんがあった。そこは、正岡子規や夏目漱石も通った豆腐屋さんということだ。少し奮発して、2800円の笹乃雪御膳を食す。
豆腐もこんなにも料理の仕方でバラエティに富んだ味が楽しめるものだと思った。
残念ながら、子規庵は9月まで閉館だということで、外見だけ撮ってきた。パンフレットの写真も載せておく。
書道博物館へ。
ここは、洋画家であり書家であり、小説の表紙や挿絵(夏目漱石「吾輩は猫である」)等、また、商品の標章(「みよちゃん」味噌)等を手かげていた中村不折氏のコレクションを展示した施設である。
中国の殷時代の甲骨文字から始まり、様々な時代の石に刻まれた文字が展示してあった。
中でも、亀の甲羅や牛の骨に刻まれた甲骨文字は占いで使われたもので、その解説を見ると、晴れるのか、雨は降るのか、災いは起こるのかなど、現代でも心配しているようなことを昔も占っていたようだ。
象形文字の「子」は、〇に十を重ねたもので、その文字が増えると「子孫」を表しているという。
夏目漱石は、「吾輩は猫である」が売れたのは、表紙や挿絵が好評だったからだと、お礼の手紙を書いている。
最後に、「谷中墓地」に埋葬されている「徳川慶喜」の墓に行く。
そこでは、地元のボランティアさんなのか、この「徳川慶喜」の墓について、とてもいろいろなことを説明してくれた。本来は仏教で葬られるものを、慶喜のわがままなのか、こだわりなのか、天皇家と同じ円墳で、神道で、埋葬されている。それには、当時、寛永寺の筆頭檀家であった渋沢栄一が慶喜に慶喜の弟と一緒にヨーロッパ遊説に
行かせてもらい、今あるのは慶喜のおかげだと恩を感じて、尽力を尽くしたと言っていた。
本人と本妻の墓が並んでいて、その後ろには、側室の墓があった。右側には、長男夫婦の墓もあったが、子どもがいなくて、御三家から養子をもらったと言っていた。
今回もいろいろな歴史的な史実を知ることができた。特に、慶喜の墓では、1時間半くらいずーと立って聞いていたので、みんな疲れてしまった。
5870歩4キロくらい歩いた感じである。
まずは、早めの昼を食べ、それからゆっくりと、博物館や向かいの「正岡子規庵」、慶喜の墓へ行こうと話がまとまり、駅を降りる。
少し歩くと、根岸小学校という鴬が彫刻された立派な看板がある小学校があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/76/0ad4b408579c0e544fe66a0b9fb05761_s.jpg)
その道路隔てたところに、有名な「笹乃雪」というお豆腐屋さんがあった。そこは、正岡子規や夏目漱石も通った豆腐屋さんということだ。少し奮発して、2800円の笹乃雪御膳を食す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/74/2f/bfe5413acb09a7fe76ae83b0ca5c1672_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/71/41/dd14f4048135ca9d00260bd824c53ffd_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/12/49/b097f394a1d8f2cb45ec38b0d109f33d_s.jpg)
豆腐もこんなにも料理の仕方でバラエティに富んだ味が楽しめるものだと思った。
残念ながら、子規庵は9月まで閉館だということで、外見だけ撮ってきた。パンフレットの写真も載せておく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/58/97/f1af7a619826e1630c6db68ac2881ada_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/67/48e9041daf5b3757393c7d35d2bea706_s.jpg)
書道博物館へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/51/3f/584312d5184ec617ba13bcf819f8dbe7_s.jpg)
ここは、洋画家であり書家であり、小説の表紙や挿絵(夏目漱石「吾輩は猫である」)等、また、商品の標章(「みよちゃん」味噌)等を手かげていた中村不折氏のコレクションを展示した施設である。
中国の殷時代の甲骨文字から始まり、様々な時代の石に刻まれた文字が展示してあった。
中でも、亀の甲羅や牛の骨に刻まれた甲骨文字は占いで使われたもので、その解説を見ると、晴れるのか、雨は降るのか、災いは起こるのかなど、現代でも心配しているようなことを昔も占っていたようだ。
象形文字の「子」は、〇に十を重ねたもので、その文字が増えると「子孫」を表しているという。
夏目漱石は、「吾輩は猫である」が売れたのは、表紙や挿絵が好評だったからだと、お礼の手紙を書いている。
最後に、「谷中墓地」に埋葬されている「徳川慶喜」の墓に行く。
そこでは、地元のボランティアさんなのか、この「徳川慶喜」の墓について、とてもいろいろなことを説明してくれた。本来は仏教で葬られるものを、慶喜のわがままなのか、こだわりなのか、天皇家と同じ円墳で、神道で、埋葬されている。それには、当時、寛永寺の筆頭檀家であった渋沢栄一が慶喜に慶喜の弟と一緒にヨーロッパ遊説に
行かせてもらい、今あるのは慶喜のおかげだと恩を感じて、尽力を尽くしたと言っていた。
本人と本妻の墓が並んでいて、その後ろには、側室の墓があった。右側には、長男夫婦の墓もあったが、子どもがいなくて、御三家から養子をもらったと言っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2f/12/8f4bc2d34ed67eb4edc5b87437b721d1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/3c/0389e4e46a83a5edbe0fe43981c5f233_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/78/7e/04faaa41b1a6229e2aa2b6454f65e425_s.jpg)
今回もいろいろな歴史的な史実を知ることができた。特に、慶喜の墓では、1時間半くらいずーと立って聞いていたので、みんな疲れてしまった。
5870歩4キロくらい歩いた感じである。