子どもが「スポーツはやりたくない」と思うことは良くないことでしょうか。
私はそうは思いません。
スポーツ、というものから“イメージされるもの”に対して、
自分には合わないとか出来ないとか思うのではないでしょうか。
それはそれでいいのではないですか?
そして子どもが描いたイメージに対して、
「いいね」とか「いやできるんじゃない」とか「それはやめておいたら」とか、
今度は大人の持っているイメージで話し始めます。
もし、大人の言うことに子どもを従わせてばかりいたら、
それは良かれと思って言っていたとしても、結局のところ、大人の枠の中にしか居ないことになりませんか?
その大人の人が、よほどすごい人であれば、それでもよいかもしれません。
でも、すごい人ってどんな人?
私はいつも、子どもたちには、「俺たちなんか超えていけ」って思っています。
「スポーツはやりたくない」=「動きたくない」ではありません。
それは、私たちのところに来てくれる子たちが証明してくれています。
スポーツをしている子もしていない子も、運動が得意な子も苦手な子も、
本当にいろいろな子が来てくれています。
将来的に、何かのスポーツに目覚めるのも、大いにけっこう。
科学者や開発者になるのも大いにけっこう。
自分が好きで、人のためになることであれば、何でも、大いにけっこう。
大人の想像を超えていけ!
