キャンディからは海岸沿いに出て、高速道路を使い「ゴール(ガル)」まで移動した。
それでも約6時間かかった。
スリランカの南西海岸は「黄金海岸」と呼ばれ、黄褐色の色をした砂のビーチが数十キロに渡って続いていて、その南端が「ゴール」の街になっている。
ゴールに着く手前、アンバランゴダとヒッカドゥワの間に大仏があった。
これは2004年のスマトラ沖地震の際、スリランカの海岸沿いでも多くの犠牲者が出た。
この辺りで、コロンボ発ゴール行きの列車が津波に流され横転してしまったらしい。
その時に犠牲になった人たちを慰霊するために、京都本願寺が建立した大仏(ツナミ・ホンガンジ・ヴィハーラ)だとか。
あちこち回ってみると日本の○○が寄付したとか、援助したとか、たくさん見かけられた。
結構日本とつながっているんだ、と感じた。
[ツナミ・ホンガンジ・ヴィハーラ]
周りは公園のように整備され、慰霊碑もあった。
大仏の前の海岸で休憩をとった。
ちょうど地元の人たちが地引き網をしていて、一緒にどうぞということだったので、仲間に加わり、何と言っているか分からないが、みんなで大きな声でかけ声をかけて綱を引っ張った。
思わず楽しい体験をすることが出来た。
ここからゴールに行く途中で昼食だった。
やはりビュッフェ方式のレストラン。
毎日いろいろな種類のカレーのような物が多かった。
美味しかったのだが、少し飽きてきた。
ゴールに着いた。
スリランカ南端の街、ゴールは、世界文化遺産「ゴールの旧市街とその要塞」に登録されている。
この街はかつてアラブ人の貿易地として発展した港街だったが、その後、ポルトガル、オランダの植民地となり、オランダはここを城塞都市とした。
そして更に、イギリスの植民地となったが、砦などは壊されることなくそのまま利用されていた。
ゴールは常に植民地の拠点となってきた街なのだった。
インド洋に突き出した小さな半島を要塞で囲み、その中に旧市街があった。
要塞の中にはキリスト教の教会、モスク、仏教寺院などがあり、一歩足を踏み入れれば、オランダ・イギリスの植民地時代が思い起こされるようだった。
[オランダ改革派教会]
スリランカで最も古いプロテスタント教会。
[オール・セインツ教会]
サンゴ石で出来た壁が特徴的なイギリス国教会の「オール・セインツ教会」。
[街並み]
植民地時代の街並みは、コロニアル調の建物に赤茶けた瓦屋根が特徴だった。
[時計塔]
旧市街のランドマーク、砦の上に立っている。
[灯台]
岬の先端に立つ高さ20mの白亜の灯台。
初期の物は焼失したため再建された。
[海岸沿いで見かけた花嫁]
[ゴールの紋章]
紋章の一番上にはニワトリが乗っている。
「ここに着いた西欧人がはじめて聞いたのがニワトリの声だったから」と、ガイドさんが教えてくれた。
仏教寺院が数多いスリランカの世界遺産の中で、「ゴールの旧市街とその要塞」は趣が違っていた。
スリランカの旅も終わった。
8ヶ所ある世界遺産の内、6ヶ所を回ったことになる。
明日はコロンボに行くだけだった。
コロンボ空港が改装中のためチェックインは5時間前となっていたので、コロンボ市内を観光する時間はとれず、空港から成田に直行となった。