しぶしぶという呈をよそおって、
剛三郎はぽつりとつぶやいてみせた。
「どこかの・・・大店の・・旦那の妾・・」
「あっ・・ええ?」
あまりにも意外な言葉がとびだしてきた。
お芳の胸がびくりびくりと動いているのが
自分でもわかる。
「なにを・・、そんな馬鹿な・・・」
剛三郎の話に何の裏打ちなんかありゃしない。
ないけれど、
それを違うといえる裏打ちもない。
違うといえる裏打ちもないどころか、
大店の旦那の妾。
そう考えれば、なにもかもにつじつまがあってくる気がする。
「じゃあ・・・。
お登勢は・・・もう、そこに行って戻ってこない覚悟で
でていったということなんだろうか?」
いったい、何処の大店の旦那だという?
妾を囲えるような大店で・・。
少なくとも
お登勢が出入りした店・・。
『染物屋の・・?
いや、ありえない。
あそこの夫婦は随分と仲が良いって、もっぱらの噂だし・・
小間物屋・・?
道具屋・・?
米屋はむこうがくるだけだし・・・』
すっかり剛三郎の術にはまって
お芳の胸の中で謎の旦那が詮議されている。
剛三郎は剛三郎で
「やれやれ、よほどつらかったんだろう」
と、お登勢の胸中を思い図る。
「そうだねえ。
おまえさんのいうとおりだとしたら、
確かに
何処ぞの旦那の妾になりますから
養子には入れません。とは・・・いえないよねえ・・・」
「あ?ああ・・・そうだなあ」
お芳の問いかけにさえ
剛三郎の気がそぞろになっているのも無理がない。
剛三郎は剛三郎で
お登勢が一先ず逃げ延びた先を考えていた。
「銭ももってないんだろう?」
「ええ。あたしがお給金をあずかったままですよ」
「だろうな・・・」
お芳はそれで
お登勢はどこかの旦那とうまくおちあってるのだろうと
考えているし
剛三郎は、お登勢と剛三郎の唯一の接点である
あの洸浅寺横の茶店で剛三郎が迎えに来てくれるのを
待っていると考えた。
銭ももたないで、茶屋に上がって待っているのは
さぞかし、心もとなかろう。
この場をはやく、いなして、
とにかくお登勢の待つ茶店にでかけねばならないと
剛三郎は話の腰を折り、この場を頓挫する機会を作るに専念しだした。
ふううとため息をついたお芳の口からは
もうなにも、ことばがでてこなかった。
いまだとばかりに
剛三郎はお芳にきりだした。
「ちょっと、洸浅寺にいってくるよ」
当然、お芳はとまどった顔になる。
「何も、こんなときに植木も何もあったもんじゃないだろう?」
おもったとおりの言葉がでてくると
剛三郎はやにわにたたみこんだ。
「ここで、じっと待っていて、お登勢がかえってくるのかい?
お前も店のことをやらなきゃなるまい。
俺も昨日、洸浅寺で中村の旦那にあったから、
付き合いでつつじをひとつ、かいこんだ。
そこが縁でまた商いがひろがってゆくってこともあるんだ」
盆栽だって商売のつてのひとつだと
剛三郎は言う。
「で、植木屋が今日もふたつ、みつ、出物をもってくるっていうから、
ちょいと、中村の旦那より先にみておきたいんだよ」
店の顧客とのつきあいだと言われれば
お芳も不承不承うなづくしかない。
「お前さんは・・・お登勢の行く宛てに心当たりはないのかい?」
つい、たずねたお芳も馬鹿だったとおもった。
「仮にもし、誰のところにいってくるって、
判ったとして、そこになんといいにいくんだ?
お登勢が
それで、もどってくるとおもうかい?」
ううん。ううん。と、首を振って再び
お芳は黙り込むしかなくなった。
むしろ、黙ってみのがすことしか、してやれないんだ。
と、しょんぼり肩を落としたお芳にもういちど、
「じゃあ、いってくる」
言い残して、剛三郎は出て行った。
店の帳場に戻っても、やはり
お芳はお登勢の事を考えていた。
剛三郎にああも、いわれると、
そうなのかもしれないと
おもうのだが、
お芳の中ではどうにもしっくり、納得が出来ない。
それが、なにか、なぜか、
ぼんやりとお芳はかんがえていた。
『なんだろうね・・。
なんだろう・・・。
何にひかかるんだろう?』
亭主の言う通りをはずして、考えるしかない。
「だいたい・・・。
どこかの大店の旦那?
これが腑に落ちないんだ。
そうだよ。それだよ。
だって考えてもごらんよ。
あのこは、目の前で幸せな暮らしと
家族をなくしたんだ。
そんなめにあった娘が
今度は、自分が人の幸せを奪うような、
家族の絆をむちゃくちゃにしてしまうような
妾になんか、なろうとおもうだろうか?
ばれなきゃいい?
自分の気持ちさえ満足なら良い?
いや、
お登勢はそんな娘じゃない。
いくら、本気でどこかの旦那にほれたって、
自分の父母を殺したような武者とおなじにはなりたくない。
自分の猛りに身を任せ、
人様を不幸のどん底におとしこむような、
そんな・・・。そんな・・・お登勢じゃない」
剛三郎にも
お芳にも、知らないわけがある。
わからないわけがある。
それでも、それでも、
お登勢が幸せになってくれるように、
あの娘なら、間違いはない。
今、改めてそう確信できたから
お登勢は幸せになるために出て行ったんだと
お芳は信じたかった。
帳場でまんじりと座り込んでいるお芳に
「女将さん、女将さん」
と、丁稚の喜助が大きくよばわるから、
「なんだね?何度もそんなに大きな声でいわなくても、きこえてるよ」
耳が聞こえてないみたいになんだね、と、癪にさわるものだから、
お芳の声が荒げに成るのを、手でそっと宙を押さえる仕草を見せて
喜助がいう。
「女将さん。お客様ですよ」
いわれて、見れば、たたきのむこうに突っ立ったまま、
身なりの良い五十がらみの男が丁寧に頭を下げた。
どうやら、喜助が何度も呼ばわる声がきこえていなかったお芳だったようである。
お芳に頭を下げた男はおずおずと
お芳の側によってくると、
「おかみさんですね?
実は今日は大事な話をうかがってもらおうと、
やってきたのですが・・・・。
ご主人様もご在宅でしょうか・・・」
「いえ・・・主人はちょっと、でかけておりますが・・・
おっつけ、もどってきます。
あの・・・。
私だけでも、
先にお話を聞かせて頂くわけには参りませんでしょうか?」
お芳の胸に期するものがある。
「ああ。それはようございますが・・・。
はなしというのは、
ご主人さまの了解をえるべきすじのものですので・・・」
話すだけの事になるのだがと、
言われれば、ますます、お芳は
この話が
お登勢の事。
それも、縁組のことだとおもえて仕方がない。
何処のあほうが妾にくれと使者をたてよう?
と、なると、縁組としか考えられない。
問題は・・・相手がだれかということであるが・・・。
「あ・・」
やっと、きのまわらぬことと、きがついて、
お芳は男を座敷に上がるように
すすめると、
男は
「それでは、遠慮なく・・・」
と、やはり、大事な話らしく
ゆっくりと話せる場所への勧めを受けた。
おく座敷にあないし
座卓の前にて男と対面ですわりこむと、
お芳は思い切って尋ねてみた。
「この店の奉公人のお登勢の事でしょうか?」
男はちらりとお芳をみた。
「さようです・・・。
私も不調法なことで、
仲人などというものなぞ、やったことがないのですが、
ましてや、
形だけの仲人でなく、
此方のお登勢さんを是非とも貰い受けるように、
一から、話をまとめてくれという、
まことの仲人という大役をたのまれまして・・・」
と、いうことは・・・・?
「あの、と、いうことは・・・。
お登勢となにか、約束をしたということでなく・・・?」
「はい。先方は
いたって、お登勢さんをきにいっておりまして、
まずは、ご自分の両親を説き伏せ、
あたまをさげて・・・。
お登勢さんをいつでも、迎えられる下地をつくりなすったんですよ。
そこのご両親から、
息子の本意をかなえてやってくれまいかと、
こんな私に白羽の矢がたちまして、
急でおどろかせたこととおもいますが、
さっそくにまかりこしたというわけです」
「はあ・・・?」
「愕かれるのも、無理がない。
当の本人同士に約束が出来ていて、
話にいってくれというのなら、
私も易いものです。
が、お登勢さんはもとより
お登勢さんの預かり人である、
木蔦屋のご主人、女将さんに
先にうんといってもらえというのですから・・・。
私も断られても面目が立たない。
先方の気落ちも見たくは、御座いません。
あまりに責任重大すぎて、
私の方が愕いてる始末です」
「はあ・・・」
お芳の中はこんぐらがっている。
お芳とて
お登勢とその誰かが約束を交わしていての上のことだったら、
お登勢が出て行ったわけにも納得がいく。
そして、お登勢もいずれ、そこにおちつくのだと安心できる。
ところが、そうじゃないという。
で、その先方さまとは、どちらさまでしょうか?
とも、ききたい。
だが、お登勢が出て行った今、
此方がうんという事も、いいえということもできないし、
お登勢に話してみましょうということも出来ない。
そんな状態のお芳が
先方様が誰であるかと問うことは出来ないことである。
ところが男の方が先方とは誰在るか?
と、たずねようともしないお芳に疑念をいだいていた。
「それと・・・。
お登勢さんには既に誰か?」
木蔦屋自体がお登勢に誰かをすすめているかもしれないし・・・。
気立ての良い、美しい娘であるお登勢を
嫁に欲しいと既に誰かの話がたっているのかもしれない。
だから、そちらは誰だろうとはたずねがたいのかもしれないと
不安になっていた。
「いえ・・・そうではなく・・・」
どういえばいいのだろう。
お登勢が出て行ったわけが、
先方さまに関係するのなら、
むしろ、
先方さまのせいであるならば、
子供養子の話を断るために
そちら様と一緒になるためにでていったようです。と、いえなくもない。だが、そこのところがさだかでない。
うかつにはいえないということになる。
だが、その人でない他の人の所に嫁ぐ気のお登勢だったらどうする?
いや、まさかとおもうが
剛三郎の言うとおり、
どこかの妾にでもなるつもりなら、
むしろ、そんなことをあきらめさせて、
この話をまとめてやった方が良い。
まとめてやった方がよいが、
どこかの旦那の世話になるためにでていった
などともいえるわけがない。
かといって、
茶をにごしていても、
お登勢とじかにはなしたいといわれたら、
やはり、いずれには、ごまかしきれなくなる。
どういえばいい。
お登勢の身の立つように・・。
出て行ったわけを繕うに
繕うわけを思い浮かべようと
お芳は黙り込んだ。
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