次の日。
出勤すると、教授の姿が無かった。
事務局女史が、「教授のお母様の容態が・・」と、だけ、教えてくれた。
確か、宮城に独りで暮らしていると聞いた事がある。
「住み慣れた土地を離れたがらない。動けなくなるまで頑張るつもりだろう」
気がかり半分と寂しさ半分とがいりまじった溜め息を教授はついた。
教授の母親だというのだからもう、75歳くらいだろうか?
それが、昨日の電話だったのだ。
瞳子も一緒に行ったにちがいない。
しばらく、帰ってこれないのだろうか?
教授もそう長くは講座をやすみこともできないだろうし・・そうなると、瞳子と奥さんを宮城において、帰ってくるかもしれない。
私は自分の底にふと、教授の母親が瞳子達を長く足止めしないですむ、ひとつの結果をなんとなく期待している自分がいることに気がついた。
看護が長引けば、瞳子と会えない。
長引かない・・それは、口に出すのも恐ろしい。そんな期待をもつのも自分が、いまさらながらくるおしいほど、瞳子に恋しているからだと思った。
恋は盲目とはよくいったものだが、私は改めて瞳子の存在がかけがいないないものになっていると、今回のことで思い知らされたのだと考え直すことにして、教授の母親の健康を祈りなおし、はれて、瞳子にあえる日を待つことにした。
1週間というものが、こんなに長かったのだと思ったのは、
あの電話から、7日後、構内にはいる教授の姿を見たときだった。
「あ、おかえりなさい」
訃報がとどかなかったのは、容態が持ち直したせいだろうか?
それとも、余談赦さぬ状態のまま、教授はふるさとをあとにしたのだろうか?
「うん・・」
くすぶった声のあと、重い鉛を吐くかのように、瞳子のことを、告げてきた。
「しばらく・・宮城から・・かえってこれそうもないんだ。妻と二人で・・母の傍にいてもらうことにした」
哀しい響きが声の底に根を張っている。
私はそれを、教授の母親の運命を暗示しているのだと思い込んでいた。
だが、教授は老婆一人の生死より、もっと、重く、哀しく、苦しい運命の舟に乗り込んでいた。そして、私もまもなく、その舟に乗り込むことに成る。
瞳子と会えなくなって、2週間が過ぎた。
教授から笑顔が消え、消沈は顔色まで変えていた。
だから、私はいっそう、瞳子が帰ってくるのが待ち遠しいという思いが外に出ないことに気をつけた。
瞳子が帰ってくるという事は、おそらく、教授の母親の死を意味する。
瞳子にとっても祖母であり、私にとっても義理の祖母という事に成る。
まだ、あったことがなく、結婚式で邂逅するはずの人だったが、それも、かなわなくなるのかもしれない。
瞳子だって、一目でも花嫁の晴れ姿をみてもらいたいと思っていただろう。
「教授・・・」
黙りこくったまま、資料に目をおとしていた教授の横顔を見るのも辛かった。
この2週間で、教授の顔色はうってかわった土気色になり、青ざめた眉間に疲労がよどんでいた。
「ぶしつけなことをたずねますが、お母様のご容態はいかがなものなのですか?
私の勝手な考えですが、もしものことがあるのなら、瞳子の伴侶がどんな人間か、みることもなく・・・と、いうことでは、お母様は無論、瞳子も心残りだとおもうのですが・・」
教授の沈痛な面持ちに、意識がない状態なのか、それさえ、聞くに聞けずにいた。
教授の様子はまさに腫れ物で、私は、今日はじめて、たずねることに成った。
「それは・・君が宮城まで、顔をみせにいってくれるということかね」
教授の言葉から母親の容態をはかるしかないが、即座にあっても無理だといわなかったということは、母親の意識はしっかりしているということになるのだろう。
が、
私の顔をまじまじと見つめ返した教授の瞳の中に哀しみと迷いが交錯し、それ以上の言葉をつがなかった。
それも、後から思えば、教授は私の一言で、これ以上事実を隠し通すわけにはいかないと追い詰められていたのだ。「あ・・」
教授はなにか、言おうとしていた。
漏れた声の続きは教授の手の中にうずもれた。
長い間、両手で顔を覆い続けた教授のその様子は私には、声を殺してないているように見えた。
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