男が井筒屋奥の間に上がりこんだ頃、
木蔦屋にやっと剛三郎が
戻ってきた。
相変わらず一目散に庭に降り立とうとする
剛三郎に
「おまえさん。ちょいと、盆栽はあとにして・・・。
こっちへ来ておくれよ。
良い知らせがあるんだよ」
「まあ、待ちなよ・・・」
お芳の言葉をかわしておいて、
剛三郎は剪定の道具箱をのぞいた。
あるはずのものが無い時の
人間の顔は、どこか、魔が抜けた表情になる。
思考と感情がいっぺんに止まり
頭の中と同じに顔まで無表情に近い。
とまった時が動き始め
剛三郎は此処にあるはずのものがないわけを考え始める。
蓋をあけりゃあ、直ぐ分かる場所にかきおきなんぞ
残しておいて・・・。
側にお芳がいて、一緒に覗き込んだら
それは何だ?
ひょっとすると、
お登勢が何か書いて寄越しているのではないか?
見せろ。
と、ひと悶着が起きる。
あげく、そこに
『何処そこでお待ちしています』
等とでも、かかれてあったら、
いくらお芳でもどういう意味か、判る。
お芳にでなく、
何故、剛三郎に書置きを残すのかと、
いう事だけでも、充分に疑いの種があるのだから、
お芳が簡単に覘きこめる場所に置くぬかりを
お登勢がするわけがない。
俺も考えが甘い。
と、剛三郎は今度は剪定箱ごと持ち上げ
箱の下を覘きなおした。
『ここではない・・・』
と、なると・・・。
剛三郎だけが気がつく場所が他に思いつかない。
何処までも、お登勢が自分のものだと思い込んだ男は
今度は別の方法を考える。
『誰かを・・・使いに寄越すきか?』
まてよ?
さっきお芳が知らせがあるといっていたな。
それか?
誰かが来た?
だが、俺が居なくて、お芳が居たものだから・・・。
何か、当たり障りの無いことをいって帰った?
ついでに何を言ったか?
お芳が黙っていてもこっちに誰か来たことを
話したくなる嬉しいおせじか、
商売がらみのことか?
そうかもしれない。
それで、ゆっくり商談したいと俺を呼び出す算段をつけたか?
だな?そうだな。
だったら、
お芳の話をききにいくか。
剪定箱の蓋を閉めなおすと
剛三郎はやしきの中に入っていった。
お芳が用意した麦茶の湯飲みを手の中に収め
「ああ・・もう・・こんな時期になってるんだな」
と、常を装い、
「それで、良い知らせっていうのは?
なんだい?
お登勢がみつかったのかい?」
お芳にとって良いしらせというならそうだろう。
お芳にかこつけて、
かまをかけてみれば・・・。
「ううん。そうじゃないんだよ。そうじゃないんだけど、
おまえさん、
吃驚おしでないよ・・」
「なんだよ?
偉く、もったいをつけるじゃないか?」
お登勢が見つかったより、良い知らせで、
おまけに俺が愕く知らせって、なんだろう?
「あのね、お登勢に縁談なんだよ。
お前さんが出かけてる間に五十半ばくらいかねえ。
身なりの良い・・あれは、どこかの大店の旦那か、
町役か・・・」
喋り出したお芳であるが
相槌も打たない剛三郎に
さては、とんと吃驚しなすったねと
剛三郎をまじりとみつめてみた。
だが、剛三郎の顔つきが妙にこわばっている。
「おまえさん?」
お芳の浮いた口調に調子を合わせ切れなかったほど
剛三郎の心中は波立っていた。
『どういうことだ?
縁談?
それは、どういうことだ?
お登勢がどこにも、居なかったのは、
つまり・・・そういうことか?
お登勢はどこかの男と既に夫婦約束をかわしていた?
それなのに、
子供養子だの
果てには俺の妾になれだの・・。
そんなことを言われて、事実をしゃべることが出来なくなって
俺を振り切るために嘘をついたってことか?
ふっ
そうかもしれない。
だいたい・・・今までのお登勢をかんがえりゃ
あんなふうに男の胸の中にあまえてくるなんて事自体
できる娘じゃなかったはずだ。
それを・・・。
どこかの男と深い仲になった『女』だからこそ、
見せる手管だと気がつかず
おぼこい娘の必死の恋情だと思った俺が
あまいというか・・。
うまく、たばかれたというか・・。
こんなことなら、あの時
障りだろうが、何だろうが・・
あ?
あははは・・。
それも嘘?
え?
お登勢・・お前、よくもしゃあしゃあと・・・。
ようは、
俺はお登勢にうまく袖にされたってわけだ。
そして、
そ知らぬ顔で相手の男との縁談話をもちこませる?
こけにするのもいいかげんにしろ』
黙り込んだ剛三郎の顔に険が走っている。
「おまえさん?
どうしたんだい?」
お芳の声に剛三郎は我に返る自分を取り戻し始めていた。
「ああ・・いや・・縁談といっても、
お登勢が此処を飛び出してゆくような相手では
ろくな人間であるまいとおもえてな」
顔つきの変わったのは既に尾芳に気が疲れていることであらば、
それなりの繕いが必要で
縁談の相手が心配だと剛三郎は切り抜けた
だが、
お芳は剛三郎の考えすぎだと笑い出す。
「だってね。
そりゃあ、あたしもそう思ったよ。
でも、むこうがいうのには、
どこかの大店の若旦那がお登勢を見初めて
この話をまとめてくれって、で、ひと肌ぬいだってことだよ。
お登勢が出て行ったことさえ知らなかったんだよ」
「と・・いうことは?」
「だからさ、
その若旦那としめしあわせてのことじゃないってことだよ。
まあ、それで、
あたしも、此処に居ないお登勢を
どうぞってわけにもいかないじゃないか。
仕方ないから、出て行った事をはなしたんだけどね・・・」
剛三郎がそれでも、やはり、怪訝な顔をする。
しめしあわせてのうえでないと、得心するに、
なんの証拠も、根拠もみえないというところである。
「で、その若旦那っていうのは、
どこのどなた様だっていうんだい?」
「それが・・・。
お前さんが帰って来たらきちんと名乗りを上げて
相手のことも話すつもりだったんだろ。
ところが肝心のお登勢がいないってんじゃ、
在った話にもなりゃしないじゃないか。
むこうはお登勢を探すっていうし、
あたしも、お登勢が出て行った理由を考えると
ぬけぬけと
どちらさまでしょうか、なんてきけやしないよ」
「な?なんだよ。
まるで、こっちがお登勢をおいだしたみたいにいうじゃないか。
お登勢は自分の勝手でとびだしちまったんだ。
それをなにも、こっちが負い目に感じる必要はないじゃないか」
お芳は、肩からぬけてゆくような大きくため息をつく。
「おまえさん。
本気でそう、おもっておいでなのかい?」
「本気も何も、実際、そうだろう?
お登勢のすきなようにさせてやればいいって
昨日もはなしたじゃないか。
そして、こうやって、お登勢がでていったんだったら、
お登勢が自分の好きなようにしたんだって、
かんがえてやればいいんじゃないか」
いかにももっともらしく聞こえるが
剛三郎にすれば、お登勢の出て行った理由から、
話題を遠ざけてゆきたいだけでしかない。
「ああ。あたしもそうも思ったんだ。
だから、うかつに、
ただ、お登勢が出て行ったことだけを話したら、
お登勢が此処を足蹴にしたようにもおもわれようし、
出て行くわけを告げずに言ってしまったことも
それこそ、おまえさんのいうように、
でてゆくわけをいえないのは、
どこかに妾奉公でもする気かとむこうも思うかもしれない。
だから、あたしは
夜這いのことから、お登勢の生い立ちから、
何もかも、話して
お登勢がでてゆくわけはいわなかったけど、
けして、間違ったことをする娘じゃないって
それをしんじてもらいたくて・・・」
「ああ・・・。お登勢はそんな娘じゃない・・」
その言葉にお芳はいくばくか、胸をなでおろしたが、
剛三郎の呟いた意味は違う。
「それで、その人が言ってくれた事こそが
お登勢が此処を出て行った理由だと思うんだ」。
此処に来た男がお登勢の出奔の理由を詮議がましくするのも
気に入らないが
人様の奉公人の内情にまで首を突っ込んで
しゃしゃりでて、お芳に何をふきこんだというのか。
「ちょ、ちょっと、待て。
何処の誰かも言わない、
誰の使いで来たかも言わない。
おまえ、そこをきちんときかないで、
その話が本当かどうか、確かめもせず
夜這いがあったのどうのと、しゃべくっちまうなんて、
うちの店の恥じゃないか。
主人の目の不行き届きだとも、
お前が言っていた通り
主人の威も落ちたもんだ。
奉公人に舐められたもんだと
思われるだけじゃないか。
どこの誰か話してくれて、それが、確かなものなら
わからないでもないが・・・」
剛三郎の中に生じた危惧がある。
いくらお芳だって、長い間商売をやっているんだ。
人を見る目はある。
だから、お芳だって納得までは出来ないまでも、
男を信用したという事になる。
と、いうことは、その男は・・・。
それなりの人物と風格を見た目からも
話術からもそなえていると考えられる。
これは、どういうことになるか・・・。
そんじょそこらの、伊達者くらいじゃないってことになる。
つまり・・・。
商連の主人格。
あるいは、町役。
商連の主人格なら・・。
事の真相を見抜かれた日には
商連会からの信用を失うのは自分になる。
だから、
剛三郎は夜這いの主が自分で無い風に話が進んだのかを
お芳をしかりつけてみて、確かめていた。
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