正月を迎え正眼の元に政勝夫婦と白銅がやってきていた。
久し振りに顔を合わせた白銅が
「えらく色が黒うなりましたな」
思わず政勝に言った。
それもその筈で、政勝の代わりのかのとが
「ああ、この人。一穂様の養育係りを仰せ付かりましたのよ。
闊達でよう動きますそうです。
馬も弓も剣に槍まで、その上に毎日の様に外歩きをなさいますに
付いて歩く内にあのように・・・」
「黒うなった」
かのとの後を政勝が一言継いだ。
一穂は主膳のたった、一人の男である。
数えの十二になるが頭も良い。
身体も機敏でなにより政勝の教える事の呑みこみが早い。
「あれは良いお子じゃ」
政勝も手放しに誉めるのであるがそれもその筈で、
主膳の相好が崩れるような話がある。
主膳の方も、勢姫の死を知るとさすがに心の寄る辺を失くしたのであろう。
自然、一穂に目が向けられる様になる。
そうなると八重の方に逢う事が多くなる。
八重の細やかな気配りに悲しみが癒されるほどに
八重の方との仲が拠り戻され深まっていったのである。
「すまなんだ。長い間、その方を・・」
頭を垂れる主膳をみるお八重の頬にも伝い落ちる物があった。
「いえ・・」
かなえの死によって心の底深く流れていたかなえへの思いが渦を巻いたまま、
途切れてしまうと
主膳は勢姫へ愛情を傾ける事で、かなえを亡くした悲しみから立ち直ってきた。八重もそれを良く判っている。
が、その勢姫も天守閣から身を落とした。
母子が同じ死に様の因縁の深さに八重は主膳の心中を思うと胸が痛んだ。
どんなに主膳を思うても、かなえ様には勝てぬ。
そう己に区切りをつけると、
それでも、たった、一人もうけた一穂を育て上げる事が
主膳への、自分の出きるたった一つの尽くしであると信を持つと
一穂に愛情を注ぎ、慈しみ、
そして、何よりも主膳の子である事を誇りに思い、主膳の一子である。
何よりもそれに恥ぬような、お子でありやと厳しく育ててもきた。
「よう、一穂を」
「はい・・・」
己を見返りもせず勢姫の事ばかりであった父であるのに
八重がよう教え込んで育てたのであろう。
一穂が父を敬愛するのが手に取る様に判るのである。
「父が好きか?」
「父上がおりませなんだら、一穂は生まれてきておりませぬ。
一穂の命より大事なのは父上様です」
わずか、十歳ばかりの子がそう言いのける。
その言葉を聞くとはからずも主膳の目に小さな雫が浮かんだ。
ぽたりと膝の上にそれが落ちるのを見ると
「父上。一穂はいけない事を申上げましたか?」
「いや。お前の命はの、父が与えた物じゃ。
じゃが、其れ故にわしの命より大事なのが一穂の命じゃ。
お前が言うのはさかしまじゃ」
「でも、父上がおればこその一穂だと、母上が・・・」
「良い。良い。お前が命。それが一番じゃ。
自分の命、二の次にするは親になってからで良い。
一穂。親より大事な命。粗末にすなよ」
「はい」
素直に肯く一穂の成長振りにも目覚しい物があったのである。
その一穂の従者に政勝を選んだのも
主膳が政勝の豪胆な所を気に入っているせいでもあったが、
勢姫の一件でも判る様に
政勝という男に対して
主膳の方も親の情を衒いもなく見せる事ができたせいであった。
政勝も主膳の心根を察して細やかな心配りで一穂に仕えていたのである。
その政勝が腕を組んだまま、白銅に尋ねた。
「所で日取りは決まったのか?」
色々とかのとの方から聞かされていると見えて
政勝もひのえと白銅の事は承知の事のようだった。
政勝の問いに白銅の頬が軽く上気して見えた。
「あ・・雛の日に」
白銅が答えるのを
「そんなに?待っておれるのか?」
からかう政勝の袖を引いているのがかのとであった。
やがて長過ぎる年賀の礼もそこそこに政勝夫婦と白銅が帰って行くと
正眼もしんみりとしてしまう。
「春にはとうとうわしも独りぼっちじゃの」
気弱な「あ、それが、鼎様の事があって、白銅の御父上があの」
「なんじゃ?」
「諦めていた娘が帰って来たのであらば白銅を出しても良いと」
無論、養子にである。
正眼の後を取る者はひのえしかいないのである。
有難い申し出ではあるが正眼は黙って首を振った。
「鼎殿の生き方を狭めてはなるまい?」
「はい・・」
「ましてや、女は嫁ぐものだ。仕える相手は夫君であれば良い。
家の為、名の為、親の為、夫君を後にしてはならぬ。
それは鼎殿もそうであろう?」
「はい・・」
「親より、夫君が大切であらば親にとってこれほど幸せな事はない。判るな?」
「はい」
ひのえが強く頷く。
その頷いたひのえの顎の線に瞳を落したのも、
正眼の瞳に溢れて来る物があったせいである。
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