「成る。成らんではない。心一つこそがいとおしいの」
「あ?」
沼の神の言葉に澄明の胸の中に
一心に思いのまに生きた楠が浮かび上がった。
澄明もまた、沼の神のように、楠の思いを愛しいと思った。
『澄明の・・この私の、この思いこそが愛しい?』
そういうことか?
そういうことなのだ。
自分の中のこの思いこそが愛しい。
『お前の言うとおりだ。この思いをこそ尊ばず
白峰にくじられる事ばかり儚んでいた』
上を向いた澄明の顔は又澄明の心も上向いている事をみせる。
落ちてくる涙をこぼすまいと上を向いた顔を沼の神に向けなおすと
沼の神は静かに語りかけた。
「この、男の心もいじらしいと思うてやれぬか?」
俯く哀しげな白峰大神である。
ふと、ふと、いじらしい。
白峰大神のことではない。
ここまで、澄明の心をとらえようと哀れな道化さながら
幾度も姿を変転させた沼の神がである。
「もうよい。こい」
「なんというた?」
「お前を見て居ると自分の様だ。
なんともならぬをおろおろと諦めきれずに居る。
自分をみておるようで・・・」
「みておるようで?」
この気持ちが生じてくるさえふしぎである。
「愛しくなってくる」
「本意か?」
「思い一つに必死になれるお前がうらやましい。
私はお前を抱くと見せてありたい自分を
いとしんでいるだけにすぎない」
「ならば・・・いらぬ」
「え?」
「お前の思うた通り。わしはお前の心を捕らえたい。
お前を抱くはそのあかしでしかない。
なれど、今のお前は。結局、己可愛いでしかない。
そんな心なぞこのわしはいらぬ」
思わぬ拒絶である。だから、聞ける。
「どう思えばきがすむという?」
「お前の情でだいてくれぬか?」
「私の情?」
「今いうたように「どうすればきがすむ」
これが相手の思いをくるんでやる情であろう?」
自分のきがすむことでなく、
相手の気がすむことを与え尽くしてやりたいと考える。
「おまえのきがすむ?」
「わしは、本意でお前をだく。
おまえはそれにこたえているか?どうじゃ?」
「こ・・こたえているとはいえません」
「澄明。わしがこと抱ける女子にならぬば・・因縁はくりかえす。
なれど、因縁繰り返しとうないが心根でわしにだかれても、むだじゃぞ」
え?
「わしが所に近寄るお前の下心では、わしをだくは無理だと言うておく」
あ?
「答えはかんたん。わしを好きになるがいい。
どんな姿をみせようと、それはお前の心の写しにすぎない。
わしの心だけを見詰められるとよいのにな」
寂しげにうつむくとひょいとからだをひねった。
それから、何度比良沼に行こうとも、
何度よぼうてみても、沼の神は姿を現さなかった。
あの夜、身体をひねると沼の神の姿が揺らいだ。
揺らぎながら後じさりする沼の神の姿は
政勝のような白峰になり、
白峰のような政勝になった。
包んでやれといわれた己自身の心の象りを表す白峰と、
包まれてしまいたいと思わせられる政勝の姿が
奇妙に渾然一体化し、一番抱かれたい男と
一番抱かれたくない男が一つの物になっていた。
『何を悟れという?』
澄明の心の表れであるというならば、
其の姿は、一体、澄明のどんな心をあらわしているという?
それが最後であると、思うわけもなく
澄明は沼の神が要求してくる悟りを見つけようとあがいた。
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