足掻ききれず、三日の後。
澄明は比良沼に足を運んだが、沼は静まり返り、
何ひとつ、動く気配もみせなかった。
さらに三度。日を置いて比良沼を訪ねたが、結果は同じだった。
いったい、なんであったのだろうか?
突然目の前に現われた奇妙な生物は僅かの間に
澄明の心の岐路を見せつけた。
―お前の心に答えた―
沼の神が言うた事は本当のことだと思う。
白峰の暴挙を喜んで受けられる法はないか?
結句澄明が心に岐路を作る基はそこでしかない。
沼の神が教えてくれた事は、
澄明が探っていた、白峰の暴挙を喜んで受ける法であったと思う。
自分の思いの愛しさを知ってみれば、
また、白峰の思いも、いけるものの一心として
澄明の中で愛しいものであると考えられるようになった。
思い一心に生きるものは、すべからく、尊い。
こう思えるようになったのは、沼の神の示唆による。
自分の思いこそが愛しい。
自分と云うものから否定していた時、
白峰の事も、暴挙としか思えなかった。
だが、今は白峰も白峰で思い一心なのだと思えるようになってきている。
くじられる、なぶられるとしか思えなかった、自分主体の見方から
白峰の思いをみる見方になると、
ふと、それは、それはさぞかし抱きたい事であろうと、
自分の中の政勝へ恋慕が白峰の恋情を解させる。
思いと身体が重なる事ばかりでないかもしれない。
ゆえに思いこそなくしたくないと気が付いた今、思いこそ愛しい。
思いこそ自由だと思ったとき
澄明は又己を飛翔させられる事に気が付いた。
くじられる、なぶられるでない。
抱かれるのでないこの澄明こそが抱いてやる。
これくらい、思いの世界では立場を
いくらでも自由に変えられるというに
それ程に自由な思いをして悲惨にもくじられる。
なぶられると儚んでいる事が無益に思えた。
最後の沼の神の寂しげな顔が浮かびあがり澄明は、
もっと、気が付いてゆかねばならない自分が居る事だけは
しっかりおぼえておこうと思った。
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