憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

―沼の神 ― 終 白蛇抄第11話

2022-09-02 11:09:15 | ―沼の神 ―  白蛇抄第11話

澄明は今朱雀と対峙している。
沼の神が教えようとした思いは
いくばくか澄明の中に育まれつつあったが、
沼の神が何者であったのか今ひとつわからない。
澄明の尋ねを黙って聞いていた朱雀であったが、やっと口を開いた。
「澄明・沼とはどう書きます?」
問われた事にまま答える澄明である。
「水を召す・・・ですね」
「そうですね。ならば水、これはなんですか?」
考え込む澄明である。
沼を水を召すと解くのは字面通りであるが水とは如何?
と、問われれば頭をひねるしかない。
「わかりませんか?」
答えを出せず黙り込む澄明にそっと助け舟をだす。
「水を注ぐ音はどうですか?」
音から考えるかと発想の転換についてゆけない自分の固さが
可笑しいが澄明は思うままに答える事にした。
「じゃあ、じゃあ・・か?」
ところが、朱雀はそうでないという。
「いいえ。じょう、じょう、です」
澄明の言葉を言い換える。
そうであるかもしれない。
澄明は黙って朱雀の明かしを聞くだけである。
「じょう、じょう、すなわち情ですね?」
と、いうことは
「沼の神の心は情でしかないと?」
澄明欲しさでないというが腑に落ちなくもあるが、
続く朱雀の言葉が滑る出すのを聞くと澄明は黙った。
少なくとも澄明には判らなかった沼の神の心を
解き明かせる見解を朱雀は持っている。
澄明には及びつかない事である以上まず、聞いてみるしかないのである。
「情はまた、じょう。じょう、すなわち上(じょう)です」
また、判らない事を言い出す朱雀である。
「じょう?上?」
全く闇の中を手探りで歩くに似ている。
示された物を手に取り、出口への進路を探るに似ている。
「上(じょう)は己の上にあるべき心のありよう。
上はまた、かみという。
上の心をして、神とあがめ、この心に添えよと己に物申すが本来」
少しばかり澄明が自分で考え付くのを待つ朱雀である。
「すると?」
朱雀は澄明が気が付いたとおりと頷くと一気に事実を解き放った。
「おのれの心の底に沈めた神が浮上したのです。
水を召したい己の心が沼をつくりだしたのです。」
「なんと?では?」
朱雀は澄明の聡さに微笑む。
「己の底に沈めた情が上にあがり神の姿を拵え、
己に情を注ぎこんだのです」
「では?あれは私だったと?こういうことですか?」
「そのとおりです。沼の神は澄明、お前の情が像を結んだ実体なのです」
朱雀がしっかりと肯定した事実は澄明には驚愕である。
「す、・・すると私は私に導かれたと?」
項垂れるかのように深く頷く朱雀である。
「情はそそぐもの。注ぐものはいつも上にある。
いつまでたってもおろがむ心になれぬお前を見かねたお前の情が、
上になり、上はかみになり、かみは、神に姿をかえてみせて、
お前に情をそそいだ」
つまり、やはり、
「あれが・・わたしだといわれる?」
「そう。おまえの情はもっと、尊く高いものであるに、
己さえ救えぬ粗末さ。
澄明。思いこそすべて。思いなくして、吾はない。
思いをだけや。
思いをだいて、情をそそいでこそ・・・」
「そそいでこそ?」
「吾より他も救える」
え?
「さらば」
沼の神の正体を明かすと朱雀の姿はきえた。
静寂一つになった鏑木の部屋で澄明は大きな息を吐いた。
耳の底には朱雀の言葉が残っている。
「我の思いを抱いてこそ吾より、他も救える」
沼の神が姿を見せなくなったのは、
己可愛さの澄明と限界を見たからに相違ない。
己可愛さで吾の気持ちを抱くは朱雀の言とは意味合いが違う。
沼の神の求める所は確かに我が思いを包むことである。
朱雀の言う事も同じである。
思いを抱くとはいかなることか?
己可愛いでは抱くとはいわぬ。
これは確かである。
『白峰の中にある・・我の思いをだけということかもしれない』
そうであるとして、これによってほかも救える?
我が事として、我が事のように抱く?
これを情とよぶとしても、
これで他、この場合白峰を指すのであろうが、
白峰をも救える?
頭で考える事は理屈でしかない。
確かに白峰の情念ははらされ、白峰は救われるのかもしれない。
だが、澄明の救うものはおのれでしかない。
「ふ・・ふふ」
笑いが起きてくる。
沼の神が己であるというなら、白峰とて己の姿である。
すべからくものはすべて、己?
妖狐も・・・楠も。
何もかも己の姿のなんらかが別に宿って、
自分の姿を見せてくれているに過ぎない。
ただ、自分の姿と、きがつかないだけでしかない。
外にある自分の姿を憎むか抱いてやれるかは、
自分の中の自分の思いをいかにだくかでしかない。
己こそ尊い。
こう考えれば外に現われた姿はいとも簡単にいとしい。
楠を見て、己の運命を疎んだ。
その時楠はうとましい存在に見えた。
「あ、ははは・・」
白峰が憎いと思うたは己が憎いゆえか?
おもい通りに生きられぬ自分が憎い。
自分の外にある物が己の心の色を教えるなら
澄明はいかに白峰を・・おもうがいい?

澄明はただ、ただ
手が届きながらたどり着けぬ悟りを模索する。
白峰大神の澄明を嘱望せんがための発動は
僅かこのふたとせあとになる。

    終



最新の画像もっと見る

コメントを投稿