世を上げて、グローバル化せよという。
いわんや、それが世界標準だという。
たしかに、日本独自のルールや考え方では、世界から後れをとるのかもしれない。
だが、何でもかんでもグローバルというのは、ちょっと違うんじゃないななとも思う。
そんなおいらの疑問に、老子はすでに回答を出していた。
◆世界に目を向けることだけがグローバルではない
「遠くに行けば行くほど見識が広がるとは限らない。
まず足元を見る必要がある。
世界に目を向けるのもけっこうだが、「自分」について考えることは、もっと大切だ。」
グローバル人材とはどんな人なのか。
英語が堪能で、ニューヨークやロンドンでの駐在経験があるとか、仕事でドバイやシンガポールにしょっちゅう出張するとかの人?
しかし、それだけではグローバル人材とは言えない。
世界のことをよく知っていて、日本に向けて世界のことを語る人でもない。
日本のことをよく知っていて、世界に向けて日本のことを語れる人の方こそがよりグローバルと言えるのだ。
自分の住んでいる地域の風習や文化に精通して、そんなローカルなカルチャーを世界に対して発信できればそれはグローバルと言えよう。
おいらたちは、自分が生活している場所で、それぞれが自分らしい生活をすればいいらしい。
メーテルリンクの「青い鳥」を引くまでもなく、自分の幸せや生きがいは足下にあるのだ。
世界をことさらに自慢する人もいるだろう、だがそんな人には、「ずいぶん狭い価値観のグローバルだな」と冷ややかに見ればいい。
我々の足の裏が踏みしめているのは、まぎれもなく地球なのですから最大のグローバルとも言えます。
→2500年も前に既に喝破されているとは驚きました。
いわんや、それが世界標準だという。
たしかに、日本独自のルールや考え方では、世界から後れをとるのかもしれない。
だが、何でもかんでもグローバルというのは、ちょっと違うんじゃないななとも思う。
そんなおいらの疑問に、老子はすでに回答を出していた。
◆世界に目を向けることだけがグローバルではない
「遠くに行けば行くほど見識が広がるとは限らない。
まず足元を見る必要がある。
世界に目を向けるのもけっこうだが、「自分」について考えることは、もっと大切だ。」
グローバル人材とはどんな人なのか。
英語が堪能で、ニューヨークやロンドンでの駐在経験があるとか、仕事でドバイやシンガポールにしょっちゅう出張するとかの人?
しかし、それだけではグローバル人材とは言えない。
世界のことをよく知っていて、日本に向けて世界のことを語る人でもない。
日本のことをよく知っていて、世界に向けて日本のことを語れる人の方こそがよりグローバルと言えるのだ。
自分の住んでいる地域の風習や文化に精通して、そんなローカルなカルチャーを世界に対して発信できればそれはグローバルと言えよう。
おいらたちは、自分が生活している場所で、それぞれが自分らしい生活をすればいいらしい。
メーテルリンクの「青い鳥」を引くまでもなく、自分の幸せや生きがいは足下にあるのだ。
世界をことさらに自慢する人もいるだろう、だがそんな人には、「ずいぶん狭い価値観のグローバルだな」と冷ややかに見ればいい。
我々の足の裏が踏みしめているのは、まぎれもなく地球なのですから最大のグローバルとも言えます。
→2500年も前に既に喝破されているとは驚きました。