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グローバルの誤解

2022-03-09 06:35:38 | 日記
世を上げて、グローバル化せよという。
いわんや、それが世界標準だという。
たしかに、日本独自のルールや考え方では、世界から後れをとるのかもしれない。
だが、何でもかんでもグローバルというのは、ちょっと違うんじゃないななとも思う。
そんなおいらの疑問に、老子はすでに回答を出していた。

◆世界に目を向けることだけがグローバルではない
 「遠くに行けば行くほど見識が広がるとは限らない。
  まず足元を見る必要がある。
  世界に目を向けるのもけっこうだが、「自分」について考えることは、もっと大切だ。」

 グローバル人材とはどんな人なのか。
 英語が堪能で、ニューヨークやロンドンでの駐在経験があるとか、仕事でドバイやシンガポールにしょっちゅう出張するとかの人?
 しかし、それだけではグローバル人材とは言えない。
 世界のことをよく知っていて、日本に向けて世界のことを語る人でもない。
 日本のことをよく知っていて、世界に向けて日本のことを語れる人の方こそがよりグローバルと言えるのだ。
 自分の住んでいる地域の風習や文化に精通して、そんなローカルなカルチャーを世界に対して発信できればそれはグローバルと言えよう。

 おいらたちは、自分が生活している場所で、それぞれが自分らしい生活をすればいいらしい。
 メーテルリンクの「青い鳥」を引くまでもなく、自分の幸せや生きがいは足下にあるのだ。
 世界をことさらに自慢する人もいるだろう、だがそんな人には、「ずいぶん狭い価値観のグローバルだな」と冷ややかに見ればいい。
 我々の足の裏が踏みしめているのは、まぎれもなく地球なのですから最大のグローバルとも言えます。

 →2500年も前に既に喝破されているとは驚きました。