億劫になるとは、面倒くさがるということなのだろう。
それがダメだということなのか。
それには、こういうような理由があるらしい。
◆「面倒くさい」と言わなければ「面倒くさくない」
ふむ、逆説的な言い方だが、そういうものなのか。
歳をとったから覚えられないんじゃない、歳を取り億劫になるから覚えようとしない、ただそれだけのことだ。
面倒くさくなって気が進まなければ、当然に生命活動は停滞する。
身なりをきちんと整えていた人が、定年後にはパジャマかそれに近い格好で過ごすようになった。
その人は、出かけるのも着替えるのも億劫になってと言う。
それは、出かけるのが億劫になったのではなく、自身の生活が億劫になってしまったのだ。
若くても、生活が億劫になったらそれは年寄りだ。
毎日風呂に入る、もちろん下着や靴下は毎日着替える、髭だって毎日そるべきだ。
若くても、生活のすみずみが億劫になったら、それは年寄りなんだと理解しよう。
生命の躍動が停止している状態だと言えるだろう。
→これはちょっと怖い示唆ですね、できるだけ億劫がらないようにしなくちゃね・・
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