お笑いやバラエティー、アイドルなどの番組作成に注力して、知的構成力や知的想像力など放送人としての日常的な資質・能力が格段に喪失してしまったか?。
過日7月7日(日)夜某テレビ局の都知事選挙結果における番組で失望した。立候補者への選挙結果についてのインタビュー内容で、稚拙でステレオタイプの質問は、立候補者を不機嫌にさせていたとともに、視聴者を落胆させていた事が巷間話題になり、特にユーチューブでは炎上している。
私なら次のように準備して臨む。
立候補者への取材を重ねて情報を前もってまとめておく。候補者の選挙中の街頭演説内容も当然聴いておく。これらのことから一番聴き出したいことを数点具体的な質問内容をリストアップ、文章化しておき、インタビューの実際ではアドリブを交えながら候補者の選挙活動や結果についての知覚や感覚などの内面を引き出すことに努める。その際あくまでも立候補者の立場に立った質問内容が視聴者の心を打つ。
インタビュー番組視聴後には、選挙は面白そう、そんなことが醍醐味だったんだね、今度はこんなことを知事は考えているのか、私も選挙に立候補してみたいな、次回の都知事選挙に俺も出てみようかな、今日は投票しなかったが次は必ず投票場に行く、等々の思いを抱くようになる。これらが視聴者の内面に湧いてくるならば、真の選挙後のインタビュー番組企画構成の成果である。
このコンセプトの立ち位置がいま大きくズレていないだろうか。
言葉を大切にすることは思考が厳密になり、会話が深まる。結果として新しい思考が誘発され、アイデアとして昇華され社会を変えるきっかけになる。具体性のない言葉が蔓延っているとカオスを増幅させるのみである。それはいまだ。