今、国会で審議されている「新安保法制」は絶対に認められない。廃案にすべきだ。それが私の主張だが、悲しいかな、国会は自民・公明の与党が圧倒的な勢力を持っており、この“戦争法案”が成立する可能性も高い。そうなると、海外に派遣される自衛官のリスク(危険度)が今より格段に強まると予想される。
政府は「そんなことはない」と安全性を強調するが、ここで戦闘地域や非戦闘地域、後方支援などの議論をするつもりはない。それは国会議員に任せておいて、我々はもっと先のことを考えていこう。
「新安保法制」が成立すれば自衛官のリスクは格段に強まると言ったが、そう思っている人は大勢いるに違いない。だから自衛官の安全やリスク回避が盛んに論じられているが、これは最悪の場合、自衛官の「戦死」を意味するものだ。現にアフガニスタンやイラクでは、アメリカ以外の国の兵士も戦死している。そうなると、自衛隊だけが“別格”だとはほとんどの人が思わないだろう。
何事も最悪のことを想定しなければならない。そこで、不幸にして自衛隊から犠牲者が出た場合、政府はどう対応しようというのか。そんなことは想定外だと今は何も論じられていないが、やがて考えざるを得なくなるだろう。もし自衛隊から戦死者が出たら、それは国家に殉じたことになる。
戦前なら、間違いなく「英霊」として靖国神社に祀られるのだ。しかし、戦後70年がたって今ははっきり違う。現行平和憲法のもと、ひたすら“平和国家”として歩んできた日本は、70年間に1人も戦死者を出していない! これは世界に誇れるものだ。まことに日本は立派であったと思う。
だから、大日本帝国憲法があった戦前とはまったく違う。右翼の人たちは靖国神社に祀ることを良しとするだろうが、靖国は「国家神道」を奉じる宗教法人なのだ。宗教に関係なく、国内外の多くの人に参拝してもらうには不適格である。ここで、戦前の天皇制軍国主義と靖国神社の関係を論じるつもりはない。靖国問題を論じたら際限がないので、別の所でやろう。
ただ、ここで提議したいのは、新たな「国立追悼施設」のことである。これは何度も言ってきたが、国の方もすでにいろいろ検討を重ねてきたことだ。すでに2001年に、当時の小泉内閣の官房長官だった福田康夫氏(元首相)が中心となって、新たな国立追悼施設の検討を始めた。福田氏は今でも無宗教の追悼施設が必要だと言っている。(参考→http://blogs.yahoo.co.jp/kotyannomama/17319924.html)
私も新たな国立追悼施設の建立には賛成で、東京・千鳥ヶ淵の「戦没者墓苑」などが最適だと思っているが、こんな話をするのも、新安保法制が登場してきたからである。自衛官のリスクは格段に強まる。もし不幸にして、海外で自衛官が戦死するなどしたら、国立追悼施設に祀られることを望む。絶対に、靖国神社ではないのだ!
しかし、それよりもまず、新安保法制・戦争法案が葬り去られることが肝心だ。これが廃案になれば、今から“余計”なことを心配せずに済むからだ。ただし、何事も最悪のことを想定しなければならない。
参考記事・・・http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/b8b0069a26ad504e510678510cf5e40b