<2011年11月に書いた以下の記事を復刻します。>
学生時代に「パーキンソンの法則」というのを教わったことがあるが、最近、官僚制度について考えているうちにこれを思い出し、実に的確だと思うようになった。
この法則(主張)は、イギリスの経済学者シリル・パーキンソンが1957年に発表したものだが、要約して言うと「役人は常に部下の増加を望むが、競争相手を持つことは望まない」 「役人は相互の利益のために仕事を作り出す」というものだ。私はこの言葉を聞いて、日本の官僚制度も正にそうではないかと思った。
パーキンソンは第2次大戦後のイギリス社会を研究したのだが、多くの植民地を失った大英帝国なのに、「植民地省」の役人の数は逆に増えたことに気が付いたという。アジアなどで多くの植民地を失えば、植民地省の仕事は減るのが当然である。ところが、役人の数は逆に増えたのだ。これはどう考えてもおかしい。その辺から彼はいろいろ調べ研究したのだろうが、上記のような法則に達したという。
今の日本でも、必要もない無駄な施設や○×法人などが次々にでき、役人がどんどん天下りしている。また、行政の縦割り組織という“縄張り”が強くなって、競合しないように複雑に絡み合っている。一つのテーマでも幾つもの省庁が絡んでくることがある。もちろん、省庁を横断するテーマはあって当然だが、問題の解決に非常に手間がかかる。
つまり、役所というのは“自己増殖”を続けていくのだ。放っておくと、癌細胞のようにどんどん広がっていく。その結果、国民の税金だけが湯水のように使われていくのだ。
これではいけないと、おととし誕生した民主党政権は「脱官僚・政治主導」の旗のもと、事業仕分けなどを行なった。しかし、どのくらい上手くいっているだろうか。あれは“パフォーマンス”に過ぎなかったのではとか、結局、官僚の手玉に取られて不発に終わったのではといった批判が出ている。
それはともかく、パーキンソンが言うように、役人というのは必要もない仕事をどんどん作っていくのだ。放っておくと無駄な仕事や人数だけが増えていく。
こういうのを「必要悪」と呼ぶのだろうか。いや、必要悪というのは、悪ではあるがやむを得ず必要なものを言うのだろう。必要でもない無駄なものは、それこそ「不必要悪」ではないか。
どうも理屈っぽい話になったが、国家や政治そのものを必要悪と呼ぶ人がいる。それは思想的、政治的立場の違いで異なってくるが、国家がある限り、役人(官僚)は必要である。役人がいなければ、国家機能は果たせないからだ。
だから、国家が“必要悪”なら役人もそうだ。しかし、不必要な悪は排除しなければならない。放っておくと増殖するだけである。癌細胞のように広がっていくのだ。
原子力発電所も今や、必要悪から「不必要悪」に転化したのではないか。あの高速増殖炉「もんじゅ」などは1兆円以上も金をかけて何の役にも立っていない。事故ばかり起こしている。こんなものは直ちに廃炉にすべきだが、文部科学省などの役人が絡んでいるから、なかなかそうはいかない。役人の利益のためにあるようなものだ。しかも、維持費だけで年間200億円以上もかかるという。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
話が悪名高い「もんじゅ」に移ってしまって申し訳ない。要は、パーキンソンの法則が今の日本にも生きているということを言っておきたい。(2011年11月24日)