<“飽食”の時代に、以下の記事を一部修正して復刻します。ただし、2002年3月に書いたものなので、時代錯誤の面があることをご了承ください。>
1) 2月下旬のある日、私は湯島天神に出かけた。梅の名所だというので、初めての参詣に赴いたのである。 晴天のもと、数多くの白梅が可憐な花を咲かせていた。所々に、紅梅も美しい姿を見せている。300本ほどの梅の木があるのだそうだ。
ウィークデイの昼下がりだというのに、境内は梅の見物客で賑わっていた。ほとんどが中年から年配の人達で、女性が圧倒的に多かった。 梅の花にカメラを向ける人もかなりいる。“学問の神様”菅原道真公を祭っているだけあって、合格祈願の絵馬の多さには驚いた。至る所に鈴生りになっているのだ。
境内を散策していると、露店の列が目についた。別に買いたいものがあるわけではないが、近寄って見ると、昔なじみのいろいろな玩具や甘酒などが売られていた。 しばらく行くと、私はハッとして立ち止まった。“金太郎アメ”が売られているのである。
2) 金太郎アメを見るのは、何十年ぶりのことだろうか。とにかく、いつ以来お目にかかったのか覚えがない。このアメには、苦い悲しい思い出がある。
私が幼稚園に入る頃だったと思うので、もう55年ほど昔のことだ。当時は、終戦直後の極めて貧しい時代だった。ろくな食べ物がなかった。 我が家は、父が保険会社の某支店長をしていたので、平均的なサラリーマン一家だったと思うが、食べ物には苦労していた。
その頃は、どの家庭でも苦労していたにちがいない。私の一家は名古屋市内に住んでいたが、どの家も「買い出し」に明け暮れる毎日だったように思う。 若い人達は知らないだろうから説明しておくが、「買い出し」とは、金品を持って地方や郊外の農家の所に行き、食べ物と交換してもらうことだ。
一体、あの頃は何を食べていたのだろう。よく覚えていないが、イモ、雑炊、すいとん、どんぐり粉、イナゴなどを食べていたと思う。“銀しゃり”と言われた白米ご飯などは、ほとんど食べられない時代だった。 国からの配給食糧だけでは、とても生きてはいけなかった。買い出しをしたり、ヤミ市で物を買わなければ、生き長らえることは出来なかったのだ。
政府の言うことを聞いて、買い出しをせず、ヤミ市にも手を出さなかった実直な人達の中には、栄養失調で亡くなった人もいた。 至る所で餓死者が出た。街には、乞食や浮浪者があふれていた。みんなが塗炭の苦しみを味わっていたのである。あの頃の日本は、なんと悲惨な時代だったのだろうか。
3) 丁度その頃だったと思う。 父がどこから手に入れたのか知らないが、“金太郎アメ”を箪笥の引き出しの中に隠していた。幼児だった私は、10歳ほど年長の兄から、アメの隠し場所を教えられた。 ただし、兄は「絶対に食べてはいけないぞ」と私に言った。アメやキャンデー、チョコレートなどの贅沢品は、ほとんどなかった時代だから、兄の言うことは当然だったと思う。
しかし、幼児だった私は、その金太郎アメが食べたくてならなかった。その頃だから、きっとひもじい思いをしていたにちがいない。ましてや、滅多に見ることの出来ない美味しそうなアメである。「絶対に食べてはいけないぞ」と言われていたが、幼児はついにアメに手を出したのである。
私は箪笥の引き出しを開けて、小さな手で恐る恐る金太郎アメの端を折った。その端切れを口に入れて味わった。その味は今では覚えていないが、もちろん美味しかったにちがいない。 私は残りのアメをそっと引き出しの中に戻し、子供心にバレないように細工したつもりだった。しかし、その後は、恐怖心で一杯だったように思う。
その晩のこと、父が帰宅して、私が金太郎アメを食べたことは直ぐにバレた。父はものすごく怒った。怒って私を叱った。なんて叱られたか覚えていないが、父の激しい剣幕に私は泣き出した。相当に泣いたと思う。泣きじゃくったことは、今でもよく覚えている。
4) “金太郎アメ”には、そういう悲しい思い出がある。私は露店を離れて、湯島天神を後にし不忍池へと向かった。
55年前の時代は、あまりにも悲惨だった。庶民は、敗戦直後のどん底生活にあえいでいた。ろくに食べるものもなく、毎日毎日が苦しみの連続だったと思う。 当然、人々の心は苛立ち、とげとげしくなっていたと思う。あの頃に比べると、今はなんと豊かで、物が有りあまっていることだろうか。
昔の話をすると、「また年寄りがなにか言っている」と、笑われそうだ。しかし、私は断固として言う。今ほど豊かで素晴らしい日本はない、と。ただし、そう感じる人が減っているだけなのだ。 今や、我々はすっかり贅沢に慣れてしまった。かく言う私も、マイカーを乗り回し、ファミリーレストランにもしょっちゅう行っている。
そんなことは、私らの少年時代には夢にも考えられないことだった。マイカーを持てるなんて、アメリカ人ぐらいだろうと思っていた。 どうして、こんなに豊かになったのだろう。「100円ショップ」に行くと、物が有りあまっている。どこにも、貧困の影はないではないか。
5) 人間の欲望には、限度がない。だから、いくら豊かになっても、豊かさを実感できない人が大勢いる。 金が入ると、もっと金が欲しくなる。金があるのはいいが、世の中の生活レベルが向上していくと、かえって自分の“貧しさ”を感じやすくなってしまうのだ。 そして、心の“豊かさ”を失っていくと、これは不幸なことだ。繁栄の中の貧困と言うのだろうか。
昨今、不況がどうだとかデフレがどうだとか、経済問題がいろいろ取り沙汰されている。深刻な不況は、もちろん良くない。早く景気を回復させて欲しい、と願うばかりである。 しかし、私などは分かっていても、「デフレのどこが悪いのか」と、つい言ってしまいたい気持になる。年金生活者にとっては、「インフレよりは、ずっとマシではないか」と。
そう言うと叱られそうだが、安い物が無尽蔵にあふれているような当世は、“豊かさ”以外の何物でもない。問題は、そう感じるかどうか、ということである。そう感じない人は不幸である。経済とは、「消費するために」あるのではない。
今の子供達は、金太郎アメには見向きもしないだろう。もっと美味しいものが沢山あるからだ。しかし、豊かになったからといって、それが“幸せ”に結びつくものではない。 それにしても、幼児の時の私は、金太郎アメをたっぷりと味わいたかった。最後に一言、「満ち足りるを知る」ことが、幸福の原点なのだろう。 (2002年3月16日)