<以下の記事は2021年1月17日に書いたものです。阪神・淡路大震災から満26年がたっていました。>
6434人の犠牲者を出した阪神・淡路大震災から、今日で丸26年を迎えた。テレビなどでいろいろ報道しているが、いつも思い出すのが、犠牲になったある大学生から母親に宛てた手紙である。
この手紙に接したある音楽家が感動して、バラード曲をつくったことを新聞で知り私も忘れられなくなった。手紙の主は当時 神戸大学生だった加藤貴光さん(21歳)で、大震災で亡くなる2年ほど前に母親の律子さんに贈ったものである。
律子さんは大学に入学した貴光さんの下宿先のマンション(兵庫県西宮市)を訪ねた後、広島へ帰る直前に息子さんから受け取ったものだ。その手紙を読んで、私も感動し涙にむせんだ。内容をご紹介したい。
「親愛なる母上様
あなたが私に生命を与えてくださってから、早いものでもう20年になります。これまでに、ほんのひとときとして、あなたの優しく、温かく、大きく、そして強い愛を感じなかったことはありませんでした。
私はあなたから多くの羽根をいただいてきました。人を愛すること、自分を戒めること、人に愛されること・・・。この20年で、私の翼には立派な羽根がそろってゆきました。 そして今、私は、この翼で大空へ翔び立とうとしています。誰よりも高く、強く、自在に飛べるこの翼で。
これからの私は、行き先も明確でなく、とても苦しい“旅”をすることになるでしょう。疲れて休むこともあり、間違った方向へ行くことも多々あることと思います。しかし、私は精一杯やってみるつもりです。あなたの、そしてみんなの希望と期待を無にしないためにも、力の続く限り翔び続けます。
こんな私ですが、これからもしっかり見守っていてください。住む所は遠く離れていても、心は互いのもとにあるのです。決してあなたはひとりではないのですから・・・。それでは、くれぐれもおからだに気をつけて、また逢える日を心待ちにしております。最後に、あなたを母にしてくださった神様に感謝の意をこめて。」
この手紙を贈られて、律子さんは新幹線で広島に帰るまで涙が止まらなかったという。 貴光君の夢は、国連の職員になることだった。彼が今も健在であれば、努力し勉強してきっとその夢を実現させていただろう。 しかし、あの大震災は貴光君の夢を一瞬にして打ち砕いてしまった。彼は倒壊したマンションの下敷きになって亡くなったのである。
この俗世に生かしておくことを良しとされなかった?と思わずにいられませんね。
この手紙を読んだ人は誰もが涙すると思います。
でも、それだと神様は少し残酷ではないでしょうか。
こんなに素晴らしい若者が亡くなるとは、まったく惜しいと言わざるを得ません。残念です。