石作皇子(いしづくりのみこ)は仏の御石の鉢を求めて天竺・インドへ行くのは、あまりに馬鹿げていると考えました。天竺へ行っても、宝物が手に入るとは限りません。それに、莫大な費用がかかることも確かです。
しかし、かぐや姫となんとか結婚したいので、当分の間 姿をくらまし、天竺へ行った振りをすることにしました。そして3年ほど経ったら、仏の御石の鉢に似せたそれらしい鉢を持ってこようと考えたのです。
次に車持皇子(くらもちのみこ)も蓬莱の玉の枝も取りに行くと言って、行方をくらましました。皇子は遠くへ行く振りをして実は難波(今の大阪)に赴き、そこに鍛冶細工師を集めて精巧な偽物を作ろうとしたのです。このため、16ヶ所の荘園や蔵の財産を全て注ぎ込むと意気込んだそうです。
このほか、右大臣の阿倍御主人(あべのみうし)は、大金をはたいて唐の国から火鼠の裘(かそのかわごろも・焼いても燃えない布)を手に入れようとしたり、大納言の大伴御行(おおとものみゆき)は龍の首の珠を入手するために、大勢の部下を引き連れ船に乗って出港しました。また、中納言の石上麻呂(いそのかみのまろ)も、燕が産んだ子安貝を探すために悪戦苦闘していたのです。
5人の貴公子は朝廷に長期の「休暇願い」を出したため、かぐや姫から大変な任務を背負わされたと評判になりました。帝(みかど)も御心配の様子です。これが非常時なら許されないことですが、全く平和な時代なので許されるんですね(笑)。
しかし、都(みやこ)ではすぐにいろいろな評判や噂が立ちました。かぐや姫の要求があまりに奇抜で、酷いというものです。また、彼女は絶世の美女・天女(てんにょ)のようだという話ですが、はたしてそうなのでしょうか。
あんなに過酷な要求をするなんて、何かの怨霊の化身なのか、あるいは“魔女”ではないかという噂が立ちました。 それにしても、5人の貴公子はなんと哀れなのだろうか・・・ いくら かぐや姫が絶世の美女だろうとも、恋に狂った5人を見ていると“世も末”だという評判が立ったのです。
かぐや姫の評判があまりに高くなったので帝(みかど)も興味を持たれ、ある日1人の女官に見て来るようにと指示しました。その女官がかぐや姫の家を訪れ、帝のご意思を説明して姫に会おうとすると、彼女は会いたくないと断ったのです。これには女官が驚きました。帝の指示・命令を断るなどあり得ないことなのです。
その女官が「必ず会って参れとの仰せなので、姫に会わずにどうして帰れましょうや」と食い下がりましたが、家人の言うには、かぐや姫はどうしても会えないとのことでした。女官がさらに帝の命令に背くのかと質すと、かぐや姫は「ご命令に背いたとあらば、いっそのこと私を殺して欲しい」との返事を伝えたのです。
女官は呆れ返って、御所に戻ると帝にさっそく報告しましたが、帝は「う~む」と唸ったまま返事をしませんでした。帝はますます絶世の美女に会いたい一心になりましたが、それと同時に「かぐや姫、恐るべし」との思いを強くし、次の手を考えるようになったのです。
さて、5人の貴公子たちが宝物探しを始めて約3年が経ちました。この中で石造皇子(いしづくりのみこ)は、大和の国の山寺にあった鉢を“仏の御石の鉢”と偽り、錦の袋に入れてかぐや姫の家に届けました。 そして皇子は、筑紫の国を出て遠く天竺・インドまで、海を越え山を越えて探した鉢ですとウソの手紙も添えたのです。
しかし、かぐや姫はその鉢が全く光り輝かないのですぐに偽物と見破り、鉢を皇子の手元に突き返しました。石造皇子は仕方なく偽物だと認め、なおもかぐや姫に言い寄ろうとしましたが、姫が全く相手にしなかったためついに諦めたのです。こうして、石造皇子との縁は決裂しました。
次に車持皇子(くらもちのみこ)の場合は、かぐや姫にとって「もはや これまで」という危機的状況に達しました。皇子は難波に鍛冶細工師を集め、精巧な偽物を作っていたことは前にも述べましたが、それが完成したのです。
車持皇子が作らせた“蓬莱の玉の枝”は、かぐや姫が言っていたのと寸分違(たが)わないもので、さすがに竹取の翁も覚悟して「これ以上はとやかく言えない。皇子と結婚しなさい」と告げました。 かぐや姫は何も答えず頬杖をついて悲嘆に暮れていると、車持皇子が「命を捨てて、蓬莱の玉の枝を持って来ました」と言うので、皆がもはやこれまでと思ったのです。
ところが その時、予期しないことが起きました。6人の鍛冶細工師が現われ、その内の1人が「玉の枝を作るのに千日余りも食うや食わずで働いたのに、まだ一銭も手当を貰っていません。早く手当をください」と訴えました。
これには竹取の翁もかぐや姫もびっくりしましたが、一番驚いて肝を冷やしたのは車持皇子です。玉の枝は蓬莱から持って来たのではなく、作らせたことがバレました。皇子は茫然自失となり、恥ずかしくてその場にいられなくなったのです。車持皇子は長い間、行方をくらましました。
右大臣の阿倍御主人(あべのみうし)は火鼠の裘(かそのかわごろも)と言って、焼いても燃えないという皮衣を唐の商人から買ったのですが、実際は焼くと燃えてしまい偽物を掴(つか)まされたことが分かりました。大金を払って買ったのに、唐の商人に騙され一巻の終りになってしまったのです。残念ですね(笑)。
さて、5人の貴公子の中で最も英雄的に戦ったのが大納言の大伴御行(おおとものみゆき)でした。彼は“龍の首の珠”を手に入れるために、大勢の部下を引き連れ船に乗って出港したのです。 大伴御行らはまず外洋に出て龍の在りかを探したのですが、そんな伝説的な生き物は滅多にいません。探せど見つからず、一行は遠く天竺・インドの果てまで航行したでしょうか。
ある日のこと、海が異様に静まり濃い霧があたり一面に立ち込めました。やがて霧が晴れ、不気味な静けさに支配された海原が姿を現した時、大伴御行らが見たのは・・・ 巨大な龍だったのです。その龍は身の丈が何十メートルもあったでしょうか。“化け物”が船を呑み込もうと襲いかかってきました。
「龍の顎(あご)を狙え! 龍の首を討て! あそこに珠があるぞっ!」 大伴御行が必死に叫びました。こうして、巨大な龍と人間たちの勇壮な戦いが始まったのです。
現われた龍は首が異常に長く海面にそそり立っていました。そして、船に一撃を加えようと迫ってきましたが、大伴御行の部下らも負けてはいません。壮絶な戦いが始まりましたが、船の一隊は雨あられと矢を放ったり、龍の巨体に銛(もり)を突き刺したりと奮戦します。
しかし、龍の動きの方が勝っていました。船の後方へ滑らかに巨体を泳がせると、そこから猛然と襲い掛かってきたのです。しかも、龍は時たま熱い“火炎”を吐き、その舌は真っ赤にただれていました。火炎を浴びたり舌に触れた者は、すぐに“火達磨”になって焼け死んだのです。
やがて、龍は船を呑み込もうと巨体をのせてきました。これでは敵いません。龍の重みに船が傾いたかと思うと、船体は真ん中辺からメリメリ、バリバリと音を立てて割れ始めたのです。船人(ふなびと)たちは次々に海に放り出され、船はやがて沈没しました。大破して海の藻屑となった船に、龍はさらに襲い掛かっていったのです。この結果、多くの船人が命を落としました。
大伴御行も海に投げ出され、船の残骸にしがみついて漂流しました。どのくらい漂流したでしょうか・・・ 彼は運良く日本の島に漂着しましたが、その後がまた悲惨でした。 生き残った数少ない部下と都に帰ろうとしましたが、折り悪く大嵐(今の台風)に遭いまたも孤島に流されたのです。しかも、彼はその地で熱病だかの重病を患い、もともと美しかった彼の両目は“スモモ”のように腫れ上がったといいます。
これは後に帰還した数少ない部下たちの話で分かったのですが、口の悪い都の人々は大伴御行のことを「大伴の大納言は“龍の首の珠”を取りに行ったのか~。いや、両目にスモモの珠をつけてしまったよ。アッハッハッハ」とあざ笑ったそうです。
こうして大伴御行は不幸にも孤島で亡くなりましたが、さすがにこの知らせを聞いて、かぐや姫は哀悼の意を捧げたそうです。なぜなら石作皇子や車持皇子ら前の3人は、いずれも悪賢く品性下劣な面がありましたが、大伴御行は真面目で誠実な人柄だったのです。だから、巨大な龍にも危険を顧みずに立ち向かったのですが、哀れな末路を迎えたのでした。
最後に5人目の求婚者である中納言の石上麻呂(いそのかみのまろ)は、最も無様な最期を遂げました。 石上麻呂は“燕が産んだ子安貝”を手に入れようとしたのですが、どうしてそんな物を得ようとしたのか筆者にも分かりません。とにかく、かぐや姫が欲しいと言うので彼は従ったまでです。珍しい物には違いありませんが、一説には安産のお守りになると言われています。
石上麻呂はこの宝物を手に入れるため、ある所で、大きな釜を据えた小屋の屋根に上って待ち構えました。そして、ツバメが産んだ子安貝(タカラガイ)らしきものを掴みましたが、運悪く屋根から転落して腰を強打したのです。ところが、石上麻呂が掴んだのは貝ではなくツバメの古い糞だったため、彼はがっかりして意気消沈しました。
この後、石上麻呂はすっかり体調を崩し病床についたため、かぐや姫が見舞いの歌を送りました。これに対し石上麻呂も返歌を書いたそうですが、やがて病状が重くなり遂に帰らぬ人となりました。本当に哀れですね。 都の人々はこの話を聞いて、期待外れに終わることを「かひなし」、つまり貝がない=甲斐なしと言うようになったそうです。
石上麻呂の死によって、かぐや姫への求婚者は全員脱落、あるいは死亡したことになります。まことに惨憺たる結果になりました。このことについて竹取の翁と妻の嫗(おうな)は、良い縁談の話がご破算になってがっかりしたそうです。しかし、かぐや姫自身は、気が乗らない縁談話が消えて清々した感じでした。
下男の藤吉(とうきち)はよくかぐや姫の散歩のお供をしますが、姫はこのところ表情が晴々としていて、以前よりもさらに美しくなったという印象を受けました。かぐや姫はよく御屋敷の周りを散歩するのですが、彼女の行く所は芳(かぐわ)しい香りが絶えません。それによって、かぐや姫が通ったかどうかが分かったということです。
こうした一連の話を耳にして、帝(みかど)はいよいよ重大な決意を固めました。帝は一度、女官の面会をかぐや姫に断られたことがあるのです。
帝(みかど)はかぐや姫の正体を怪しいと見ました。5人の貴公子たちが次々と悲惨な末路をたどったからです。彼らはたとえ死ななくても、再起不能になっています。かぐや姫には何か“物の怪(け)”が宿っているのか、あるいは怨霊に取りつかれているのかもしれません。彼女がどうであろうと、とにかく帝は一度じかに会う必要があると考えました。
そしてある日のこと、帝は竹取の翁を呼び出してこう言いました。「かぐや姫を献上せよ。絶世の美人と聞いたので使いの者を遣わしたのに、会ってくれなかったではないか。わたしが命じたのに、それで良いと思っているのか」と、きつくお達しになりました。
竹取の翁は恐縮して、「娘はまだ幼く“宮仕え”は出来そうにありません。そうは申しましても、せっかくの帝の仰せですから、帰りましたら娘にしかと伝えます」と答えました。
これに対し帝は、「どうもそちは娘を持て余しているようだな。自分の手で育てたのに、どうして自由にならないのか」と、お笑いになりました。そして帝は、もし かぐや姫を献上するなら、翁に五位の位を授けると仰せになったのです。
これを聞いて竹取の翁は大喜びし、さっそく屋敷に戻ってかぐや姫に伝えました。そして、「帝はこれほどまでにそなたを望んでおいでだが、それでもお仕えする気はないのか」と質したのです。
これに対し、かぐや姫の答えは峻厳そのものでした。「そのような宮仕えは一切いたしません! 無理にお仕えするぐらいなら、むしろ消え失せてしまうつもりです。冠位だけは父上に授かるようにして、私は死ぬばかりです」
かぐや姫がこのように言ったので、竹取の翁はさすがに動揺しました。「わが子に死なれて何の冠位になるだろうか・・・ 仕方がない。参内して、娘の宮仕えは無理だと奏上してもらおう」
翁はこのように答えましたが、かぐや姫のかたくなな態度にほとほと参ったという感じでした。