祇園祭 杉本秀太郎氏に言わせると 祇園会だが 去年は中止 今年は鉾建てだけらしいので残念ながら行けない。一昨年買った長刀鉾の粽が玄関に吊るしてある。最初は玄関の外に吊るしてあったのだが 最上階なんで強風で飛ばされてた。幸い汚れて無かったんでドアの内側に吊るしてもう2年 通販でも買えるんだけど 会所で買わなきゃなんとなくご利益が薄い気がする。もう一年頑張っていただきたい。おかげで この2年大きな病気はしてないからご利益があるのだろう。さて8月に入ってコロナの状況を見ながら 京都の部屋探しを再開しようと思ってたのだが 既に東京は緊急事態が出て オリンピックは無観客強行 東京は800超えたし神奈川も300超えた。病院が伊豆なのは前に書いたが26日に予約を取ってるけど この感染者数ではまた行けない。断りの電話入れなくっちゃ。で 京都だけは行こうと思ってたんだが 都民は県をまたいだ移動は・・と小池百合子が言うからでは無く まだワクチン接種してないから行っちゃダメと嫁はんがいう。打てるようになったとしても心臓疾患があると色々問題があるようで 人工血管だど更に血栓のリスクが跳ね上がる。嫁はんは麻酔薬のキシロカインのアレルギーがあってこれまたダメときてる。もう八方塞がりなんで ひたすらamazonで杉本秀太郎氏の本をポチり図書館で借り出してポチるかどうか判断する毎日。今日は北陸で梅雨が明けたらしい。今年も東京で腐ってるのは嫌だが デルタ株も怖い。3時ごろから東京は雨‥とか予報出てたけど 晴れてる。
濱口竜介監督のドライブ・マイ・カーが公式上映されたらしいが 原作はあたしの嫌いな村上春樹の同名短編。本としては女のいない男たち・・に入ってる。これを嫁はんが読みたい=映画が観たい・・というわけではない というので図書館で検索したら貸出中でなかったのでポチしたが まだ準備中のまま。 キャストは家福悠介:西島秀俊 渡利みさき:三浦透子 家福音:霧島れいか 高槻耕史:岡田将生という プロダクションが売りたい人をキャスティングしただけの別物ぽい。大道具になる車だが 原作はサーブ900のコンバーチブルて設定だが 映画は普通の屋根のある900だ。まあサンルーフはついてるが これがないと話にならん。 ちらっと映像見たんだが 運転しながらサンルーフからタバコを突き出すシーンがある。この話 サーブ900コンバーチブルって話の中心に来る大道具なんだが なんでこれが普通の900でサンルーフになっちゃったか?と言えば コンバーチブルだと映像にならないから。あたしは夏場にヒーター入れないとオーバーヒートするw英車のライトウェイト2シーターのオープンスポーツに乗ってるのは前に書いたが 元々というか今でもバイク乗りなんで 屋根がうっとおしいし 風を感じたいからオープン。で この映画で吸ってる煙草をサンルーフから突き出すシーンがあるが サンルーフくらいならいいのだけど ある程度速度 それも30キロ以上出てると タルガトップでもない限り フロントスクリーンがはね上げた空気が渦を巻いて車内に後ろから吹き込む。つまり オープンにしてたら 突き出さなくても煙草の火が室内に飛び散って 良くて火傷 悪いと車が燃える。原作を読んでない=村上春樹は大嫌いwなので あれだが 村上春樹はオープンで煙草吸ったことがない・・というかオープンに乗った経験すらないんだろうと思う。オープン乗りだと ばっかじゃねーの?と笑うくらい滑稽である。まあ撮影でコンバーチブルでダメでサンルーフにしたんだろうが 原作がお話なので 映画はもう観る気すらおきない。邦画の没落が痛々しいが アニメでも米国でもヒットした鬼滅の刃だがあれも陳腐だ。洋画もネットで観る時代になっちゃったなーと 今月はamazonプライムの年会費がカードの請求に入ってた。こないだ終わったけど ODD TAXIはいい出来だった。もちろんアニメだがプライムで観れるよ。
図書館に返さなきゃいけない本が数冊あるので 必死になって読んでる。わけのわからん内容だとほぼ投げたくなるのだが これが買うと高価な本なんで とにかく目だけは通そうと必死になってる。読み終えたやつも このブログ まあタイトルに偽りありw・・に読後感想文を書くために構想を練ってるのも数本あって それも構想がまとまらなくて辛い。 読書は娯楽で 何日までに提出しなきゃいけない類の物ではないのだけど そういう日限に追われてる仕事をしてるのでこの癖は抜けない。 さて 何を失敗したか?というと 今朝嫁はんが出勤日なのでお弁当こさえてたわけ。甘めの卵焼きと練り物を甘辛く炊いて あと青みがいるなーとピーマンを細切りにしてごま油で炒めてちょろっと醤油でいいかーと思ったわけ。で 卵焼きって卵焼き器を十分過熱してから焼かないとうまくいかん。 たかがピーマン2個にフライパン出すのも嫌だったんで まあ本当はいかんのだが 卵焼き器にごま油ひいてその調子でやってたら ピーマン入れた瞬間に火が入って大きく炎がたった。中華料理屋みたい・・まではいいいのだが 嫁さんが 面倒がらずにフライパンだせよーと文句言われたとこまではいいのだが 後であーーーーとかいうので 見たらレンジフードにかけてある不織布に火が移ったらしく こないだ交換したばかりなのに20センチくらいの穴あけちゃった。 あれ化学繊維なんで溶けるのね。あれをぴんと張るのは嫁はんの方がうまいので まだ放置してあるが もう体だるだるなのに掃除機かけたら終わっちゃって 仕事投げてお昼寝しちゃった。ダメな主夫だw
なんで これがメンタルヘルスカテか?と突っ込まないように。高校時代は古文なんか受験用でしか無いから 必死で現代語訳とペアで覚えるだけで メンタル崩壊するような代物だったから あながち間違いではないw で 徒然草 杉本秀太郎著 岩波書店刊 1987年初版だ。 全段のってるわけではなくて 杉本氏が惹かれた部分のみの抜粋 解釈なので受験用には使えないのは当然。まあ 卒業してから数十年経つわけだけど 徒然草なんか読もうとも思わなかったし読んでみようともしなかったわけわけだが この杉本本は正直面白い。どう面白いのか?と言われたら 時代考証やら当時の伝聞なんかをひきながら解説してて へぇ こういう内容だったのか・・と感心する。受験の徒然草は丸暗記だし 義務だから面白くもなんともない以前に こんなもん読めて何の意味があるのか?という感じだったが 趣味で読むとやっぱりこれはすごい。これあとがきが面白くてちょいと引用すると
徒然草は古い書物なのによく読まれていると言ったのでは、いささか正確をかくと思われる。「徒然草」の学習参考書には多大の需要があると言い改めたほうが実情に近いと思われる。私は時折ピアノ・リサイタルを聴きに出かける。聴衆のうちから二十歳前後の若い女性、数においてそれよりも劣勢の若い男性、この二種族を除いたなら、残りの大部分は学校あるいは自宅でお弟子をとっているピアノの先生という種族であり、そういう人たちをさらに除いたあとには、中年、老年の音楽好きという種族が残るが、その数は渺たるものである。~中略~同様に喩えるなら「徒然草」演奏会場には 学習中の高校生と国語の先生が大挙して押し寄せる。
杉本秀太郎氏て 井上章一氏が言うような鼻持ちならない人では無く 学者でありながらしゃれっ気のある人なのだ。古い本ではあるが 値段もこなれてるし 図書館にもあるので一読されると古典に対する見方も変わって面白いだろう。お薦めである。
徒然草は古い書物なのによく読まれていると言ったのでは、いささか正確をかくと思われる。「徒然草」の学習参考書には多大の需要があると言い改めたほうが実情に近いと思われる。私は時折ピアノ・リサイタルを聴きに出かける。聴衆のうちから二十歳前後の若い女性、数においてそれよりも劣勢の若い男性、この二種族を除いたなら、残りの大部分は学校あるいは自宅でお弟子をとっているピアノの先生という種族であり、そういう人たちをさらに除いたあとには、中年、老年の音楽好きという種族が残るが、その数は渺たるものである。~中略~同様に喩えるなら「徒然草」演奏会場には 学習中の高校生と国語の先生が大挙して押し寄せる。
杉本秀太郎氏て 井上章一氏が言うような鼻持ちならない人では無く 学者でありながらしゃれっ気のある人なのだ。古い本ではあるが 値段もこなれてるし 図書館にもあるので一読されると古典に対する見方も変わって面白いだろう。お薦めである。
さて杉本秀太郎文粋2だが ラッキーなことに程度のいいのを3000円弱で手に入れたのだが 図書館から借り出してきたのはまだ手元にある。次に予約してる人がいないので19日まで借りてられるが 更に延長ができるのでまだ当分借りてようと思う。買ったのに?て言われそうだが 昼間返しに行くのは暑いw 梅雨があけたら 夜中に返しに行くつもりだが。さて 本書 単行本3冊が収められてる。一度に書くのは大変なので それぞれに書いてみようと思う。含まれているのは 杉本氏解釈の徒然草、洛中生息、路傍の花三冊。まずは路傍の花からいってみよう。amazonで杉本秀太郎で検索したら無い。後付けを見たら 初版は講談社のみちの辺の花 絵 安野光雅共著となってる。このタイトルの本なら講談社から単行本(1994年初版)と講談社学術文庫【2006年初版)から文庫が出てる。で 似たような本で挿絵がない?花ごよみ・・てのがこれまた講談社学術文庫から出てる(1994年初版)。元の単行本も同じタイトルだが こちらは平凡社。こっちは初版1987年なので わけがわからないが 改題か?と思ったが同じ花の記述でも違う。とりあえずどちらも杉本秀太郎氏なので みちの辺の花も買うことになりそう。どちらも 植物学的な本では無くて その花が古典の中でどう扱われてるか?みたいな 古典のサブテキストみたいな内容なので 花ごよみのamazonのレビューには”文学を期待したのではなく、植物の生態記述を期待したので当てが外れた”なんてレビューがあったりするのは面白い。あたしは この路傍の花の方を本書で読んで 買ったのは花ごよみ・・て間抜けな話だが これもしっかり古典の本w 古典の方を期待してたんでこれはこれで良い。まあ 花のいわれから古典に出てくる引用に解説とほんとに博識だなぁ・・と思う。花ごよみの方が安く数が出てるが どうもみちの辺の花の方が面白そうなのは悔しいところ。書かれた時期は路傍の花の方が5年くらい新しい。では 花ごよみは?というと これ春夏秋冬で4分冊になってるくらいで これもまた捨てがたい。結論から言えば 似たような内容だが2冊は別物。分冊になってるやつは買わなくていいようだ。結局今みちの辺の花もポチったんで 本好きってほんとに馬鹿だなぁ・・と思う。個人的にどっちが面白いか?と言われたら かなり迷うが みちの辺の花の方だろう。懐に余裕のある方は両方どうぞw