杉本秀太郎文粋1 エロスの図柄 ボードレール ピサネロまたは装飾論 筑摩書房刊 1996年初版 お値段なんと4200円 でも初版だけで絶版のようで 古書店では この全集5冊が2万円前後で出てたりする。で 本書だが これは杉本氏の本領 フランス文学の解説書みたいなもんで 前半分はボードレール 後半はフロマンタン ペレアスとメリザンド ドビュッシー ヴァレリー ピサネロともう研究分野の本。 古書でも2千円ちょいするので 必死の思いで6日かけたが ただざっと読んだだけ・・というお粗末な話。フランス文学を専攻されて 未だに興味のある方なら面白いのかも知れないけど あたしはそっちはさっぱり興味が無い上に基礎知識すらないので ただ2千数百円出しても本棚に入れたいかどうか確かめるために読んだのだけど 何の罰ゲームなのか?みたいな感じで全然頭に入らないうえ 読んでも読んでも終わりが見えない。フランス文学の研究者の書く本だからわからなくて当然といえば当然だが。あたしはフランス文学者の杉本秀太郎が好きではない・・というのはわかった。あたしが好きなのは京の町家 杉本家の当主の杉本秀太郎なのだ。というわけで 本書はポチらずに返して来るw まだ読んでないのがあと3冊 道は果てしなく長く そして目的地にたどりつけるかすらわからない。修行じゃー・・とでも言っておこう。
またも杉本秀太郎氏の随筆集だ。ひっつき虫 青草書房刊 2008年初版 花に始まり 色 手仕事 ギリシャ 和楽 雪景色 西洋絵画 日本絵画 土塀 水彩・・とこれまた 守備範囲の広い人だ。あえてエッセイと言わないのは平成13~19年の書きためたものを本にしてるからで この青草書房という出版社の代表は元教え子だそうな。もっとたくさん書きためたものがあって こちらは主として絵と草花をテーマにし もう一つは編集工房ノアから火用心として出ていて主として文芸と日常生活がテーマで出してる。 これはもうポチってるがまだ来ないので読んでるのは図書館の蔵書 火用心はカートには入ってるがまだ高くて手が出ない。杉本秀太郎氏ってフランス文学者だけど そういう話はほぼ出てこないので メインの仕事以外の興味で手を出してる分野をあれこれ書いたものが本書。みちの辺の花や花ごよみを面白く読める人にはいいと思うが 文学者なので いささか話が専門的過ぎる部分もあり 多少読みにくい。まあ 1900円+税が定価だが この読みにくさが災いしてるのか 値段がこなれているのでポチするには悪くない。ただ 20世紀後半のあの灰汁の強さは薄れている。杉本秀太郎がお好きな人にはどうぞ・・と言えるが これ買うならもっと若い時代の作の方が面白いし 普通の文学好きにはあまりお薦めではない。良くも悪くも読み手を選ぶ本だ。
先にも書いたが これは杉本秀太郎文粋2(以下文粋2)に収録されてる分だ。本書は筑摩書房刊 1996年4月初版だが 洛中生息はみすず書房刊 1976年初版 続・洛中生息はこれもみすず書房刊 1979年初版で これは2冊とも持ってる。で 文粋2を読むと どちらにも出てこない話があるわけ。終わりにある解題を見てみると 先の2冊から取られてるものもあるが ちくま文庫から出た 新編 洛中生息から収録されてるものが多い。これは1987年初版で 文庫だがそこそこの程度だと2000円くらいする。新編で無い方と新編とどう違うのか まあ買えばわかる・・と言われそうだが 先日そこそこ程度のいい文粋2を手にいれたところなので 新編はしばらくおあずけも止む無し。で 文粋2は3冊の合本だとばかり思ってたのだが実は違う。Ⅲの路傍の花も恐らく一部分 Ⅰの徒然草も一部分だろう。Ⅱの洛中生息は全部洛中生息かと思えば 新編にしか無いものや新聞・雑誌に掲載されてたものを含んでのⅡらしい。なので 洛中生息と続・洛中生息はひとまず置いておいて 文粋Ⅱに収録されてる分だけで言うと 京町家杉本家の日常は洛中生息 堀川 橋 取りこわしまでは 新編・洛中生息からの収録で 売色 睡魔 町触 祇園祭私記 新京都案内 京都の1200年は新聞や雑誌から収録してる。新京都案内は薄い単行本でこれは手にいれた。まあ 全体を見れば祇園祭にはふれてはいるけれど 寺や神社の話はほとんど出てこない。ただひたすら京都の日常の随筆(エッセイというほど軽くない)だ。京都名所案内みたいなものを期待された方には申し訳ないが これまであげた本はどれも役に立たない。杉本氏は1931年の生まれだから 昭和6年か・・洛中生息が出た1979年で京都は都市で無くなりいなかになった・・と嘆いておられるのだが あたしはもっと後の世代だが 若いころ住んでいたのは七本松中立売下ルの立本寺(先日仏像が盗まれて大騒ぎになった西陣のお寺さん)の近くにいたから上京だし 仕事場は西洞院花屋町の洗い屋さんだから下京 どちらも洛中なのであたしは洛中生活者ということになる。まあ 三代住まなきゃ京都人とは言えないらしいが 杉本家の初代は伊勢国飯南郡粥見村の出だから伊勢の松坂の人。本書にもよく出てくる日本史の授業で習う本居宣長も伊勢 松坂の人で あたしは伊勢は津なので 上京というと京都に・・となるのは至極当然だ。戻るが 一昨年だったか昔住んでた部屋を見に西陣に行った。名前は変わってたが昔のままだ。**レジデンスなんてすさまじい名前になってたが躯体は同じなので六畳と三畳の和室とタイル張りのユニットバスもどきなのは変わらないだろう。まあ それはどうでもいいんだが 中立売や千本の商店街が寂れてシャッター通りになってた。千本中立売の南側というのは昔の歓楽街で1番町から何番町という町名がある。五番町夕霧楼の舞台となったところだ。杉本氏が少し前の・・というのは戦前から戦後の早い時期を言うのだろうが もっともっと後の時代に暮したあたしでも 昔は・・て言いたくなるんだろうから その荒廃度合いは推して知るべし。まあ 昔は・・と言い出したらもう立派なおっさんなわけだが 少なくとも京都にはアルミサッシやエアコンは似合わない・・と言っても防犯上の問題もあるし 耐えがたい夏の暑さや隙間風の入る木製建具も 季節ごとに張り替える障子や 土間の台所なんかどう考えても今の時代には無理だ。変わっていくのはある程度は仕方ないけど 洛中ってほぼ産業はない。観光資源としての町並って大事だと思うがそうもいかないらしい。代替わりで相続税が重くのしかかると 町家は取りこわして今風の建売にするか駐車場にするしかないのはわかるのだけどやりきれない。本書は 京都にそういう接し方をする人には良書だが 観光京都や古都京都を求める人には 昔を懐かしむ老人の戯言にしか読めないだろう。