今回Natureに論文が出されたことで、STAP騒動には科学界的に一区切りつきました。しかし社会学的には問題が山積みではあります。その一つに科学雑誌の責任問題があると考えます。
今回の論文のひとつには発表された実験方法でSTAP現象はまったく起きなかったことが書かれています。
「簡単に」STAP現象は起こる、というのが売りだったのに。
もう一つの論文ではSTAP細胞とされたものは、全てこれまでに理研に存在したES細胞であったこと、が明らかにされています。
どちらもこれまですでにあちこちから公表されてきたことなので、驚くべきことではありませんが、Nature誌が自分でおとしまえをつけた、ということでしょうか。それならば、Nature誌はこれらの論文を無料で公開するべきです。自分たちが火をつけ、この騒動の種を蒔いたのです。
この騒動の中で、唯一非難を免れているのがNature誌の責任です。有名な科学雑誌として権威を誇ってきた雑誌であったからこそ、今回のこの騒動は勃発し、人が亡くなったのです。件の論文原稿のピアレビューアー(査読者)は事件勃発後指摘された問題点をレビューの段階ですでに明確に指摘していました。それなのに掲載が決まったのです。この経緯についてNatureは精査したのでしょうか?
私はこのNature誌の責任も明らかにされるべきと考えます。科学界、科学成果の評価が論文分析の結果などで評価される昨今、科学雑誌に掲載されるかどうかは科学者の命運を分ける大問題なのです。論文の投稿から掲載に至る一連のプロシージャーに疑義がもたれるとすれば、科学成果の評価に論文分析を用いるなど言語道断ということになります。Nature誌は今回の論文掲載で自分たちの使命を果たしたと考えているなら、それは大きな間違いです。