明治以来、とくに第2次大戦後の努力のかいあって、日本はかなりよいブランディングに成功しました。多くの方が海外へ行き、仕事をし、学び、戻ってきています。特に帰国子女の方達も多くなっていて、海外の事情はごくごく身近なものです。この間の変化について、その要因など考えてみると、インターネットの発明と普及がとにかく巨大な影響を及ぼしたのだな、と改めて思います。
最近注目しているのは日本の女の子の「かわいい」や「きれい」の源流を探す、という美術展。現在の若い子たちのセンス、とおもいきや、という意外な感じを狙ったものと思います。これは日本の文化の底流を探索する大きな流れのひとつなのではないでしょうか。
若い方たちが明治以前の日本の文化を再発見し、若い感覚で「かわいい」「きれい」と思う。日本て結局ずっと前からこうなんだ、ということを体感できるでしょう。
1970年から始まった旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」を彷彿とさせます。何と今から約50年も前の話しですか!あれもかなり長く続きました。永六輔さんの『遠くへ行きたい』は国鉄提供でキャンペーン開始と同時に始まった、とウイキペディアにはあります。なるほど。
1980年には国鉄の累積赤字も深刻になり、キャンペーンは下火になるも、1984年の「エキゾチック・ジャパン」キャンペーンを開始。87年の国鉄分割民営化まで続き、これはその後のJRの各種キャンペーンに受け継がれた、と。そういうことなんですね。
今回知ったのは「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンには「美しい日本と私」という副題があったということ。川端康成氏のノーベル文学賞受賞記念講演の題に似ていることで、氏の許可を頂き、ポスター用の揮毫も頂いたとあります。そういえば。。。そして「美しい、、、」
話しがかなり脱線しました。今、私が新しい動きと思い、注目している日本文化のルーツ探しなのですが、実は50年前の「ディスカバー・ジャパン」が始まりだったのかもしれません。
あのキャンペーンは実に心に焼き付くものだったのです。日本はダメ、あれもダメ、これもダメ、の中で育ち、自己否定節にうんざりしていた私の心をつかみました。なかなか危険な匂いもするのですが、綱渡りのようにただしい道を細々と行っているように思います。
いわゆる保守的な方向性、と思いきや、それは日本文化の普遍的価値を発見するもの。ベクトルは内側からいきなり外側へ向いています。それもそのはず、この流れの大元はGlobalizationだからです。この辺りはまた次の機会に書いてみます。
ともあれ、明治以降のいろいろも大事ですが、150年も経ちました。節目でもありますから、それ以前の日本の姿をもう少し、つまびらかに愛情をもって知りたいものです。