今日も近くの大型スーパーへ買い物に行きましたが、クリスマスというよりお正月の雰囲気を強く感じました。
明治以来の大きなうねりがひと段落した、ということでしょうか。
「近代の超克」ここに成れり。(と思うのは私だけ?)
東洋の文化だ、西洋の文化だ、という区別が最早あまり重要でない。いよいよ日本らしく、自分たちらしい選択による歴史が始まる、と期待されます。
来年が楽しみになってきました。
今日も近くの大型スーパーへ買い物に行きましたが、クリスマスというよりお正月の雰囲気を強く感じました。
明治以来の大きなうねりがひと段落した、ということでしょうか。
「近代の超克」ここに成れり。(と思うのは私だけ?)
東洋の文化だ、西洋の文化だ、という区別が最早あまり重要でない。いよいよ日本らしく、自分たちらしい選択による歴史が始まる、と期待されます。
来年が楽しみになってきました。
このところ、いろいろな場所、場面、分野、などなどで『転機』なんだなぁ、と感じることがあって、感慨深く思っています。
前回のそういうこと=『転機』を感じること、はいつだったか? と言われれば、思い当たるのはバブルの前後。明らかに人々の心理的様相とか、社会のあり方が変わりました。そのとき丁度私は欧州へ行っていた、ということもその変化を大きく感じることのできた一つの要因かと思います。
正確に言えば、欧州へ行く直前にバブルがはじけたのでした。しかし世間にはバブルの余韻が残っており、人々の顔はまだまだにやけていました。誰もそんなに状況を深刻には受け取っていなかったと思います。一年半後に一時帰国したのですが、そのときもまだバブルの余韻は残っていたように思います。思いのほか社会全般に浸透するまでに時間がかかったのでした。
そのころ欧州はいろいろな意味で経済的状況は悪く、皆さん質素に暮らしていました。久しぶりに日本に帰って、自分の格好がやたらにみすぼらしく見えたことにびっくり。日本では何でも無駄にピカピカすぎる、という印象を持ちました。ブランドモノのバッグやら何やらを持って闊歩している女子大生など、かなり奇異に映りました。欧州の大学生たちは皆ディバッグなど身の丈にあった身なりでしたから。
三年後にまた一時帰国した時、大分雰囲気が落ち着いたな、と思ったのを覚えています。それまで電車に乗ると、人々の顔が不自然に緩んで、何か全体に黒い霧のようなものが立ちこめているように思えたのですが、すっかりそのような気配が無くなっていました。日本人の律義な雰囲気が戻ってきていて、ほっとしたものです。そして皆真剣な表情をしていました。
この間の変化の経験は、世の中の雰囲気が変わること。そして人々の心理的様相が変わることは、感じることのできる何かなのだ、ということを私の心に刻み込みました。初めてこのような変化を強く意識的に知覚した、印象深い経験です。
そして最近、この感覚を久しぶりに味わっています。何かが、決定的に変わってきているのです。小さな変化の総体が大きな質的な変化を起こそうとしているような感じ。IT技術の発展、少子化、、そういうキーワードではない、何か。
例えばクリスマス。今年は非常に簡素な気がします。人々はあまりクリスマスに向けて準備をしている感じはありません。多少の何かは彩りとして生活に取り入れてはいますが。それよりも人々の意識はすでにお正月へ向いています。ナショナリスティックなものではなく、ごく自然にそうなっている。実際、一方で年賀状の衰退がある。おせち料理は既に作るものではなくなっています。
これらの動きをどう考えるべきなのでしょうか。昨年まで、バブルの頃に盛んだった様々な行事やスタイルが無理矢理維持されていました。それが今年は一切感じられなくなったのです。何かが終わった、としか表現のしようのない感覚です。
平成が終わる、ということでもないような気がします。非常に不思議な感覚でいます。もう少し、この感覚を味わいながら、この裏側にある事実を観察して行きたいと思っています。
大報恩寺展に行ってきました。
2回目です。6観音様の光背を外したお姿を是非拝見したく、でかけてきました。
前回はまだ夏の名残が感じられる上野公園だったのですが、すっかりと秋色になっていました。銀杏がいい感じに黄色く染まり、常緑樹の緑に映えていました。
今回は何となく思うところもあって、音声ガイドにしたがって拝見することにしました。書も素晴らしいですし、釈迦如来像、十大弟子立像も、間近でじっくり拝見してきました。鎌倉彫刻はデフォルメも含め実にドラマチック。沸き立つようなエネルギーをいつも感じます。
さて、肝腎の観音様。
鎌倉彫刻らしい、衣の襞や背中の線など、光背で見えなくなることなど全く関係なく、完璧に作り込まれておりました。
写真撮影は地獄道の観音様であられる聖観音様のみ許されていました。
こちらはその光背。観音様自体はまあ、畏れ多いので、ここにはアップ致しません。これも鎌倉時代のものです。よく残っていました。美しい透かし彫りです。
ガイダンスの説明は大変役に立ちました。今回、何となく借りましたが大正解。特にこの6観音像のパートではより鑑賞が深まったと思います。
6観音様は6道それぞれの観音様とのことですが、この6道、よく考えますと実に興味深い。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道
天道はもちろん自由自在の天上界。担当は如意輪観音様。お一人だけ腰掛けられて片膝を立ててで頭を支え、如意輪を廻し、穏やかなご様子。
そして人間道。准胝(じゅんでい)観音様。一瞬千手観音様?と見まごう多手をお持ち。人間は要求が多い?のでお応えになるのに手が要るんですね。
争いに明け暮れる修羅道。担当は十一面観音様。いくつもの顔を使い分けて対応されているご様子。ちょっと思い当たるフシが、、、
弱肉強食の畜生道。馬頭観音様が担当。お不動様かともみえる怒りの表情。「弱肉強食」です。競争社会のご担当。やはり怒りのお顔でございます。
いつも何かに飢えている餓鬼道。なるほど千手観音様がご担当なのですね。あれくれ〜これくれ〜まだ欲しい〜。。。お疲れさまです。
そして地獄道。ご担当は聖観音様。こちらは大変静かな観音様。特別な特徴もありません。静かに蓮の蕾を片手に立っていらっしゃる。
今回、ガイダンスの解説を聞きながらこの6道と観音様の有り様がいたく心に沁みました。これは自然界全般のことでもあり、人間社会のことでもあります。修羅道やら畜生道あたりは日常茶飯に目にする人々の有り様です。差し詰め私の仕事場はこういう程度の世界なんだと思い知らされます。
餓鬼道、地獄道は言うに及ばず。
せめて人間道を歩きたいものです。
何となく寂しい気持ちで外へ出てきた私。
紅葉の錦に癒されました。
来年は東寺の特別展です。今からほんとに楽しみ。
以前から台湾には行ってみたいな、と思っています。なかなか機会がなくて、果たせていません。仕事関連でも機会がありません。博物館などもとても興味深いのですけど、残念。。
ということで先日、台湾料理を頂いてきました。
ソフトシェルクラブの揚げ物唐辛子炒め。黒っぽい赤の丸っこいやつは唐辛子。たべません。このワタリガニは最高でした。
お茶がまたいいです。中国茶はバリエーションが豊富。醗酵のさせ方で香りと味が違う。私が初めて中国茶の素晴らしさに感動したのは台湾の方に「阿里山高山茶」を頂いた時でした。その香りの素晴らしかったこと!もうウン十年前の話しです。
その頃はまだ中国茶もそれほどポピュラーではなかったのです。あちこちで同じような中国茶を探しましたが、結局見つけられず。。。
長らく私の夢の中のお茶になっていました。
この話、また続きを書きましょう!