江戸時代後期の儒学者・漢詩人
広島県の国の特別史跡 「廉塾ならびに菅茶山旧宅 」
往時をしのぶ 門構え
門をくぐると広々とした畑 途中には養魚池 もありました
全国各地から茶山のもとへ勉強にきたやってきた生徒たちの 『寮』
玄関前に構えられている中門
右・廉塾の講堂 ならびに左・菅茶山旧宅
ちなみに、 廉塾の塾長は 『頼山陽』
講堂入り口
学びし生徒たちが 筆や硯を洗ったであろう 水路
漢詩をするにおいても様々な知識が必要なことから茶山は 常に読書を指導していたようです
生徒の多くは 自分のふるさとへ帰り学者として活躍しますが・・・・・・
ある程度裕福な家系の者でなければ廉塾で学ぶのは難しかったようですね
ブログへのご訪問に 感謝