鈴木秀美という日本人のチェリストが古楽器を用いて弾いたバッハの無伴奏チェロソナタ集を吉田秀和が紹介しているのを読んでCDを購入したのは、5-6年前であったろうか。archiveから出ている95年録音のCDは、1600年代のアマティー作の楽器の柔らかい音色と、軽快さと重厚さを併せ持った演奏でたちまち日曜の朝のBGMの定番となった。 多分これまで100回くらいは聞いただろうか。 その鈴木秀美が、青葉台の音楽専用のフィリアホールで、2回に分けてバッハの無伴奏を弾くと聞いて通しチケットを買った。 昨晩が第一回目で、1,3,5番が演奏された。 残念なことに仕事で遅れ、休憩の後の3番一曲しか聴けなかったが、やはり生で聞くとレコードでは得られないものがある。 鈴木秀美さんは結構体格の良い人で、175センチくらいあるかと見えた。舞台の真ん中に置かれた椅子は、40センチもないほどの低いもので、そこでチェロを膝ではさんで体全体で抱えこむような姿勢をとる。変わった姿勢だなと思っていたら、古いチェロには床に刺すエンドピンがついていないことに気づいた。自分で支えるしかないのだ。 楽器も現代のチェロよりは一回り小さいようだ。 弓の方も、今のような張力の強い反り返ったものではなくて、まっすぐである。 音は、レコードのイメージからすると小さいと感じる。 古楽器だから元々音量はそんなに出ないのは当然ともいえるが。
昨年2度目の無伴奏のCDを出したばっかりだし、演奏は目をつぶっても弾けるという感じで自由自在であった。 技巧的に難しくテンポも速いアレグロやジーグもいいが、やはり楽器の甘い音色がじっくり出るサラバンドなどに惹かれる。 アンコールは一曲だけだったが、「あんまりたくさんやると次回のねた切れになるし、もうそんなに聞きたくない方もいるでしょうから」と断って、次回演奏予定の曲から1ピースのみアンコールがあった。 CDの録音がとてつもなくハイファイ品質になった今、音だけ追っていくより、やはり演奏家の肉声や弾く姿が生演奏に出かける上での大きな要素になってきていると感じる。 吉田先生が昔から書いていたが、「生」で聞かないとその演奏家が本当にはわからない、のである。
サイン会があるというので、ロビーで楽器と同時代の17世紀のガブリエリの作品を弾いたCDを求め、サインの列に加わった。 「最初の無伴奏のCDが愛聴盤であり、3年前にチェロを習い始めた」と告げると鈴木さんはにっこりして、「それは、大変ですね」となんとか言って丁寧にジャケットに大きなサインをしてくれた。 予想どおり気さくで暖かい感じであった。月末に予定されている次回はちゃんと最初から聞けるようにしたいものだ。
昨年2度目の無伴奏のCDを出したばっかりだし、演奏は目をつぶっても弾けるという感じで自由自在であった。 技巧的に難しくテンポも速いアレグロやジーグもいいが、やはり楽器の甘い音色がじっくり出るサラバンドなどに惹かれる。 アンコールは一曲だけだったが、「あんまりたくさんやると次回のねた切れになるし、もうそんなに聞きたくない方もいるでしょうから」と断って、次回演奏予定の曲から1ピースのみアンコールがあった。 CDの録音がとてつもなくハイファイ品質になった今、音だけ追っていくより、やはり演奏家の肉声や弾く姿が生演奏に出かける上での大きな要素になってきていると感じる。 吉田先生が昔から書いていたが、「生」で聞かないとその演奏家が本当にはわからない、のである。
サイン会があるというので、ロビーで楽器と同時代の17世紀のガブリエリの作品を弾いたCDを求め、サインの列に加わった。 「最初の無伴奏のCDが愛聴盤であり、3年前にチェロを習い始めた」と告げると鈴木さんはにっこりして、「それは、大変ですね」となんとか言って丁寧にジャケットに大きなサインをしてくれた。 予想どおり気さくで暖かい感じであった。月末に予定されている次回はちゃんと最初から聞けるようにしたいものだ。
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