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友との別れ、追想

2020-08-11 | 雑感, ブログ

今年は長い梅雨だったが、夏の到来前にかつての同僚が二人、相次いで亡くなった。二人とも、20年以上前の若き日に、ともに希望に燃えて新しいブランドを立ち上げた同志だった。男性の方はまさに事業の牽引者的存在であり、優秀な頭脳と大胆な行動力を兼ね備えて、この人がいなければ、世間の耳目を集めたブランドの垂直的な立ち上げは不可能だと思われた。今年の初めから血液のガンで体調を崩したと聞き、きっと回復すると思っていたが、6月末に突然に訃報が飛び込んできた。まだ還暦を過ぎて何年もたっていない若さで、さぞかし無念であったろう。

 

その3週間後、男性の家族葬への電報の手配などでメールをやり取りをしていた同じプロジェクト仲間の女性がこの世を去ったとの知らせを受けたとき、私の頭は真っ白になった。再発ガンとの長い闘いの日々をへて、54歳の誕生日を無事過ごしてからわずか3か月で彼女の命の灯は尽きた。最後に会ったのは3年前、このプロジェクトの20周年の同窓会で、男性も女性も久しぶりに他の仲間たちと時間を忘れて語り合った。毎年恒例のイベントにしようと話していたのに、幹事役の私の身辺にも何かとあって先送りになり、時にメールで近況を確認し合いながら今年こそはと思っていたが、コロナでそれも難しくなったのだった。

 

女性は、ガンの再発した8年前からブログをつけ始め、特に最初の2年間は、一日も休むことなく書き綴っていた。本人の人柄が立ち現れるような清々しい文章のブログには、いつの間にか同じ病に苦しむ何百人もの読者が付いた。それは匿名で書かれていたために、女性の夫さえも、一年前に一時的に危篤状態に陥るまでその存在を知らなかった。この病について知識の少ない私も、女性の亡くなったあとでその存在を知り、そのブログを通して、再発という事態がいかに底知れぬ不安と絶望感をもたらすものかを理解した。未来の時間が限られた人生を生きるという不安と惨めさを抱えた魂はしかし、悲観することなく、次第に自由のきかなくなっていく体と「ゆるゆると」つきあいながら、調子が良い時は、好きなものを食べに外食し、南仏やニューヨークに海外旅行もし、フランス語の検定にも挑戦した。体調がすぐれなければ、自宅で読書やドラマ鑑賞に精を出し、その感想を綴った。その日々を記録したブログからは、8年の歳月(およびその前段である初発からの7年間)の15年間の病状の成り行きと、くじけそうになる心を鼓舞しながら前向きに生きる様子が伝わってくる。なぜよりによって自分がこんな病に、という口惜しい気持ちに覆われるときもあるが、女性の健全な知性は、その暗い感情を制し、現実を見据えて言葉を紡ぐ。

 

その毎日のブログを、女性は会ったこともないネット上の読者に向けて書き、コメントにはていねいに返信している。会社などの表の社会からは引退してしまったが、女性はこのブログに表現者としての自己と熱心な読者を見出した。文章を書くことで、女性は自分の状況を客観視し、病を得てパニックになるでもなく、開き直るでもなく、「ゆるゆる」と付き合いながら主体的に生きる患者という役どころを確立していった。

 

一年前に呼吸器の劣化から酸素不足で危篤状態になり、病院のベッドの上で濃い酸素を吸いながら、「気持ちよさそうな雰囲気の森に」入ろうとすると、「行っちゃダメ―」という声に引き戻されたという臨死体験もしている。これはもうお別れだ、と思ったこの時のブログの最後にはこうある。

 

「もっといろいろやりたかったのに、頼りなくポンコツの容れ物を引き当ててしまった。
皆さん、またね! また会おう!」

 

この日の時世の挨拶ともとれるエントリーには、3000件ものアクセスがあり、18件のコメントが残された。そして「行かないで!」という読者の声に支えられて、女性は奇跡的に戻ってきた。

 

再発ガンとのゆるゆるな日々を記したブログは、本にすれば1500ページはくだらないだろう。それは立派な人生の記録、一つの作品だ。

 

39歳で初発し、15年間病と過ごした女性の人生は、常人よりはだいぶ短かった。しかし、その限られた時間を、さわやかな知性と豊かな感情をたたえた一人の人間として、女性は多くの人の伴走者となり、友を得た。

 

もちろん本人は、健康で人並みの長さの人生を元気一杯に生きたかったのだ。彼女との冴えた会話と愛らしい笑顔は今も脳裏に焼き付いて離れない。なぜ彼女がその割に合わない籤を引かなければならないのか、それに対する答えはどこにもない。

 

女性の葬儀は、家族葬でおこなわれ、ごく限られた友人のみでお別れをした。生前の希望では、魂の抜けた顔は人には見せないで、ということだったが、同じプロジェクトで知り合って結婚した夫君のご厚意で、数名が最後のお別れを許された。そして彼女は正しかった。 そう、その身体は既に抜け殻だった。私たちの知る溌剌とした彼女はそこにはいなかった。スクリーンに映し出された、本人と夫が整理した100枚を超す写真の中には、驚き、笑い、はにかむ彼女がいた。それこそが、私たちがこれからも長く記憶にとどめる本当の姿である。

 

ありがとう、Mさん。私たちはあなたとともに過ごし、喜びと苦労をわかち合った日々を忘れない。今は、安らぎを得たであろうその魂と笑顔で、私たちを見守ってください。

 

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