![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/51/018786a35dacba8b90a235468be27e95.jpg)
市の北東部にある北京国際空港に着陸する際には、一面に広がる農地とその間に点在する青や赤の屋根の粗末な建物群が見てとれ、まだ郊外はかなり立ち遅れているという印象であったし、空港から都心に向かう高速道路は、公用車や社用車が多い感じだった。 高速道路なのに、時速80キロでのろのろと走る車が追い越し車線を平気で走っているし、出迎えてくれたハイヤーのリア席シートベルトは、シートバックに挟まったままで使えないなど、まだまだ民度が低いかな、と思った。クルマも黒塗りの高級車なのにあまりキレイに洗車してあるわけでもない。こうした印象は、曇った空から冷たい小雨が降り続き、ホテルからほとんど出歩くことも無かった最初の2日間ほど続いた。
ところが、モーターショー開会の日に空が晴れ渡り、100m近い幅の都大路を無数のクルマが喧騒の中をひしめきあい、高層マンションや巨大なオフィスビルが、市の中心部から放射上に郊外まで伸びているのを目の当たりにすると、このイメージは急速に変わっていった。 20キロ離れたメッセ付近でも、モダンなコンドミニアムや周辺道路が盛んに建設中だった。
年率9%のGDPの成長と20%を超える自動車市場の伸びは、2008年秋の世界金融ショックをもろともせずに続いている。北京や上海の中産階級の平均世帯所得は、年1万ユーロを超え、EUの周辺国に並ぶほどまでになっている。モーターショーの会場では、欧米の有名ブランドがお金を掛けて広大な展示を行い、本国からトップがスピーチに訪れる。VWグループだけで昨年140万台を現地で生産販売し、今や世界で販売される3台に1台が中国で売れているとなれば、13億の人口を要するこの巨大市場に尋常ならぬ力が入るのは致し方あるまい。
第一汽車、上海汽車、奇端、長安など現地メーカーのブースも、明らかにコピー製品とわかるものが鳴りを潜め、少し前の韓国車並みのデザインや品質を持っているし、EV・ハイブリッドなどの新技術も展示している。また欧米のモデルのように背の高い女性コンパニオンのショーや、派手なダンスパフォーマンスで彩を添える。中国や韓国勢に較べると日本メーカーのブースは地味であった。
中国の経済成長と近代化が想像以上に進んでいることに驚き、もはや日本は規模や量では絶対に対抗できないと思い知らされた。不動産バブルの懸念や貧富の差の拡大を挙げて、この成長が永続的ではないと警鐘をならず識者もいるが、中国という国は、そうした矛盾を包含しながらも、それを克服し成長していくパワーに溢れていることを認めざるを得ない。いち早く成長がピークに達し、今や衰退が始まったかに思える日本では感じることの出来ない若々しい成長のエネルギーにこちらまで感化されていくようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/1b/8760299bc1a602ce46fb6d29907e778f.jpg)
今回は、故宮に近い「北京東方君悦大酒店」に宿泊したが、故宮と天安門広場を東西に仕切るこの都大路は片側8車線もある。その両側には、巨大な直方体のビルが左右に無造作にズシン、ズシンとブロックのように並んでいる。いささかラスベガスの巨大ホテル群を見渡す感じに似ているが、こちらの方が水平方向にずっと広い。天安門広場から毛沢東の肖像を掲げる朱色の天安門を眺め、それをくぐって行くと巨大な午門がある。まるで城砦だ。ここで入場券を買って故宮内に入り、大和殿、法和殿と進んでいくと、そのスケールと壮麗さは耳では聞いていてもやはり圧倒的である。大和殿前庭に立ち、蒼穹を見上げるとそこには宇宙を感じさせる空間が広がり、天子(皇帝)は地上と宇宙との調和を司るという意味が知れる。北京に現在の首都の原型を築いたのは、征服民族だった元だが、その元が冠した「大都」というに相応しい壮麗な宮殿であり、中華、中国という言葉の意味が実感を持って迫ってくる。 日本は、明治維新までの2000余年、常にこの巨大な隣国を意識しながら交流し、独自の文化文明を育んできた。
市民の生活はどうか。外資系5つ☆ホテルの宿泊料は、欧米の大都市並みだが、公共交通機関の料金は安い。バスと地下鉄は距離無制限で、それぞれ一回1元と2元。タクシーはメーター制で、初乗り2元で、20-30分走っても20元(300円)余りである。繁華街の王府井のソコソコの中華料理レストランの若いウエイトレスの月給は1万円余りというから、日本の1950年代の初任給並みに低い。故宮の入館料が60元だからこれは彼女らの日給の倍くらいで相当に高い。案内してくれた日本語をしゃべる北京大学出身の40歳のガイドの手当てが半日で400元。これも相当高いことになるが、申しこみを受け付けたホテルは600元も口銭をとっているというから驚く。因みにこのガイドは、北京市内に3箇所も小さな投機用のマンションを持っているらしく、合計の資産は2000万円ぐらいになるというが、それでも老後が心配だという。彼は黒龍江省の出身で、見せてもらった身分証明書には、本籍は記載されても北京の住所の記載はなかった。20年近く済んでいても北京市民ではないのだ。中国人は、まだ自由に居住地を選べないというのは本当のようである。
北京は丁度、春が訪れたところで梅や桜や桃といった花が一斉に咲いていた。直前降った雪と雨のために、空気は北京にしてはとても綺麗だと、現地に駐在する日本人の奥さんが教えてくれた。この人は昨年8月に初めて北京に住宅を探しに来たときは、余りに空気が汚く、一旦日本に戻ったときには、空気がきれいなので思わず涙が出たそうだ。大気汚染と公害対策に中国政府は躍起になり、海外企業にも環境技術の移転を強く要請している。
今月から上海万博も始まり、1970年の大阪エキスポを凌ぐ7000万人の来場を目指すという。開会早々、入場の大混雑がTVで報じられていたが、あたかも40年前の大阪での混雑や「動く歩道」の将棋倒し事故などを彷彿とさせる。都市や沿岸部でのバブルと富裕層の増大、輸出の増加は元切り上げの圧力を高じており、あたかも1985年のプラザ合意当時を思わせる。日本の高度成長期からバブル期までの40年間が混在したままに、中国は経済成長を楯に、世界での存在感を飛躍的に増大させている。日本は、もはや欧米だけを見ていては立ち行かない。この動き出した巨大な隣国とどう向き合っていくかが、経済だけでなく今後の外交や文化を考える上でも不可欠となっていると感じた。
ところが、モーターショー開会の日に空が晴れ渡り、100m近い幅の都大路を無数のクルマが喧騒の中をひしめきあい、高層マンションや巨大なオフィスビルが、市の中心部から放射上に郊外まで伸びているのを目の当たりにすると、このイメージは急速に変わっていった。 20キロ離れたメッセ付近でも、モダンなコンドミニアムや周辺道路が盛んに建設中だった。
年率9%のGDPの成長と20%を超える自動車市場の伸びは、2008年秋の世界金融ショックをもろともせずに続いている。北京や上海の中産階級の平均世帯所得は、年1万ユーロを超え、EUの周辺国に並ぶほどまでになっている。モーターショーの会場では、欧米の有名ブランドがお金を掛けて広大な展示を行い、本国からトップがスピーチに訪れる。VWグループだけで昨年140万台を現地で生産販売し、今や世界で販売される3台に1台が中国で売れているとなれば、13億の人口を要するこの巨大市場に尋常ならぬ力が入るのは致し方あるまい。
第一汽車、上海汽車、奇端、長安など現地メーカーのブースも、明らかにコピー製品とわかるものが鳴りを潜め、少し前の韓国車並みのデザインや品質を持っているし、EV・ハイブリッドなどの新技術も展示している。また欧米のモデルのように背の高い女性コンパニオンのショーや、派手なダンスパフォーマンスで彩を添える。中国や韓国勢に較べると日本メーカーのブースは地味であった。
中国の経済成長と近代化が想像以上に進んでいることに驚き、もはや日本は規模や量では絶対に対抗できないと思い知らされた。不動産バブルの懸念や貧富の差の拡大を挙げて、この成長が永続的ではないと警鐘をならず識者もいるが、中国という国は、そうした矛盾を包含しながらも、それを克服し成長していくパワーに溢れていることを認めざるを得ない。いち早く成長がピークに達し、今や衰退が始まったかに思える日本では感じることの出来ない若々しい成長のエネルギーにこちらまで感化されていくようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/75/59e5c7e1f9225a695bde2583f86c09b2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/1b/8760299bc1a602ce46fb6d29907e778f.jpg)
今回は、故宮に近い「北京東方君悦大酒店」に宿泊したが、故宮と天安門広場を東西に仕切るこの都大路は片側8車線もある。その両側には、巨大な直方体のビルが左右に無造作にズシン、ズシンとブロックのように並んでいる。いささかラスベガスの巨大ホテル群を見渡す感じに似ているが、こちらの方が水平方向にずっと広い。天安門広場から毛沢東の肖像を掲げる朱色の天安門を眺め、それをくぐって行くと巨大な午門がある。まるで城砦だ。ここで入場券を買って故宮内に入り、大和殿、法和殿と進んでいくと、そのスケールと壮麗さは耳では聞いていてもやはり圧倒的である。大和殿前庭に立ち、蒼穹を見上げるとそこには宇宙を感じさせる空間が広がり、天子(皇帝)は地上と宇宙との調和を司るという意味が知れる。北京に現在の首都の原型を築いたのは、征服民族だった元だが、その元が冠した「大都」というに相応しい壮麗な宮殿であり、中華、中国という言葉の意味が実感を持って迫ってくる。 日本は、明治維新までの2000余年、常にこの巨大な隣国を意識しながら交流し、独自の文化文明を育んできた。
市民の生活はどうか。外資系5つ☆ホテルの宿泊料は、欧米の大都市並みだが、公共交通機関の料金は安い。バスと地下鉄は距離無制限で、それぞれ一回1元と2元。タクシーはメーター制で、初乗り2元で、20-30分走っても20元(300円)余りである。繁華街の王府井のソコソコの中華料理レストランの若いウエイトレスの月給は1万円余りというから、日本の1950年代の初任給並みに低い。故宮の入館料が60元だからこれは彼女らの日給の倍くらいで相当に高い。案内してくれた日本語をしゃべる北京大学出身の40歳のガイドの手当てが半日で400元。これも相当高いことになるが、申しこみを受け付けたホテルは600元も口銭をとっているというから驚く。因みにこのガイドは、北京市内に3箇所も小さな投機用のマンションを持っているらしく、合計の資産は2000万円ぐらいになるというが、それでも老後が心配だという。彼は黒龍江省の出身で、見せてもらった身分証明書には、本籍は記載されても北京の住所の記載はなかった。20年近く済んでいても北京市民ではないのだ。中国人は、まだ自由に居住地を選べないというのは本当のようである。
北京は丁度、春が訪れたところで梅や桜や桃といった花が一斉に咲いていた。直前降った雪と雨のために、空気は北京にしてはとても綺麗だと、現地に駐在する日本人の奥さんが教えてくれた。この人は昨年8月に初めて北京に住宅を探しに来たときは、余りに空気が汚く、一旦日本に戻ったときには、空気がきれいなので思わず涙が出たそうだ。大気汚染と公害対策に中国政府は躍起になり、海外企業にも環境技術の移転を強く要請している。
今月から上海万博も始まり、1970年の大阪エキスポを凌ぐ7000万人の来場を目指すという。開会早々、入場の大混雑がTVで報じられていたが、あたかも40年前の大阪での混雑や「動く歩道」の将棋倒し事故などを彷彿とさせる。都市や沿岸部でのバブルと富裕層の増大、輸出の増加は元切り上げの圧力を高じており、あたかも1985年のプラザ合意当時を思わせる。日本の高度成長期からバブル期までの40年間が混在したままに、中国は経済成長を楯に、世界での存在感を飛躍的に増大させている。日本は、もはや欧米だけを見ていては立ち行かない。この動き出した巨大な隣国とどう向き合っていくかが、経済だけでなく今後の外交や文化を考える上でも不可欠となっていると感じた。